日本人の宗教意識  大善寺:甘井麻樹子

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 第三章 葬儀と仏教  今日、日本仏教は「葬式仏教」という言い方でしばしば批判の対象となっている。では、どうして「葬式仏教」というものが批判の対象となっているのであろうか。

 日本の仏教は今や代表的な市場型宗教である。「葬式仏教」こそ宗教の世俗化の先頭に立っているわけで、市場社会の中の宗教のあり方を見事に示しているのである。(略)他の宗教も多かれ少なかれ市場化、産業化を進めている。葬式市場は仏教の独占に近いが、婚礼サービスの市場では仏教のシェアはゼロに近く、かわって神道とキリスト教で市場を分け合っているし、地鎮祭サービスは神道の独占であり、神社はお宮詣り・七五三・厄年のお祓いといったサービスを提供する、といった具合に、各宗教の間で「棲み分け」の関係ができあがっているのである。人々はこうしたサービスを必要に応じて利用しているが、そこに見られるのは、カネを払ってサービスを購入するという普通の市場の取引であって、宗教だからという特別な要素は何もない。神社が販売しているお守り、おみくじ、絵馬、破魔矢、などの「宗教グッズ」、寺院が拝観料を取って提供している観光サービスなども同様で、要するに日本では今や宗教の大きな部分は、市場で宗教サービスや宗教グッズを供給する宗教産業なのである。

  『脱宗教のすすめ』[14]    このように、日本人は必要なときにだけ宗教を利用しており、その代表的なものが「葬式仏教」であるという。さらに、「葬式仏教」は、仏教の堕落の象徴であり、また、日本人が「無宗教」であることの象徴でもあるというのである。表面的に見れば、そのような言われ方をしてもしょうがないのかもしれないが、視点を変えてみると、「葬式仏教」はとても奥が深くなくてはならないものであることが明らかになってくるのである。では、その「葬式仏教」とはどのようなものなのであろうか。「葬式仏教」とは、日本独自の仏教のあり方のことである。そして、この「葬式仏教」は「無宗教」であることを不思議とも思わないということを陰で支える、大きな役割を果たしているのである。「葬式仏教」は、日本独自の仏教のあり方であり、他の仏教が今も生きている国や地方で「葬式仏教」といってもほとんど意味は通じないであろう。それぐらい「葬式仏教」というものは日本固有のものなのである。まず、僧侶によって死者に戒名や法名がつけられる。法名という呼び方は、教義上戒律を必要としない浄土真宗の教団で使用される。戒名(法名)は、おしなべて「釈 ○○」と記されるが、その「釈」は、釈迦の「釈」に由来しており、仏弟子になったことを示す。もとは、生きているうちに仏教徒になった証として与えられるものであることはいうまでもない。つぎに、葬送が仏教儀礼で行われ、そのあと死者のための法要や年忌が、僧侶を招いて行われる。具体的に言えば、初夜、二七日(ふたなのか)、三七日、四七日など一週間おきの法要があって、中陰つまり四九日が行われる。このあと百ヶ日、一周忌などがあって、普通は三三回忌で終了する。 (略)  さらに、毎年故人の死んだ月日に僧侶を招いて読経をしてもらう(祥月命日という)ほかに、毎月故人のなくなった日にも僧侶を招く(月忌法要)。そして春秋の彼岸を初め、盆や祥月命日には墓参をする。そのときも、僧侶に読経を頼む。家に仏壇があって位牌があることは、いうまでもない。旦那寺には、代々の故人の過去帳に記載されており、住職はその過去帳を操っては、誰それの何回忌がまわってきました。と子孫に知らせる。それにしたがって法要が営まれる。これが「葬式仏教」の具体的なすがたなのである。

