成就院

徐福伝説・はがくれの里

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御本尊

不動明王

寺宝

千手観世音菩薩・三面出世大黒天・天台大師掛軸・伝教大師掛軸・五大明王尊掛軸

年中行事

星祭護摩供法要・年中特別祈願・地鎮祭

縁起

当山は佐賀平野の北方、背振山系金立山一帯の北山正現山麓に位置する。往昔、秦の始皇帝の命をうけて不老不死の仙薬を求めて渡来したとする徐福伝説の豊富な霊域とそて山岳佛教興起し、金立神社、雲上寺は当地方の精神文化の中心として栄え、多くの事蹟とそれにまつわる行事が伝えられる。金立山一山三千坊史によれば薬師堂、護摩堂、毘沙門堂、座主坊、更に導師、咒願師、唄師、散華師、梵音師、錫杖師等、また柴灯護摩を以て国家安穏を祈祷したとある。(金立町郷土史、金立神社縁起図)また雲上寺には慈覚大師作の日天子、月天子及び十二神将を祀った記述もあるという。北山正現山は神亀年中聖武天皇の時代、僧行基帰郷の折、大寺を建立、北山一山となし後、勝務上人勅命を奉じて北山山中に修行し天台宗を開き隆昌を極めたというがその寺跡は不明である。その当時、この寺の守護神として京都伏見正一位稲荷大明神の御分霊を勧請し霊験益々現れ寺運隆昌し、北山正現嶽の森として世に現れ給い、天台宗徒が奉仕していたというが後戦火によって焼失した。後年鍋島勝茂公正現嶽に参拝その荒廃を嘆き正現稲荷の堂宇を建立し、その信仰を受くるに至る。当山は往時その奉仕の任に当っていたことが古老の話として伝えられる。安政四年正現稲荷大壇那深川藤左ェ門大聖大悲不動明王を奉安。よって当山北西部に稲荷尊天を奉安し本尊を不動明王と仰ぎ、北山一山の法灯をわずかに止め天台の法灯をここに護持している。(当山の記録、資料不明の為、主として郷土資料による)

交通アクセス

佐賀駅バスセンター発、市営バス2番のりば金立線○30番乗車、金立正現社前下車、北へ徒歩約三百米(五分)

住職の閑話

私の好きな言葉

「一隅を照らす」
私たちにとって忘れてはならない大切な言葉である。因に一隅を漢和辞典に見ると「よすみの中の一すみ、片すみ」とだけあって、いささかがっかり。三十年前のこと、あれこれ調べる中に中国の漢書、淮え南なん子じにそれらしきものがあることがわかった。「光を隙げきに受くれば一隅を照らし、光を(南面の明窓)に受くれば北壁を照らし、光を戸に受くれば室中を照らして遺物なし」とあって、いささか納得である。光はどんな小さな隙間からでも射し込んで一隅を照らす。光が大きいほど大きい場所を照らすと言う事か。勿論これが所謂一隅の出典であるかどうかはわからないが、興味ある参考として引用した。古い話だがかつて「小さな親切」が社会運動として展開された。昭和37年、当時の東大学長茅誠司氏が卒業生に贈った言葉である。行為に大小はない。小さなは誰にでも出来ると言う謙虚な心であり、豊かな心の持主を目指すところに大事な一隅の精神がある。