妙香庵

伝教大師像は比叡山開創千二百年を記念し建立

妙香庵.psd

御本尊

華香救世観世音菩薩

ご詠歌

天台の祖山はるかに合掌の大師像立つ宝満の里

寺宝

薬師如来・如意輪観世音菩薩

年中行事

正月五月九月(加持祈祷)・毎年十月二十五日大師祭・毎年十八日観音祭・毎月二十八日不動祭

縁起

この宝満山は、伝教大師が延暦二十三年入唐求法の途中航海の安全を祈願し、船待の為、一年七ヶ月余り留まって教化された時の霊蹟。遥か中國の天台山に向かって求道に燃え夢を拡げ胸をふくらませておられる若き日の青年僧最澄上人。やさしくおだやかな眼差しは、幾多の法門を学び仏の道へといそしまれる御姿。当庵に建立されたのは、昭和六十二年十一月十五日比叡山開創千二百年を記念致し、高さ五メートル八十センチの青銅立像である。像の右に山田天台座主猊下、左に趙樸初先生(中國仏教協会々長)御染筆の碑も建立されている。如意輪観世音菩薩美濃国郡上八幡社に安置されて居た。明治元年神佛分離令によって民間有志の家に代々奉置された。「明治八年辛卯十一月十六日改元安求是なり安求壬辰正月上院宮総代鷲見氏」と、御台座に記されある。高さ一米五十センチ青銅又玄海の海中より漁師の網に引上げられた薬師如来も青銅今妙香庵に安置。

交通アクセス

西鉄電車太宰府天満宮駅下車まほろば号豆塚バス停下車太宰府タクシー三分

住職の閑話

宝満山と叡山宝満山にはその昔、勢力ある寺院が存在していた。最初は法相宗で、後に伝教大師が唐に留学する際立寄り、入唐求法の安全を祈り七躰の薬師仏を彫り、七つの寺に安置した時から天台宗になったと聞く。最澄は七躰の薬師如来の外別に一仏像を彫うと桜の樹を伐ったところ、その桜の木から血がふき出した。最澄はこれは入唐の願が叶ふと喜びそれを地中に納め、その上に堂を建て試ここ生ろ身みの薬師如来と号したと云ふ事である。妙香庵にも不思議な御縁を頂く玄海灘の海中より漁師の網にかかり引上げられし青銅の薬師如来御入来。伝教大師の御心づかいと感謝の気持で大切にお受けした。もう一躰美濃国郡上八幡社に安置せられし如意輪観世音菩薩も同じく神仏分離令の被害者今妙香庵で気高くその美しい姿を信者の皆さんと共に泣き笑いの人生の手伝を頂いている。菩薩像も、又青銅でできている。明治元年の神仏分離令の其の時大くの人々の困惑の様子が目に浮ぶようだ。