妙覚院

御本尊薬師瑠璃光如来は伝教大師最澄の作である

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御本尊

華薬師瑠璃光如来伝教大師最澄作祕仏であり祕仏形式の厨子宮殿に安置。五十年に一度開扉して法要を行う。脇侍右に日光菩薩・左に月光菩薩厨子に安置

諸仏

阿弥陀如来・十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・不動明王・元三大師、大黒天薬師如来分身等々それぞれの御堂に安置して、行事を行っている。

縁起と紹介

弘仁五年(八一四)伝教大師九州巡化の際、弥生時代貝塚遺跡で多くの人々の住むこの地に現当二世救済のため一刀三礼して薬師如来を彫刻して妙覚院を建立される。寛保三年(一七四三)中興の祖亮昌和尚の時、久留米領主有馬氏の帰依ますます篤く本堂山門庫裡を再建、寺紋もすべてりんどうぐるまになる。この頃より薬師殿寺と人々は呼ぶようになる。代々の久留米領主との関係は深く有名な月船公掛軸などもある。廃藩置県によって門戸を開き同時に檀家も受け入れる。御典医森家滝家をはじめ藩関係寺領内の住民が檀家になる。終戦後(昭和二十三年)誰でも本堂に入堂できるように茅ぶき屋根を瓦にかえて本堂を広くする。大本堂建立(月参りの仏道修行)本尊薬師瑠璃光如来の十二大願に因み毎月十二日を本尊御日ときめ大護摩祈祷を奉修「月参りの日」として月参りの仏道修行に多くの人々が毎月参詣、参詣者は本堂よりあふれ山門までいっぱいになるため中興より二十一世玄壽住職大本堂建立を発願、千年以上の歳月を経た大木で十年以上の歳月をかけて平成十四年に完成させる。上段の間(眞の間)新本堂の左側には厳選した材による「眞行草(しん、ぎょう、そう)の間」があり折り上げ小組格子天井の眞の座敷は本尊様へ台子による献茶また雅楽能など奉納する上段の間となっている。
○大書院昭和五十三年新築
○地元久留米の絵師達又狩野派や光琳のびょうぶなど有
○客殿平成十年新築和室、椅子席、広間等あり小倉遊亀、仙崖、奥村土牛等又近代では堀文子等や各年代の書画を季節に又行事に合わせておく
○茶室(御み船ふね庵あん)寺の北東の閑静な位置にある棟梁八山茂師
○かえでと苔の庭本堂の前庭一隅碑もある庭師井手皎雲師
○石庭大本堂前庭十五石よりなる庭師東梅里師
○松と苔の庭大書院の前に広がる庭奥に楠の大木あり庭師井手皎雲師
○京都祗園しだれ桜客殿の前庭京の桜守第十六代佐野藤右衛門氏によって移植庭石もすべてを桜御影石で作庭筑後路に雅びに匂ふ桜花

毎月の行事

○第一日曜日午前八時半大般若転読月参りの日(勤めをもつ人達)○八日午後二時薬師本願功徳経読誦の会○十二日午前八時半本尊御日大護摩祈祷月参りの日○第二木曜日午前十時献茶お経会○第三木曜日午後二時写経会本尊御日十二日に十年以上月参りをして写経会員となる写経して露の命の永かれと◎祈祷日(前もって受付が必要)毎月の行事、年間行事もあるので祈祷日は月によって変る

交通アクセス

JR久留米駅下車、車で二十五分JR荒木駅下車、車で十二分西鉄電車大善寺駅下車、車で十分

住職の閑話

薬師如来はオンコロコロセンダリマトウギソワカと心を込めて真言を唱えれば、病気苦しみ災難から救って下さる尊い如来様です。しかし祈りは利己(仏教では自利)だけであってはいけません。「病気を治して下さい。治ったならば人びとのために私なりに貢献をし、社会の一員として役立つようにします」と祈るならば立派な大願になります。このように祈りは、大願でなければなりません。本堂外陣正面には「醫王殿」と天台座主源應猊下の扁額があがっている。護摩壇の炎に祈る初薬師