正福寺

高良山玉垂宮にゆかり深い古刹

27_0.jpg 正福寺.psd

御本尊

阿弥陀如来座像(二尺五寸)作者不詳

寺宝

文化七年(一八一〇)第五十五世高良山座主伝雄僧正題の一石一字書写妙経塔・明治三年(一八七〇)第五十七世座主亮恩僧正建立の金剛般若経六万部供養塔・高良大明神座像

年中行事

大般若会(一月七日)・春季彼岸大法要(春分の日)・施餓鬼会(八月二日)・秋季彼岸大法要(秋分の日)

縁起

「筑後国高良山寺院興起之記」「高良座主歴代記」などによると天長年間(八二四~八三四)に草部鶴見麿なる者が神恩報謝の為に高良大菩薩とその本地の毘沙門天を安置して寺塔を興したのが始まりとされる。その後、天正年間(一五七八~一五九二)に一時廃滅したが、宝歴年間(一七五一~一七六四)に高良山極楽寺の僧、即澄上人により再興された。この時、極楽寺の本尊が阿弥陀如来だった事で正福寺の本尊も阿弥陀如来となっている。五十七世座主亮恩は当寺を座主の隠居所としたが、明治二年(一八六九)排仏毀釈により高良山御井寺(座主院)が廃されると翌年久留米藩は当寺を御井寺と改称、十人扶持を給し御井寺の寺号を存続させた。やがて御井寺が再興された為に明治十二年(一八七九)正福寺の寺号に復した。平成十一年には本堂と庫裡の落慶大法要が行われている。

交通アクセス

西鉄久留米駅より系統三番バス、約十五分、国分下車、南へ徒歩十分

住職の閑話

当山は、永い神仏習合の歴史を持つ高良山玉垂宮(現在の高良大社)にゆかり深い古刹である。現在、この地域は久留米都市計画道路の一部開通によりバイパスが整備され町の景観も劇的に変化しているが、その工事の際、遺跡が発見された。(正福寺遺跡)この遺跡では四千~三千五百年前(縄文時代後期の前半)のものとされる国内最古の柄付き石釜やドングリやそれを入れた編みかごなど多数出土している。また、昭和五十二年(一九七七)に正福寺幼稚園園舎増築の際、行なわれた発掘調査においても多数の縄文土器や石器などが採集されている。今日では、それらの遺物のほとんどが九州国立博物館と市埋蔵文化財センターに保管されている。