西福寺

対馬宗家十五代宗晴康公菩提寺

西福寺.psd

御本尊

阿弥陀如来

宝物

西福寺元版大般若経(県指定文化財)宝篋印塔(市指定文化財)

年中行事

大般若祈祷会(正月月四日)・彼岸会(三月九月)・花祭り(四月八日)・施餓鬼会(八月十日)・水子地蔵講(八月二十四日)・報恩講(十一月)

縁起

西泊権現山の麓に西福寺がある。その創建は古く、もと海見庵ともいいその後西福寺になった。天文二十二年(一五五三年)宗晴康(宗家十五代)が藩主を引退し、この寺を居館したと津島記事は書いている。眼下に西泊湾の美しい景色を見る位置にあるため海見庵と名づけたのであろう。対馬藩主の中でも逸材として名声の高い晴康がこの地を隠居地に選んだ理由は定かではないが、老後をこの地で過ごしたことは、上対馬のために大きな力になったと思われる。晴康逝去するや西福寺はその菩提寺となった。晴康の墓は西福寺西側にあり、墓の形から見て元禄以前の古い時代に作られたもので、宝篋印塔は歴史的に貴重なものである。また当寺には大般若経六百巻が蔵されているが巻末に泰定三年と書かれており元朝一三二六年の元版で杭州普寧寺で作られたことがわかっている。その施人記に「対馬州豊崎郷西泊冨岳山西福寺常住、檀越刑部少輔貞茂と記されており、貞茂が死去したのが応永二十五年(一四一八年)であることから、それ以前に贈られた事は確かである。大陸からの使者は、まず西泊湾に停泊し府城に向かっている。西福寺はそれら使節の宿泊所でもあった。西泊は、大陸文化が最初に入ったところであり、多くの歴史を秘めた名所である。

交通アクセス

比田勝港より徒歩三十分。車五分対馬空港より車一時間三十分

住職の閑話

『宗教とは何』

『宗教とは何?。』そんな質問を檀家さんにされたことがある。急な質問にハッとて私はこう答えた。『人間生活をパンやご飯だとするならば、宗教は私達にとって、ジャムやふりかけみたいなものじゃないでしょうか。ご飯だけ、パンだけでも食べられないことはない。でも、それらのものがあったほうがよりおいしく食べられるでしょう?それと同じです。宗教がなくても人は生きられます。でもより良く生活が出来るように宗教はあるんです。だから主食のご飯やパンを減らしてまで高いジャムやふりかけを買うようなことはしてはいけませんし、ましてや宗教が人間生活を脅かしてはならないのです。宗教戦争やテロの恐怖が世界中に広がっている今、私とあなたが今話したように小さい対話が集まって、大きな仕事、平和が得られるのですよ。否定はせず、理解して、信じて、待つこれが私の考える宗教です』と。皆さんはどうお考えでしょうか。