種因寺

伝教大師御作薬師如来(七仏薬師法海雷音如来)

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御本尊

薬師如来延暦二十三年(八〇四)春三月、伝教大師が入唐、翌年八月に帰朝して、大宰府に逗留のみぎり七仏薬師を自刻、第一座を朝倉町の南淋寺に、第二座を比叡山延暦寺の根本中堂、そして第五座を種因寺に安置した。別名を法海雷音如来と号す。

寺宝

薬師如来

年中行事

二月節分会・八月八日千燈会・十一月第二日曜日秋季大祭・毎月第二日曜日護摩祈願・毎月八日護摩祈願

縁起

当山種因寺は、比叡山延暦寺末弘仁元年(八一〇)伝教大師が開基し本尊に伝教大師が謹刻した七仏薬師の一つで法海雷音如来が安置されている。古図によると本堂・回廊・楼門・五重塔・鐘楼・仁王門・御供屋などが建ち並ぶ堂々たる大伽藍であった。こうした大伽藍も、戦国時代に大友宋麟と島津貴久の兵火に罹災され暦応二年(一三三九)八月、霊山という僧が中興し、村人の厚い信仰に守られながら時を経て、昭和八年本堂改築、平成六年に現本堂となる。本尊は厨子入り秘仏(十二年に一度の御開帳)で御前立の像は説に南北朝時代の作(作者は不明)、脇士に日光、月光両菩薩、十二神将等をまつり、境内には献舎に十三仏石像等、また一隅には伝教大師の母のものと伝われている五輪塔墓がある。

交通アクセス

電車JR筑豊本線桂川駅下車タクシーにて一〇分バス飯塚バスセンターより西鉄バス大隈行きにて下土師バス停下車、徒歩一〇分車の場合九州自動車道鳥栖ICまたは福岡ICより飯塚方面へ四〇分

住職の閑話

伝教大師が比叡山に建てたのは、薬師堂が最初であるが、承平五年(九三五)焼失、薬師如来は難を免れた。天慶元年(九三八)再建したとき、薬師仏二体に七仏薬師を新像したと伝う。薬師経には、薬師仏の像形を七体つくるとある。やがてこの説が発表して、七仏薬師の信仰が生まれた。七仏薬師は功徳に疑いを持つ人たちのために現れて、その疑問に応えたと説く。種因寺の薬師如来は厨子入り秘仏、御前立の像は説に南北朝時代の作、脇士に十二神将と客仏を侍らす。境内は、敝舎に十三仏石像をまつり、庇を分けて龕堂がある。こうした諸仏にも魅せられるが、驚いたのは一隅にある伝教大師の母のものと伝う五輪塔墓である。伝教大師の生誕地は近江国、なぜここに母の墓があるのか、土師の里で大きな夢を見たように思う。