釋迦院

日本一三千三百三十三段の石段の寺

釈迦院.psd

御本尊

釈迦如来立像二尺五寸(七十五糖)作者不明、金像である。県重要文化財指定

ご詠歌

天とことはに佛のいます鷲の峰これやこの世の淨土なるらん

寺宝

衛藤良行画絵巻物三幅

年中行事

四月八日釈尊御降誕会

縁起

海抜一千米余大行寺山頂上近くに古刹金海山釈迦院がある。往時七十五坊四十九院、寺領凡そ三千三百八十町を有し僧侶二百八十人余、四宗兼学道場とし盛大であった事を伝えている。天正年間小西行長の兵火にて一坊残す事なく灰塵に帰し、後加藤清正忠広二代にて再興、明治二年廃佛毀釈の難に依り廃寺に至るも年来地之有志の復興努力により寺院境内山林現状に復す。開基は弉善大師、大師には出生伝説を残す。宝亀八年正月二十九日種山村梅林(現在八代市東陽村)にて誕生、幼名を薬蘭と云う。時の国司藤原朝臣道妙は、多聞天蓮華を捧げ南に飛び種山村権三(或説権藏権操)の家に到り妻お米の枕元に置く光明輝き男子誕生の夢を三回見る。不思議に思い、当時の国府現在熊本市二本木町は土木工事の最中であり、指揮に当っていた権三に問い質されますと権三は、「自分の妻は十三ヶ月に至ってもお産がない」との事、故に同道して家に到れば、お米産気付き光明の中に男子誕生とある。時の郡司桧前正麻呂(或説桧隈、日隈政丸)養育に当り十三歳にて得度、二十三歳に至って霊雲に導かれ当山の或泉にて生身の温かい釈迦金像の湧出するに会い草庵を営み安置する。と伝えている。肥後国誌に依れば、

交通アクセス

参交バス宮原発、柿迫栗木線「落合」バス停から新道十粁、車で登れる。

住職の閑話

釈迦院

所は肥の国 八代の 幽山重なる 奥の地に 紫雲たなびく 泉あり 大地震動 あな不思議 閻浮檀金 釈迦尊像 湧出するとは 伝えたり
釈迦岳山頂 大迦藍 往古の坊舎 七十五 遠近谷々 四十九院 修行僧徒 来集し 四宗兼学 盛隆の 西の高野か比叡山 伝え残す 霊地なり
有明不知火 夕陽影 金色西の 海に映え その名を残す 金海山 せヽらぐ渓声 松風や 春の若葉に 秋紅葉 佛法僧の 声澄みて 永久の説法 釈尊の 大恩教寺と 号したり 四月八日は 花まつり 善男善女 集まりて 現世安穏 後世善処 長患いは なかりけり ぽっくり寺と 異名とる 与楽抜苦の釈迦の院