淨善寺

延暦年間に創建された膳所寺

浄善寺.psd

御本尊

大日大聖不動明王

年中行事

初不動大護摩供(一月)不動明王護摩供(毎月二十八日)厄除節分会・春秋彼岸会

寺宝

奉納松浦家源定公 銅造蓬莱鑑、観世音菩薩像・奉納五島藩主盛定公 弁財天像、備州長船法光鎧通一腰、扁額「端牛山」

縁起

寺伝によると、延暦十五年(七九六年)に征西将軍として西下された藤ノ近江公により小値賀島中の祈願寺として中村の地(現在の膳所城跡)に創建され、長嗣教伝を開基とした。後に牛渡に移転し公の出身地を偲んで膳所寺と呼称されて島民に親しまれた。元弘年間(一三三一年~)平戸松浦家源定公は新田干拓の大偉業を成し遂げ、御自身の守本尊であった観世音菩薩像と銅造鑑を献納して、五穀豊穣、万民安寧の祈願寺とし、知行拾弐石を賜った。大永元年(一五二一年)五島藩主盛定公は先の玉之浦の乱の際の恩に報いるため弁財天像を奉納し百石の禄に代えて五島中檀廻御免の儀を約束された。以来、五島内各地の郷中安全祈願を行っている。昭和四年(一九二九年)笛吹郷の現在地に本堂を新築し、山門と鐘楼はそのまま移築して現在に至っている。毎年台風の被害にさらされ、昭和六十三年に屋根替修復工事を終えたが、山門と鐘楼は昔のままの老姿で耐えている。

交通アクセス

船便・長崎県佐世保港から宇久・小値賀行き高速船又はフェリーで小値賀港下船・福岡市博多港から五島福江行きフェリーで小値賀港下船

住職の閑話

牛は農家の宝物

郷土の伝説「甚五郎牡」で知られる船瀬の浜には、古い慰霊塔がある。建武元年(一三三四年)平戸松浦家源定公は新田干拓の際に働いた役牛の慰霊のため「牛の塔」を建立して報恩の意を後世に伝えた。以後、数百年に亘り慰霊法要と育牛発展のため祈願祭が行われ、現在に至っている。想うに、第二次世界大戦までの小値賀では、どの農家にもひとつ屋根の下に牛を飼って寝食を共にしていた。うしは家族の一員として愛され、一家の大きな働き手として農作業をし、又、子牛は大切な収入源として大事に育てられた。牛は農家の宝物であった。毎年、牛の塔祭を執行するに当たり、先人の苦労と功績の大きさに頭を垂れ、万物への感謝の気持ちが広く人々の営みの中に続いていくことを祈念している。