 『日本人はなぜ無宗教なのか』[15]  このように、「葬式仏教」とは死者・祖先を祭る、つまり死者祭祀のことをいうのである。しかし、阿満氏によると、インドでは七世紀後半にいたるまで、仏教徒の葬式は、火葬場で簡単な経文を読み上げるだけであったということであるし、また、仏陀は自分が死んでも葬式は在家の者に任せて弟子たちは修行に励むよう教えていることからも分かるように、仏教はもともと死者祭祀を重要とする宗教ではなかった。では、そのような仏教がどうして死者祭祀と深いかかわりを持つようになったのであろうか。それは、仏教が中国に入ってからのことである。前章で述べたように、中国では非常に「孝」という考え方が重んじられる。今生きている親に「孝」を尽くすだけではなく、その親が亡くなってからも「孝」を尽くすのである。それで、中国で死者祭祀の儀礼が発達し、その死者祭祀の儀礼が備わった形で日本に仏教が伝わったのである。では、「葬式仏教」は、どのようにして日本人に受容され、成立していったのであろうか。まず、「自然宗教」において死者の鎮魂慰霊の技術が発達していなかった古代の豪族が死者祭祀の儀礼を彼らの先祖祭祀に利用した。古代人にとって死者はケガレた存在であり、そのケガレをぬぐい去らない限り、カミにはなることができないと信じられていた。「歴代の先祖」は、先祖であっても墳墓で祭られているかぎり、「死穢」をまぬがれていないのであり、その「死穢」を克服してカミ、つまり「出自の先祖」に連なる存在となるために、新しく伝来した仏教が注目されたのである。

 『日本人はなぜ無宗教なのか』[16]  つまり、古代の豪族が仏教を利用したのは、先祖の死のケガレをぬぐい去るためであったのである。一三世紀になると、法然の専修念仏というものが登場してくるのであるが、これもまた、「葬式仏教」の成立の上では重要なものであるといえる。まず、法然の専修念仏についてであるが、法然は生きている人間の救済を念仏の対象とした。阿弥陀仏は、その人間が善人であろうが悪人であろうが、救いとって仏とするというのである。法然の念仏は、あくまでも生きている人間のためのものであり、死者の鎮魂慰霊のためのものではなかった。それが、次第に、阿弥陀仏の広大な慈悲にすがって、死者の成仏も願うという風潮が生まれてきたのである。そして、既に述べたように、日本人の現世利益重視という考え方が確立したのは近世とくに江戸時代のことであった。この日本人の意識の変化には儒教の影響が窺われるが、それと共に無視できない要因として、政治の宗教に対する介入すなわち江戸幕府による寺請檀家制度が挙げられる。 檀家制度とは、人々が必ずもよりの寺院に所属し、寺に人別(戸籍)を登録するというものである。寺院が発行する寺請証文は今でいうなら戸籍謄本、住民票、パスポートにあたり、それがなければ、結婚はもちろん就職も旅行もできなかった。そればかりか、キリシタンとみなされて村八分にされたり、ときには、死に至るほど過酷な追及を受けることもあった。そのため、寺は、檀家という形で、一人ひとりの身分を保障してやる強い権限をもつことになった。地域の住民を檀家にもつことで寺院は、安定した経済基盤をもつことになったのである。いざというときに寺の機嫌をそこねたくない檀家は、常日頃から寺につけ届けをするようになる。しかし、檀家制度が敷かれたのちも島原の乱が起こったりして、キリシタンをなかなか根絶することができないでいたため、幕府はますますヒステリックに、各藩にキリシタンの摘発を命じた。百姓の奉公人についても主人が宗門改めをすること、五人組が中心となり、一人ひとりについて檀那寺の寺請証文を作成して提出すべきこと、年季奉公人(季節労働者) についても、国もとへ所在、檀那寺、宗旨を問い合わせし、身元がはっきりしている者だけを雇うこと、もし奉公人がキリシタンであることが判明した場合は、主人も同罪となることなどが徹底され、誰もがキリシタンのあぶり出しに躍起となった。寺請証文一枚に人間の命がかかっているのだから。寺院の役割はことのほか大きかったのである。つまり、檀家制度の本質とは、寺が幕府の“出先機関”の機能を果たすことにあった。幕府や藩は、檀家制度を通じて領民や町民を把握していたのである。大名などの領主は納税台帳をもっていて、それによって領民や町民を把握していたのではないかと思う人もいるかもしれないが、日本人の大部分は実は税金を払っていなかった。直接税金を払っていたのは農民とごく一部の商人だけで、武士も町人も小作人も税金は払っていなかった。だから、その人の身元を証明するのは寺請証文しかなかったわけだ。このように、日本人全体が、自分の住んでいる地域の寺に所属させられたわけだが、それは制度上のことであって、その寺が所属する宗派の宗旨や教義を信じたからではない。だから、檀家といっても特定の宗教を信仰しているという意識はほとんどもっていなかったのである。

