
御本尊
聖観世音菩薩 作者不詳
寺宝
阿弥陀如来、天部像
年中行事
天台会山家会、施餓鬼会
縁起
仁明天皇の御世、承和五年(八三八)当時全国的に疫病、天災の為、病死者、餓死者が続出し、人心は乱れ世情が悪化した。太宰府の鎮守府将軍俊仁は、僧仁海にこの災難を防除するために、延暦寺として三学寺を創建させた。応仁の乱後、二百年にわたる戦国動乱の世に入り、龍造寺の出現により近隣武将との戦も度重なり、数度の戦火に見舞われた。以来数回の建立を繰り返し、龍造寺隆信をはじめ歴代邑主の祈願寺として、又久保田、嘉瀬方面の人々の信仰を基盤に隆盛を極めた。弘化年間の三学寺由緒には、江戸時代は修験者の学舎として東西南北に堂宇を持し三学寺はその本坊と書かれている。王子宮は、三学寺の創立と共に同じく熊野権現を祠っている。神殿は校倉造で、三日月町山領にあった観音堂を現在地に移した。王子盛稲荷社は、叡山東塔星峯稲荷枳天尊を祠り商売繁昌を祈願する人々の信仰が厚い。藩政時代この周辺には台場があり、石火矢、大筒、小筒等の火器等が製造されていたともいわれている。精神的、物質的にも影響を及ぼしたこの界わいの往事の姿が偲ばれる。現在は数少無い檀家で本堂改築に寺檀推進し明るい未来に向け邁進している。
交通アクセス
JR久保田駅下車一kmバス、祐徳下り久保田宿下車五百米、上りも久保田宿下車五百米
