独鈷寺

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御本尊

聖観世音菩薩(坐像二尺五寸)木像

寺宝

独鈷・檀鏡(「海獣葡萄鏡」舶載鏡)伝教大師伝来と伝えられている。薬師如来(伝教大師作という)

年中行事

二月三日護摩供節分会・七月七日薬師堂御開扉・十二月三十一日除夜の鐘撞き

縁起

延暦二十四年、伝教大師開基。伝教大師が唐から持ち帰った独鈷と檀鏡を花鶴の浜から、一心に祈願をこめ、虚空に放ち、法を弘める相応の地を探し求められた。その独鈷と檀鏡は、光を放ちながら二神山(現在の立花山)の方角へ飛んでいった。大師は、その跡を追っている途中、源四郎(千年家横大路家先祖)との出会いで落ちた場所に案内された。大師は、大石の上に独鈷と鏡が在るのを称して、「こここそ霊地ならん」と、自ら薬師如来を刻み、一宇の草堂を建立された。このような由来のある地に建つ寺を「立華山明鏡院獨鈷寺」と称するのである。「筑前國續風土記」に、立花山は、伝教大師入唐し、法を伝えて帰朝の時、始めて開基した寺であること、昔は三十六坊あったと、述べている。なお、前述の寺宝の他に、伝教大師の坐禅石独鈷水菩提樹「最澄と源四郎の出会いの図」墨絵

交通アクセス

JR福工大前下車、コミニティーバス・サンライズ線、立花小学校前下車

住職の閑話

東に立花山、西に相島、そして玄界灘と豊な自然の中で、立花山の麓に立華山明鏡院独鈷寺が在ります。私は独鈷寺の九十四世住職宣明でありますが、簡単にお寺のご紹介をさせていただきます。独鈷寺は、延暦二十三年桓武天皇の時代に伝教大師様は、遣唐使の一行と共に入唐され、天台山を訪ねられ、翌、二十四年、唐より帰国、古賀の浜に着かれました。帰朝の際、持参されました独鈷と鏡により、この霊地に独鈷寺を建立されました。ですから独鈷と鏡は、独鈷寺の寺宝となっております。お寺の行事としては、二月三日の護摩供養節分祭、七月七日の薬師堂御開扉、十二月三十一日の除夜鐘撞きを行なっております。な