  『なぜ、人は宗教にすがりたくなるのか』[17] 寺請檀家制度は、主にキリシタンの摘発のために制定されたものであり、人々の宗教への関心とは全く関係がなく、それは形式だけのものであったというのである。寺請檀家制度はすべての日本人に対して行われた制度であった。つまり、田畑や家屋敷などの家産を持つ百姓はもちろんだが、ろくに家産などもたない水呑みと称された人々にまでその対象となったのである。その結果、「家」という意識が発生した。では、「家」という意識はどのようなものであるのだろうか。「家」は、家族とは全く異なる社会制度である。家族は自然発生的な集団であるが、「家」は、あくまでも特定の歴史的条件のもとで成立する制度なのであり、一四世紀から一六世紀にかけて成立したといわれる。「家」は、家業と家産をもつ「生活の拠点」であり、「社会的活動の一つの単位」であり、なによりも、「家」の永続が 「家」を構成する人々の最大の願いであったところに、大きな特徴がある。

  『江戸時代とはなにか』[18]  人々は、子孫に相続させる財産があっても、またなくても、それとは無関係に、「家」の永続を願ったのである。「家」の永続を願うことは、かつて「家」のメンバーであった祖先をも大事にするということである。彼らはその「家」意識にしたがって、自分たちの祖先祭祀を仏教式でとりおこなうようになったのである。 寺請檀家制度が確立した結果、人々は近くの寺院に所属させられる。その寺院には過去帳というものがあり、それにしたがって住職は祖先の何回忌と子孫に知らせ、子孫は住職を招いて祖先祭祀をとりおこなう。その中で「家」という意識が発生してきたのは不思議なことではなく、ごく自然なことのように思われる。その「家」という意識にしたがって人々は祖先祭祀をしてきたのであり、また、その祖先祭祀は所属していた寺院によってなされてきた。つまり、仏教式で行われていたのである。もちろん祖先祭祀には葬式も含まれており、人々は家族が死ぬと仏教式の葬儀を行った。そのことで「家」の永続を願ったのであろう。このようにして「葬式仏教」は成立し、定着していったのである。 ここで、そもそも葬式とは何なのか、また何のためにやるものなのか、葬式の役割を明らかにしたい。ひろさちや氏によると、葬式には三つの役割があるという。一,死体の処理 二,霊魂の処理 三,遺族の心の整理  もちろん、一番目の死体の処理は大事ですが、これについては今は葬儀社がやってくれますし、昔は地域共同体で、みんなで手伝って野辺の送りをやって死体を処理したわけです。だから、死体の処理については昔から現在まで、あまり問題なく処置されてきていると思います。 (略)  次は霊魂の処理です。これは、わたしとしてはお浄土を信じることが大事だと思っています。この場合のお浄土というのは、 ――即得往生――  です。「即得往生」とは、死んだ瞬間にお浄土に行っているということです。

