慶龍院

対馬国主十四代将盛公、十七代茂尚公の菩提寺

慶龍院.psd

御本尊

聖観世音菩薩

脇仏

阿弥陀如来(瑞雲山竹林院本尊)・薬師瑠璃光如来坐像(朝鮮より請来。李朝時代作同奉籠物とともに市指定文化財)

年中行事

大般若祈祷会(旧正五九月)・節分護摩祈祷会・涅槃会・春秋彼岸会・花祭り・施餓鬼会・盂蘭盆会・除夜法要・和讃会毎月二日、十六日・寺参り毎月一日、十五日、旧正五九月十八日

縁起

当山は対馬國主、宗家十四代将盛(まさもり)公並びに、十七代茂尚(しげひさ)公の菩提寺として建立された。天文八年(一五三九年)、将盛公は内乱により府中を追われた後当地に館を構えた。その長子茂尚公は伊奈郡主より、十七代國主となるも上府なきまま永禄十二年(一五六九年)わずか二十三歳で病死する。将盛公は、大いにお悼みになるが、親子といえども隠居の身なれば直接拝むことも叶わず、遠く我が子の冥福を祈るため館の西の丘に遥拝所を設けた。将盛公ご逝去の後、将盛公並びに、茂尚公の菩提寺となる。明治になり、同村にあった豊崎郡主宗能登守盛俊公(将盛公の祖父)の菩提寺瑞雲山竹林院と、近隣の鰐浦の宝蔵寺を統合し今日に至っている。

交通アクセス

九州郵船フェリー・ジェットホイル比田勝港より車で十分対馬空港よりバス(比田勝乗換)三時間。車位地時間三十分

住職の閑話

私の師僧は、先年ご遷化された叔父である西福寺の先代智亮和尚であるが、十年ほど前比叡山へ登った折ある高僧が『君の親父さんとは若い頃、無動寺谷で一緒で、さんざん悪いことばかりした』と笑いながら懐かしそうに話をされた。すぐに師僧の事だと気がついたのだが、そんな師僧が法話によく用いた歌が、『手を打てば鳥は飛び立ち鯉は寄る下女は茶を持つ猿沢の池』奈良興福寺の猿沢の池。その辺で『手を打つ』というたった一つの行為が鳥には威嚇する音に聞こえ、鯉には餌を知らせる合図に聞こえ、茶店の店員さんにはお客の呼ぶ声に聞こえる。正に三者三様、自分の思うことが百%相手に伝わるとは限らない。むしろ伝わらないことのほうが多い。そう心得て自分本位にならずに言葉を尽くせ、『忘己利他』相手の側に立って考えよという教えである。耳の痛い話であるが、自分の言動の影響力が増してきた昨今。師の思い出と共に自らを戒めている。