少欲知足

 イソップ物語に、こんな話があります。犬が池のほとりで骨をくわえていました。犬は、ふと池の面を見ると、そこに自分がくわえている骨が目に入りました。犬はそれが欲しくなり、ワンとほえました。するとその時、骨は池に落ちて沈んでいきました。

 普段、あれが欲しい、これが欲しいと望んでいる人は、まさしくこの犬であります。自分はすでに持っている。しかし他人のことをうらやましがり、それを欲しいと思います。そうして苦労して手に入れますが、かわりばえせず、結局どちらか一方を捨てることになります。今、家庭で不要品となっているものの一番多いのは、パソコンだといいます。メーカーが三ヶ月ごとにモデルチェンジをし、いかにもいいように宣伝して売ってきました。しかし結局は従来と変わらず、もらい手もなく、家でじゃまものとなっています。

 骨をくわえた犬は、その骨だけで十分だったのです。

 仏教では少欲知足を教えます。欲を少なくして、足りていることをわきまえる、という意味であります。物があふれている現在、この犬のようにならないようにしたいものですね。

 

 同じことは、人生にも当てはまると思います。

世の中には、幸せはどこにもあります。

しかし人はこう考えます。

「その大学に入らなければ幸せにならない」「その人と結婚しなければ、幸せになれない」

このように思う人は、たとえそうなったとしても、幸せにはなれないのではないでしょうか。そこには過大な期待があり、幸せを得ようという欲があるからです。従ってそれが期待に反した時、幸福感は一気にしぼんでしまいます。少しの幸せでいい、それで十分と思っていると、幸福感が持続します。やはり少欲知足の心が望まれます。

「優しい言葉をかけてくれた」「パートの時給を十円あげてくれた」

このような謙虚な心を持つ人は、結局幸福な人生が送れると思います。

 

 現代はカード時代であり、日常生活での支払いはカードで済ませることが多くなりました。大手のスーパーや百貨店などはその店独自のカードを発行し、それを使えば特典があるなどして、購買欲を高めようとしています。

 カードでの買い物は、「財布の中身と相談して」という気持ちよりも、「まあ、いいか」という気になるもので、それが店側の本音であります。

 企業というのは、必要なものを売るという姿勢では成り立たず、不必要なものをどう売るか、というのが当然となっています。それ故テレビや新聞などで繰り返し宣伝し、買わそう買わそうとするのですが、その姿勢にカードがぴったり合うわけです。何となく欲しい気になり、すぐにお金が出ていかないから、「まあ、いいや」という気になり、買ってしまうのです。

 仏教では「少欲知足」、つまり欲しいという欲望を少なくして、足りることを認識する、ということを教えています。欲しい、足らないという意識が煩悩を起こし、仏道の妨げになるからです。現代のカード時代は、「少欲知足」の反対の姿勢をとらせるものであり、時に応じて一定期間カードを使わない、とするのも必要かもしれません。欲しいものは買わない、必要なものだけを買う、という姿勢も必要だと思います。

 かつて井戸端会議という言葉がありました。主婦たちが町内のたむろしやすい場所で、あれこれとしゃべくる姿が見られましたが、今はあまり見られなくなりました。しゃべくりは相変わらずなのですが、場所が井戸端ではなく、喫茶店などに移っているのです。また、ケータイも必需品となっていますし、ともかく、人とのつき合いにはお金がかかるのが当たり前になっております。人とのコミュニケーションは大事なのですが、このつき合い方にも「少欲知足」の心が、現代では必要と思われます。

 

 ある川柳の先生が、引っ越し祝いに呼ばれ、歌を頼まれました。その先生はこう詠みました。

「この家の、周りを囲む貧乏神ー」

こう詠んだところでその家の主は、さすがにむっとした顔をしましたが、先生は続けてこう詠みました。

「出るに出られぬ、福の神」

家の主の顔はすうーっとなごみました。

 現代は家の外に出ると、お金を使わせようとする貧乏神だらけ、家の中には家族団らんという福の神がいるのであります。