 『お葬式をどうするか』[19]  そして、三つ目の、「遺族の心の整理」であるが、そのためにこそ葬式はあるべきであり、実際にそうなのではないだろうか。葬式というと、普通、亡くなった人のために執り行われるものだと考えられがちであるが、実はそうではなく、残された人々のためのものなのである。大事な人を亡くしたとき、残された人々はただ呆然となり、生きる気力さえ無くしてしまうものだ。しかし、彼らはその愛する人の死という大きな苦しみを背負って、それでもなお生きていかなければならないのである。葬式とは、愛する人の死という大きな苦しみを乗り越えるための大切なものであるといえる。 また、かつての日本家庭では三世代同居が圧倒的に多かったため、じぶんの祖父母の死に立ち会うのはごく当たり前のことであった。そのうえ、現在のように医療が発達していなかったため乳児の死亡率が高く、自分の兄弟が幼いころに亡くなっていることもあった。また、自分の親を早くになくすことだってあったのである。しかし、戦後の日本は核家族化が急速に進み、祖父母と一緒に暮らすことが少なくなったし、医療が進歩した結果、日常生活の中で死と直面する機会が激減したのである。このような時代の中で、葬式というものは死と真っ向から向き合わざるを得ない唯一の場であるとも言える。現代の人々は死に対する漠然とした不安や恐怖をもっているのにも気がつかないくらいに毎日を忙しく生きている。また、若いうちには自分が死ぬなんてことは普通考えないだろう。そのなかで、家族や友人の死が突然やってくると、人は自分の死への不安や恐怖と真剣に向き合わざるを得なくなる。それが葬式のときなのである。 そもそも宗教とは、人間にとって最大の苦しみである「死」をどうするのか、その苦しみから解放されるにはどうしたらよいのか、を考えるところから始まっている。それは、仏教に限らず、キリスト教、ヒンドゥー教、その他の宗教でもその始まりは おなじなのである。人間は「死」を考えることができる唯一の動物である。他の動物に「死」を考えることはできない。しかしまた、それによって「死」への不安・恐怖 などさまざまな苦しみが発生することは否めない。その苦しみを乗り越えるために宗教があり、その一つとして仏教が存在しているのである。つまり、宗教は生きている人間のために存在しているということである。 このように、葬式とは宗教のそもそもの始まりである。「死」という人間の最大の苦しみを乗り越えるということと深く関わっているのである。あるいは、宗教の本来の目的をそのまま行うものと言っても言い過ぎではないだろう。これこそ宗教のあるべきすがたであるともいえるのである。一般に、「葬式仏教」という言い方で、人が死んだときにだけ仏教にすがると馬鹿にしているところがあるが、それこそが最も重要なのであり、自分にとって大事な人がなくなった、あるいは、自分の死への不安や恐怖と向き合った、まさにその時に、仏教は、あるいは宗教とも言い換えることができるが、必要なのである。竹内氏の葬式仏教に対する批判は、市場原理で考えたときのものである。葬式というものを竹内氏のいう「市場」すなわち金と利益だけで片付けることが本当にできるのであろうか。竹内氏の批判には人の精神的な部分が含まれていない。精神的な部分を踏まえた上での批判ならばこちら側も考えるべきところがあるのだろうが、その一番大事な部分が少しも考えられていない竹内氏の市場原理での宗教批判は受けることができない。そもそも完全に金と利益だけで考える市場原理 で、どこまでも自分というものを見つめていく宗教は語れないのである。そういうわけで、人が死んだら必ずと言っていいほど葬式を行う日本人が無宗教であるとは到底、考えられない。つまり、日本人が無宗教であると言い切ることはできないのである。

  結論  第一章では、様々な統計から日本人は自分のことを「無宗教」であると考えていることが分かったが、それは他人と違っているように思われることをきらう日本人の精神的傾向であることが明らかとなった。しかし、日本人は自分のことを「無宗教である」と考えていながら、同時に初詣や彼岸の際の墓参りなどは欠かさないという矛盾が出てくるが、これは、日本人は古くから「自然宗教」の信者であったのであるが、「自然宗教」が「宗教」であるという認識がなされていないために起こっている矛盾であることが明らかとなった。また、人々の生活が現世中心になったことも日本人が無宗教であると考えられている要因として挙げられるが、それは一つには、中世に入ってきた儒教の教えが、近世に入り人々の生活の間にまで浸透したためである。「自然宗教」として祖先崇拝という概念が備わっていた日本人には、同じように祖霊を大切に思う原儒を母体とする儒教は受け入れやすかったからである。二つめには、近世に入り生産力が高まるに伴い発生してきた市場社会の経験である。その結果、人々の関心の対象は現世中心となったのである。このように日本人は儒教の影響を受けて、来世の救済よりも現世利益を重視するようになったのであるが、その根底には祖霊を大切にする「自然宗教」があったことは無視することはできないのであり、日本人は意識するにせよ、意識しないにせよ、自分の家の祖霊に対する敬いの気持ちを持ちつづけ、それが具体的な宗教活動に現れているのであるということが明らかとなった。

  第二章では、仏教すなわち「創唱宗教」には必ず備わっている「戒律」を問題とし、「戒律を守らないことが無宗教である」理由となるのかという問いに対して、中世で既に法然・親鸞・蓮如の思想によってその問題は解決されていたことが明らかとなった。彼らは仏教を「俗」の世界まで引きおろし、その結果、仏教の本質を「聖」 「俗」と区別される世界にとどまらないものであると宣言したのである。戒律を守ら ないことが日本仏教の堕落であるといわれるが、実はそうではなく、戒律にとらわれないところまで行き着いたのであって、戒律を守らないことで日本人が無宗教であるということはできないのである。

