養源寺

神仏習合時代を偲ばせる寺院

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御本尊

不動明王本堂に入ると正面の壇上に阿弥陀如来が安置され、一見本尊のように思われますが、この壇の後壁を隔てた背後に本尊不動明王を安置している。

年中行事

初護摩供一月一日・星祭り二月第一日曜日・採燈護摩供三月第二日曜日・藤供養四月下旬・瓜封じ七月(土用丑日)・護摩供毎月二十八日

縁起

明治元年の神仏分離に伴って、大分八幡宮の神宮寺であった長楽寺が廃されることとなった。このとき博多湾沿岸の荒津山南麓にあった養源寺を移転し、相続するかたちでこの地で法灯を受け継いだ。前身である妙見山和光院長楽寺は延暦二十二年(八〇三)に建立され、今も小字名に残る平等寺・清苔寺・朗月寺・恵見寺・福生寺などの末寺をもつ大きな寺院であった。隣接する大分八幡宮には、観音堂・薬師堂・弥勒堂・地蔵堂が江戸時代まで存在しており、現在でも仁王像が安置されていることなど、僧侶・神宮が共に社寺の護持と八幡信仰の宣布に勤めていたことが伺える。現在、当寺の境内には本堂・観音堂・大日堂・鐘楼を配している。安置してある仏像は、長楽寺や大分八幡宮から受け継いだものが多く、県指定文化財である聖観世音菩薩像は八五〇年前、弥勒菩薩像・薬師如来像及び十二神将像は八〇〇年前の作であると大正三年に文部省古寺保存会は鑑定している。鐘楼は平成十一年に梵鐘と共に再建された。戦前までは寺宝として有名であった梵鐘が存在したが、大戦で拠出しなければならなかった。現在は以前のように、大分の地に心地よい鐘の音が響きわたっている。

交通アクセス

JR篠栗線(福北ゆたか線)筑前大分駅下車徒歩一〇分。車九州自動車道福岡ICを下りて、飯塚方面へ約二〇km。国道二〇一号線片島交差点を冷水峠方面へ約一二km。国道二〇〇号線弁分交差点をしょうけ峠方面へ約七km。国道二〇〇号線出雲交差点を大分方面へ約五km。

住職の閑話

一切の煩悩を焼き尽くす「不動明王」

カット見開いた眼、唇をかみしめた口、むき出した歯、右手には剣、左手には索、そして背後には激しく炎がもえあがっている。不動明王は梵名をアチャラ・ナータといい「動かない守護者」というのが名前の語源である。大日如来の教令輪身(姿を変えた仏)とされ、五大明王の中央に位置する忿怒の相をした仏である。しかし、不動明王の怒りは敵に向けられたものではなく己の煩悩に向けられたものである。剣で切るのは憎むべき敵ではなく己の欲望であり、索で縛るのは他人ではなく己の心なのであり、炎々ともえる火炎は己の煩悩を焼き尽くす炎なのである。不動明王は、密教において崇拝されてきた仏であり、護摩供においても「焼一切煩悩」と絶大なる力が示されている多くの困難にぶつかり、煩悩に迷う時、不動明王の御加護があなたをお守りいたします。