日本人の宗教意識  大善寺:甘井麻樹子

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  第二章 戒律と宗教の本質  第一章で述べたように、『宗教年鑑』によれば神道系の信者および仏教系の信者の数はそれぞれ約1億人と数えられており、ほぼこの二つが日本人の信仰する宗教と考えて差し支えないであろう。もちろん神道に開祖および聖典は存在せず、これは「自然宗教」と理解される。したがって日本人が神道に対する帰属意識を持たないことは明らかであり、意識することなく日本人の半数が神道の信者であると考えてよい。「自然宗教」に関しては、単に個人の意識の問題であることを鑑みれば、日本人が無宗教であるという見解が否定されることは当然なのである。

 それではもう一方の仏教系の信者についてはどのように理解されるべきなのであろうか。日本には様々な仏教宗派が存在するが、その開祖は遡れば釈尊ということが出来る。しかもそれぞれの宗派には、空海、最澄をはじめ明確な開祖が存在する。すなわち仏教は「創唱宗教」に分類されるであろう。本章では日本の「創唱宗教」の代表である仏教に関して、その信仰心と仏教のあり方の観点から考察してみたい。

 第一章において、近世の日本人の思考が現世中心となった二つめの理由として、日本人が三百年に渡って市場社会を経験したことについて論じた。すなわち、竹内氏によると市場社会が成熟するにつれ人々の関心が、信仰に裏打ちされた宗教的生活より も日常の経済的生活に移行したというのである。それでは神仏に対する信仰を堅持つつ「聖」なる生活を送ることに無関心な大衆は、本当に「宗教」を必要としなかったのであろうか。さらに言えば、仏教はこのような大衆に対して、一つの「宗教」として何ら救いを与えることはなかったのであろうか。ここではまず「戒律」という概念を問題としたい。「創唱宗教」である仏教にはもちろんその教義を示した聖典すなわち仏教聖典が存在する。具体的にはインド招来の様々な大乗経典や日本仏教各宗派の開祖が著した経典群が挙げられよう。これらの経典群にはそれぞれの教義に照らして、諸々の戒律、すなわち僧侶としての生活規定が説かれている。仏教各派の僧侶たちはこの戒律を遵守しつつ悟りという最終目的に向かって邁進していたと考えられる。このように明確な教義を持つ仏教の「聖」なる一面としては、過去の多くの僧侶たちがそうしたように、「戒律を守った上での信仰生活」というものが第一と考えられていた。このような仏教の「聖」の部分こそが竹内氏の言う「宗教らしい宗教」なのであろう。もちろん、中世の大衆はこのような「聖」なる生活を送る宗教エリート(僧侶)を尊敬し、自分の宗教的生活の模範もしくは理想と捉えたに違いない。宗教はどこまでも「聖」であることが求められていたと言ってよいであろう。近世に入ると確かに江戸幕府という安定した政体のもと、強力な市場社会が登場し、人々が「聖」を求めることは希薄になったと考えられる。しかし、仏教の側から見れば、既に中世の段階で「俗」の世界に対する働きかけがあったことも事実なのである。すなわち、法然、親鸞、蓮如らの浄土系仏教の思想が、仏教を大衆のものに引きおろした代表であると言えよう。

 仏教には五戒、十戒、二百五十戒など、たくさんの戒律が定められているのであるが、ここでは「殺さない」、「淫らな行いをしない」という二つの戒、つまり、肉食妻帯というものをとりあげて考察していきたい。人間には煩悩というものがある。そして、煩悩から完全に解放されることはきわめて難しい。その煩悩を人間の避けられない条件と認め、そこから出発した人々の存在がある。「法然」「親鸞」「蓮如」である。彼らは戒というものを重要であるとは考えなかった。彼らの思想は持戒・破戒の問題を超えたところにあったのである。では、彼らの思想とはどのようなものであったのだろうか。現世の世を暮らすべき方法は、念仏がとなえられるように暮らしなさい。念仏のさまたげにきっとなりそうであるならば、どんなものでも、あらゆるものを嫌い捨てて、これをおやめなさい。いうなれば、聖の生活をしていて、念仏が申されないならば、妻をめとって申しなさい。妻をめとって申されないならば。聖の生活をして申しなさい。