 第三章では、「葬式仏教」が日本仏教の宗教産業化の筆頭であるという批判に対し、「葬式仏教」はそもそもの仏教の目的と深い関わりがあり、これこそが宗教の本来あるべきすがたであることが明らかとなった。江戸時代に確立した寺請檀家制度が仏教の堕落に拍車をかけたという見方があるが、一方では、人々に「家」という意識を浸透させ、その結果として仏教式の先祖祭祀がなされるようになったのである。葬式は遺族が苦しみを乗り越えるためにも必要であり、人が「死」を向き合う場でもある。本来宗教は「死」という人間最大の苦しみを乗り越えるということから始まっており、それと深く関わっている葬式は宗教のあるべきすがたそのものともいえるのであり、人が死んだら必ずといっていいほど葬式をする日本人が無宗教であるとは言い切れないのである。

 このように、第一章から第三章まで「日本人は果たして無宗教であるのか」という問いに対して「宗教意識」「戒律」「葬儀」という面から考察してきたわけだが、それに対する答えを一言でいえば「日本人は無宗教ではない」ということになる。批判される事柄には必ずそこに行き着く過程や理由があり、真にそれを理解した上でのみその批判は許されるべきである。日本人は一見無宗教に見えるが実はそうではなく、もともと日本に備わっていた「自然宗教」を母体とし、仏教もそれを元にしかるべき変化を遂げた結果、現在の日本仏教の形態が出来上がっているのであり、日本人は無宗教ではないのである。科学的思考が圧倒的な勢いを見せる現代であるが、その科学でさえも解明できないものは存在する。また、政治・経済・道徳でも同じように解明できないものは存在する。科学・政治・経済・道徳というものは、そこに社会という共同体がなければ意味をなさないものである。つまり人間が自分という一人の存在になったときには必要のないものなのである。人間がたった一人の自分と向き合う時、必ず避けては通れない問題が生じる。それが「死」である。科学・政治・経済・道徳では「死」「死後の世界」というものは説明できない。その問題に取り組んだのが宗教なのである。宗教は、「死への恐怖」「死後の世界」への不安という人間最大の苦しみと真っ向から向き合っているのである。歴史的に見れば宗教も表面に出ている部分は時代とともに変化してきたのであるが、その根底には釈尊の教えという普遍的なものが流れているのである。宗教がなくならないのはそのためであり、その役割を担うのも宗教であるということができるであろう。

 参考文献表 阿満利麿 [1996] 『日本人はなぜ無宗教なのか』 (ちくま新書085,筑摩書房, 東京) 小田晋  [2000]   『なぜ,人は宗教にすがりたくなるのか』 (三笠書房,東京) 加地伸行  [1990]   『儒教とは何か』 (中公新書989,中央公論社,東京) 久保展弘  [1997]   『日本多神教の風土』 (PHP新書024,PHP研究所,東京) 浄土真宗教学研究所浄土真宗教学委員会  [1998]   『歎異抄―現代語版―』 (本願寺出版社,京都) 竹内靖雄  [2000]   『<脱>宗教のすすめ』 (PHP新書099,PHP研究所,東京) 塚本善隆  [1983]   『法然』 (日本の名著5,中央公論社,東京) ひろさちや  [2000]   『お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗―』 (PHP新書123, PHP研究所,東京)

[1] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ. [2] 小田[2000:108]を参照せよ.

[3] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ. [4] 阿満[1996:11]を参照せよ. [5] 阿満[1996:15−16]を参照せよ. [6] 阿満[1998:32―33]を参照せよ. [7] 阿満[1998:36―37]を参照せよ. [8] 加地[1990:53]を参照せよ. [9] 久保田[1997:59−60]を参照せよ. [10] 竹内[2000:17]を参照せよ. [11] 塚本[1983:361−362]を参照せよ. [12] 浄土真宗教学研究所[1998:8―9]を参照せよ. [13] 浄土真宗教学研究所[1988:1086−1087]を参照せよ. [14] 竹内[2000:22−23]を参照せよ. [15] 阿満[1996:49−50]を参照せよ. [16] 阿満[1996:53]を参照せよ. [17] 小田[2000:92−93]を参照せよ. [18] 阿満[1996:56]の尾藤[1992]の引用を参照せよ. [19] ひろ[2000:182―183]を参照せよ

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