観音寺

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御本尊

十一面観世音菩薩

観音霊場

九州西国第十九番・筑後国第三番

ご詠歌

(九州)数々の形を分けて縁ある人を導く法教ゆなり
(筑後)みそなわし渡したまわれ世の音はたゞ生死の海の波風

寺宝

木像毘沙門天立像(平安末期・県文指定)・高麗版「橡染紙銀字大般若経」

年中行事

正月第三日曜「初観音大祭」(開帳火渡)・五月と九月第三日曜「御開帳法要」・二月三日「節分会」(星祭)・二月第三日曜「さざんか祭」・八月一日「施餓鬼・大般若会」・八月十四日~六日「お盆供養」・十二月第一(又は第二)日曜「十夜法要」

縁起

天武二年(六七四)、天武天皇により創建されたと伝えられ、和銅元年(七〇八)、行基菩薩が巡錫され、その翌年七堂伽藍を造営、元明天皇より「観音寺」の勅号を賜わったとされる。当初は、法相宗に属していたが、承和十四年(八四七)、慈覚大師円仁が唐より帰朝の際この寺に立ち寄られ、伽藍の改修と共に天台宗に改めたといわれる。近年、境内より九ヶ所の経塚が発掘され、中でも天永三年(一一一二)の銅製経筒には法華経全巻が揃った埋蔵紙本写経としては、日本最古の経文が内蔵されていた。(九州歴史資料館保有)このほか「高麗版大般若経」(九州国立博物館保管)、平安後期の「木像毘沙門天立像」(県文指定)、室町期の「十一面観世音菩薩坐像」「羅漢渡海図」などがある。なお、境内中央には推定樹齢三五〇年の「ハルザンカ」(久留米市指定天然記念物、幹廻り一五八センチの原木)が二月中旬より三月初旬にかけて可憐な紅色の花を咲かせ、鳥や人の心を和ませている。

交通アクセス

JR久大線田主丸駅、徒歩三〇分田主丸より車で一〇分

住職の閑話

筑後川の流れに沿って東西二四kmも連なる耳納山の主峯、鷹取山の麓の広がる複合扇状地に観音寺があります。この一帯は筑後川と有明海の舟運により、朝鮮、中国の先進文化を取り入れ、珍敷塚、日の岡など、秀れた装飾古墳(国指定)の宝庫です。また、この寺のある田主丸町は、全国一の植木・苗木の町で、夏から秋にかけては大粒の巨峰ぶどうや富有柿の特産地です。また、田主丸町の「河童かっぱ」の話と観音寺の怪物の「牛鬼の手」の伝説は、現存する「ミイラ」(十七センチ)により全国的に有名です。頃は貴族の世から武士の世へと変る平安末のこと。禽獣きんじゅうや作物を荒らし、村びとを不安におとしいれた「牛鬼」を退治したのは観音寺中興で陸奥みちのく念佛の開祖と崇められる「金光坊然廓上人」といわれています。それまで、南の山を「足あ代山じろやま」と呼んでいたが、退治された牛鬼の耳を山に納めたので「耳納山みのうやま」というようになりました。