 『和語燈録』[11] 僧侶の妻帯は、平安時代の初め頃からしだいに行われはじめ、十三世紀の後半になると、一般的現象となった。それでも、持戒を固く守った少数の高僧たちはいた。その一人が法然である。しかし法然は、肉食妻帯は破戒であるという立場にはたたなかった。法然によれば、人間存在の究極目的は、往生することであって現世における持戒生活ではない。往生の唯一の道である念仏のさまたげとなるものはことごとく捨て去ってよい。と法然は言うのである。法然が創唱した専修念仏とは、持戒か破戒かというものは、その中ではまったく意味を失ってしまうような広大な本願の空間である。持戒堅固の者も専修念仏をとらないかぎり往生はかなわないし、反対に破戒・無戒の人でも、念仏によってまちがいなく往生する。つまり、法然は持戒の者も破戒の者も区別することなく受け入れるのである。その中に、肉食妻帯という破戒ははじめて公の場所を許されたのである。持戒堅固で知られた高僧たちでさえ、たびたび戒を犯しそうになったという。その事実は、持戒といっても外面もしくは意識面だけのことであって、内面あるいは意識の深層には破戒が侵入していることをあらわしている。煩悩を断じないで往生する道を開いたのが親鸞であった。あらゆる煩悩を身にそなえたわたしどもは、どのような修行によっても迷いの世界をのがれることはできません。阿弥陀仏は、それをあわれに思われて本願をおこされたのであり、そのおこころはわたしどものような悪人を救いとって仏にするためなのです。ですから、この本願のはたらきにおまかせする悪人こそ、まさに浄土に往生させていただく因を持つものなのです。それで、善人でさえも往生するのだから、まして悪人はいうまでもないと、聖人は 仰せになりました。

 『歎異章?現代語版?』[12] 親鸞によれば人間存在の本質は、持戒と破戒との双方への可能性をもったものではなく、はっきりと破戒、煩悩具足の凡夫たるところにあり、しかも本願はまさしくそういう破戒の凡夫のためのものである。それは、救われないものが救われるという矛盾の統一にほかならない。それゆえ、親鸞の仏教はもはや煩悩からの離脱を説かない。煩悩のすべてを持ったままで如来の本願に包まれよと教えるのである。親鸞のこのような思想がひろく日本人の大衆の生活に浸透したのは、蓮如の存在を通してである。蓮如は如来の本願への信心の大事さを合計三百通近くある『御文章』にくり返し説いている。なかでもつぎのものは、親鸞が開いた悪人正機の浄土真宗の真理を最も具体的に説いたものの一つである。まず、当流の安心のをもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんとちかひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく弥陀一仏の悲願すがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり、これを当流の安心決定したる信心の行者とはまうすべきなり、あなかしこ、あなかしこ。

 『御文章』[13] 【試訳】まず、浄土真宗の安心の趣旨は、必ずしも自分の心が劣っていることをも、また、迷いの心やそれからくる執着が発生することをも、抑えよというのではない。ただ商いをもし、奉公をもせよ、狩や猟をもせよ、このような罪深い行いにのみ、朝夕思い悩むわたしたちのようなとりえのないものを、たすけましょうとお誓いなさっている阿弥陀如来の本願でいらっしゃるのだと深く信じて、一心に二心なく阿弥陀如来というひとつの仏の悲願にすがって、たすけてくださいと思う心の一心に仏を信じる心が本当であるならば、必ず阿弥陀如来のおたすけを受けるものである。このうえには、何と心得て念仏を申すべきなのかと言うならば、往生は今の信心の功徳力によっておたすけがあるというありがたさに対する御恩報謝のために、自分のいのちがある限りは、報謝のためと思って念仏を申すべきである。これを浄土真宗の安心が定まっている行者と言うべきである。まことに畏れ多く、尊いことである。文明三年十二月十八日の日付があるこの文は、蓮如が越前の吉崎に進出して布教を開始した年に書かれている。その対象となったのは、自力聖道門の行者でもなければ、他人の力によって優雅な生活を楽しんでいる貴族たちでもない。商人と農民と武士と漁夫たち、つまり普通の大衆である。普通の大衆とは、煩悩の火に焼かれる以外に生きることのできない存在のことである。商いをする以上、ときには嘘を言うことは避けられない。「商いをもせよ」ということは、嘘をつくことがあってもしかたがないということである。奉公をするということは、戦いに行って人を殺す可能性をもっていることである。そうすると、「奉公をもせよ」ということは、人を殺してもしかたがないということである。これらの蓮如の言葉の中には、親鸞の言葉がひびいている。煩悩とともに生きる以外に人間の生き方はない。そういう煩悩の凡夫こそ自分というものの正体だと知らされたことが、如来の本願に自分をまかせたということである。

