縁起
白鳳二年(六六二)二月隆慶国師の開創、もと高良社の神宮寺を高隆寺といい、のち全く神佛混淆し近世に至る。その間、高良山中腹に位置し盛時には山内二十六ヶ寺三百六十坊一千余名の衆徒を擁し、高良座主と称してすこぶる勢力を有した。49明治初年の動乱期に本坊(蓮台院御井寺)初め山内のすべての堂塔が取り除かれ、五十九世、一二六〇余年の歴史をもつ座主職も廃せられた。第五十八世座主亮純権僧正の附弟、比叡山真蔵院住職甘井亮憲僧正は当寺を兼務し、御井寺復興を嘆願、旧来格別の寺格につきようやく明治三年復興が許可された。明治十一年(一八七九)四月、旧、宝蔵寺跡に当寺が造営され現在に至っている。





