二階寺

信徒の洗心の場に、と開山

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御本尊

手千願観世音菩薩(座像)(十二年一度開扉)・脇仏釈迦如来(座像)脇仏阿弥陀如来(座像)※江戸中期から後期の作とされているが仏師は不詳・前立本尊・千手千眼観世音菩薩立像三尺八寸昭和二十五年十月二十三日奉安

年中行事

修正会一月元旦・星祭り採燈大護摩火渡り五十余年の伝統を持つ一月第二日曜日・節分会二月第一日曜日・春季大法要四月末、土、日曜日・護摩供祈願祭五月二十八日・施餓鬼会、千燈会七月末、土、日曜日・護摩供祈願祭堂九月二十八日・水子供養大祭十一月第一日曜日

付属堂宇

光真堂、念仏堂、権現堂、宝珠殿、護摩堂、水子堂、毘沙門堂、明王堂、養老堂、高嶋堂

縁起

二階寺(旧二階坊)は肥前藩士の祈願寺として佐賀郡本庄村字五本黒木に江戸時代に建立されたと歴代住職より伝えられる。大正六年二月に現地に移転。明治四国十六番札所。

交通アクセス

JR鹿児島本線基山駅下車北に四キロ、タクシー十分九州自動車道鳥栖ICより十五分筑紫野ICより十五分

住職の閑話

大正初期に天本徹證上人(二階坊中興第一世)により開山される。開山初期は各宗派に属さず、念仏(御座念仏)一筋にて修行し、地名上「中山寺」と称した。この寺に開山より現存する念仏堂にその寺名が刻まれている。以後、天台宗門に入り、大正三年五月九日、佐賀県佐賀郡本庄村字五本黒木天台宗延暦寺末寺二階坊の坊名を移転認可が下り、昭和三年四月本堂を建立・大正六年二月現地佐賀県三養基郡基山町大字宮浦字中山に移転す(この時三尊、本尊千手千眼観世音菩薩脇仏、釈迦如来、阿弥陀如来、を同時に移す)以後第二世吉田憲洞代において、昭和十七年三月三十日附にて二階坊を二階寺に改称。昭和二十六年三月二十六日附を以て「仏正念仏教」として当時の天台座主中山玄秀猊下より特別格本山、密教佛正法流として承認を得、現在檀信徒、洗心の道場にと念じ寺の整備を進めている。