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| 本尊:千手観世音菩薩(行基菩薩作) 住職:角 玄妙 寺宝:大般若経、地蔵菩薩、不動明王 沿革: 現存する地蔵院は明治以前まで仁比山神社の神宮寺であった護国寺の名残を留める唯一の寺で由緒は天平元年(七二九年)聖武天皇の勅願によって行基菩薩によって草創された護国寺に源を発する。往時は三十六坊あったといわれ成善坊、不動院、地蔵院の水上坊、吉祥院・法音院の成道坊や宝林坊・中道坊・円頓坊などがその名を残している。 これらの総称が護国寺で、一山の塔頭不動院は仁比山神社の別当職を兼ねていた。仁比山神社は古くは日吉神社とよばれ山王社とも称した。 承知十一年慈覚大師が唐より帰朝の際、この地で壱千座の護摩を修め閼伽井を掘って明星水と名づけた。その時土中から「日吉宮」と書いた額を掘り出し仁明天皇に奏上、仁明の「仁」と比叡山の「比」を合わせて仁比山の勅号を賜ったという。それ以来、坂本日吉神社の分霊を祀り後祈願所として尊崇が厚かったと伝える。 戦国時代の戦火で大半が焼失したが江戸時代に藩主鍋島直茂・勝茂公の援助で再建復興されている。江戸時代の古文書には「不動寺領九十六石餘末寺四ヶ寺」という記録や「此山王ノ社僧不動院の外に社ノ東ノ傍に天台宗吉祥と伝寺あり但寺領百俵なり」という記がある。 明治維新後、護国寺が神仏分離で廃寺になったあと地蔵院は吉祥院跡に移って現存し護国寺の本堂であった千手観世音菩薩をおまつりし、現在西国観音霊場二十番札所として壱千二百五十年の法灯を伝えているのである。寺の大門の金剛力士像に、かつての盛んであった一山の山容が偲ばれる。 行事:申年四月本尊開扉大法要 八月十日施餓鬼会 二月星祭節分会 毎月第一日曜朝まいり会 毎月十七日観音護摩供法要 十一月十五日〜二十五日「九年庵特別御開扉」 |