吉祥寺

信州長野善光寺御分身安置

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御本尊

一光三尊阿弥陀如来長野県善光寺大勧進石塚慈大僧正の下開眼法要を終え分身を本尊とする。

年中行事

春・秋彼岸会

縁起

昭和五年十一月三十日発行の福岡県寺院沿革史刊行會による。当寺は熊本県玉名郡筑山村山田筑地に在りて人皇第四十三代天明天皇の御宇和銅元年開基吉祥創立比叡山延暦寺末にして三十六坊の一寺なり永應元年より九鐵高瀬驛外繁木八幡宮社僧天正三年同郡大野領主紀貫之の末孫なる紀光隆祈願所として、寺領等寄附大野二十八ヶ村より年々米十六石七斗を納めていたが天正捨貳年兵火にかかり一山焼失せる特に本寺のみ残存しかし年々敗存を生じ更に維持の道これなく苦慮の末大正十年四月十六日嘉穂郡飯塚町徳前二九三に移転し同年六月四日天台座主吉田源應猊下の圓頓戒結縁授戒會を擧行しその後境内諸設備も完備次第に信者も増加するが山崎智孝住職が退任し衰弱現存が不可能になり其の筋の許可を得て平成八年十月二十四日現在地篠栗に到る。

交通アクセス

福岡から国道二〇一号線八木山バイパスを飯塚方面へ金出の信号より約七kmカーブ十六ヶ目の山上にあり。

住職の閑話

諸悪莫作衆善奉行

善因には善果、悪因には悪果、来世を信じる事は、重要な意義があり、人を止悪と修善の方向に歩ませる深い自己反省と感謝の心の実践であり、人間となる学習があって初めて人間となる。来世を信じる事は、道徳的な生き方を促す。現在の悪因を止め、善因を勧め、悪果を反省し、善果を感謝しなければ、国と国、民族と民族との対立や抗争はさけられない。物欲・権力欲・名誉欲をもって相手を蹴落すような競争、己一人の利益の追及によって人間的つきあいが失われ争っている。思考の喪失であり、善と悪、正と不正の弁別ができてない。来世を信じない者は悪を行う、平和を求めることに関連する全ての行為が善とみなされている現在国と国民族と民族との対立、抗争はあとをたたないであろう