清瀧寺

福岡県糟屋郡古賀町薦野665

092-946-0988

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沿革史

(国鉄古賀駅こもの行西鉄バス、こもの下車徒歩十三分。高速道路古賀インターより車で約十二分)
本尊  薬師如来  行基作
寺宝 土佐光茂筆 十六書神等
沿革 亀々元年(724年)、丹治峯廷公(柳川藩立花家の祖)が高僧行基菩産を筑後観音寺建立成就して後すぐに招いて建立されたと伝える。その寺名は、境内に七ケ所の滝があったところから清い滝、つまり清滝という地名が生まれ、その名から清瀧寺と名づけられました。この七ケ所の滝は、今でも残っているところがあります(猿面ケ滝・智者ケ滝・岩ケ滝等)。天平年中、権僧正基廷の時代十七坊を有し隆盛をきわめたと伝えられております。この十七坊は今も地名として残り、又、清滝村中の内十七戸で今に至るまで先祖供養として受け継がれております。其後、諸堂焼失し、了観院という一宇のみが残り、これも更に時代を経て宝暦年中(1750年頃)焼失し、明和4年(1767年)、立花平左衛門増厚が、これを再興されました。又、江戸期における清瀧寺は (筑前国天台宗寺社御改分限帳によると)、粕屋・宗像郡にまたがる神社九社を管理し、それぞれの神社に、本地仏を置いて、神宮寺の様な、やくわりを果たしていたと思われます(この史料は清瀧寺所蔵で確実性の高いものである)。現在、清瀧寺(元了観院)と称するのは、本堂・薬師堂王・権見堂・不動山中の参道、及び巨岩(不動石)等を含めて清瀧寺と称しています。又、うら庭にある、しだれ桜は、県の天然記念物に指定され、開花時期(三月廿日〜末日ぐらい)に訪れる人は、その美しさを忘れる事ができない位です。
末寺並付属堂宇 本堂、山門、薬師堂、権現堂、観音堂、弁天堂
古文書等 天台宗寺院帳、天台宗寺社御改分限帳、明治期の筑前部全寺院の資産台帳等。
行事 一月 元旦修正会、七月 大般若会、八月 施餓鬼、十一月 檀徒先祖供養、 十二月 大師講    

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