吉祥院

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御本尊

不動明王

年中行事

節分会二月三日

縁起

寺は、平安末期の平治元年(一一五九年)、現在地より一・五キロ南西の由木原に智光坊によって開かれた。後火災に逢い寛文一二(一六七二)年、現在地に移設された。寺の記録によると、この智光坊は筑前国御笠郡(現在の太宰府市)の成就院玄清法眼の子孫で、現在職で三十六代となる。この一帯は肥前修験道(山伏)の中心の一つで黒髪山等で修行活動する山伏集団の活動舞台であり、当寺も修験道の寺として創建された。以降、山伏の拠点として活動したが、明治初め(一八六六)の神仏分離令によって山伏集団が解体され、神社または寺院に分離され修験道は衰え、当寺は、天台宗延暦寺の末寺となった。本堂には琵琶法師と琵琶が祭られており、前代の盲僧等が琵琶法師として活動していたと思われ、盲僧取締役を仰せつかっていた。当寺の本尊は、不動明王で、参詣すると子供が育つと伝えられ、病弱な子供を連れた親や、子供に恵まれない人達がよく参られた。又、二月三日の節分には「星祭り」を行っており、以前は近隣の町村からも歩いて参っていただいていた。又、正月、五月、九月の「正五九のお祓い」地鎮祭等の諸祈願、祈祷を行っている。

交通アクセス

JR武雄温泉駅より北西、赤穂山トンネルを抜け、駅より約十キロ、武内町真手野柿田代早の原。