節分

二月三日は「節分」でございます。節分というのは、季節の移り変わる時をいいまして、正しくは、立春・立夏・立秋・立冬の前日の事をいうのでありますが、現在では、立春の前日のことを指しておりまして、その夜を「年越し」といい、門口にヒイラギの枝にイワシの頭を刺したものをおき、日暮れになると豆を撒く習わしがあります。

 この日で、大寒が終わって春の季節に入るわけで、節分の翌日が立春となるわけであります。

 山形県の方では、「寒ばなれ」、飛騨の白川地方では「節替わり」というそうですが、「節分」の意味をよく現しております。

 とにかく、節分の日には、鬼を払う行事が行われておりますが、最近では、やらない家庭が多くなったということで残念でなりません。ご主人はご主人なりに、子供は子供なりに、それぞれの願いを込めて、大声で豆を撒くこの行事は、本当に家庭の行事としては、実に微笑ましいもので、何時までも残しておきたいのもだと思います。

 鬼というものは、勿論、実在の動物ではありませんが、節分によく出てくる青鬼・赤鬼・黒鬼・は、それぞれ人間の三つの悪い心を形どったものだといわれております。

 それは、「欲深く、飽きずに貪ること」「自分の心に添わないものを怒り、恨むこと」「言っても仕方の無いことを言っては嘆くこと。善悪の判断がつかないこと」、これを仏教では『三毒』といって、私達の心に害毒を与える煩悩、即ち「貪」・「瞋」・「痴」の事を現したものだと言われております。

 私達には、多かれ少なかれ、これらの「むさぼり」・「いかり」・「おろかさ」の心を持ち合わせているわけですが、私達が持ち合わせている悪い心、醜い心を鬼に譬えているわけです。

    『鬼は外!福は内!』

ということは、鬼に向っていう言葉ではなく、自分自身に向って、或は、自分の家族に向って、そういう悪い心を捨てさせようとする気持ちから発展してきたとも言われております。

 我々人間の心の中には、誰でも「仏のような心」と「鬼のような心」が同居しております。「鬼の心」は追い出して、「仏の心」=「仏心」を育てたいと思っておりますし、そういう心掛けで、豆を撒きたいものだと思っております。

 また、別な説としては、昔、聞鼻(かぐはな)という鬼がいて、節分の夜に家々を回って、女の子を奪い、食べてしまうという伝説からこの行事が行われたということです。この鬼は、イワシの臭いが嫌いであるということから、戸口にイワシの頭を刺して鬼を防いだのでしょう。