 前章で、竹内氏は人々の生活を「聖」と「俗」で分けて説明したが、法然や親鸞や蓮如の思想は「聖」とか「俗」というものをはるかに超えたところにあり、仏教の本質に「聖」「俗」は一切関係ないのである。彼らは仏教を「俗」の生活にいそしむ人々の中に引きおろし、その結果として仏教の本質を「聖」「俗」と区別される世界にとどまらないものであると宣言した。すなわち、近世に至って大衆が「俗」にのみ関心を持つようになる前に、「俗」の生活を営む日常の中にも仏教の言う救済があることを示していたのである。

 このように、戒律を守らないすなわち「俗」なる生活を送ることが、日本人が無宗教である理由に直結するものではないことが明らかとなった。彼らの思想は、戒律を守る(「聖」)か、守らない(「俗」)かということではない。煩悩は人間から切りはなすことができないものであることを認め、それでも往生するということである。外側から見ると、戒律を守りそれに忠実な生活をすることが信仰の厚い証拠であり、そうでない者は信仰がないように思われるが、本当に重要なことはそういうことではないのである。「法然」「親鸞」「蓮如」が行き着いた如来の本願とは、持戒・破戒というものを超えたところにあり、破戒というよりも無戒であるといってよいだろう。戒律を守らないことが日本仏教の堕落であるという見方があるが、実はそうではなく、戒律にとらわれないところまで行き着いたのであって、戒律を守らないことで 日本人が無宗教であるということはできないのである。

 参考文献表 阿満利麿 [1996] 『日本人はなぜ無宗教なのか』 (ちくま新書085,筑摩書房, 東京) 小田晋  [2000]   『なぜ,人は宗教にすがりたくなるのか』 (三笠書房,東京) 加地伸行  [1990]   『儒教とは何か』 (中公新書989,中央公論社,東京) 久保展弘  [1997]   『日本多神教の風土』 (PHP新書024,PHP研究所,東京) 浄土真宗教学研究所浄土真宗教学委員会  [1998]   『歎異抄―現代語版―』 (本願寺出版社,京都) 竹内靖雄  [2000]   『<脱>宗教のすすめ』 (PHP新書099,PHP研究所,東京) 塚本善隆  [1983]   『法然』 (日本の名著5,中央公論社,東京) ひろさちや  [2000]   『お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗―』 (PHP新書123, PHP研究所,東京)

[1] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ. [2] 小田[2000:108]を参照せよ.

[3] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ. [4] 阿満[1996:11]を参照せよ. [5] 阿満[1996:15−16]を参照せよ. [6] 阿満[1998:32―33]を参照せよ. [7] 阿満[1998:36―37]を参照せよ. [8] 加地[1990:53]を参照せよ. [9] 久保田[1997:59−60]を参照せよ. [10] 竹内[2000:17]を参照せよ. [11] 塚本[1983:361−362]を参照せよ. [12] 浄土真宗教学研究所[1998:8―9]を参照せよ. [13] 浄土真宗教学研究所[1988:1086−1087]を参照せよ. [14] 竹内[2000:22−23]を参照せよ. [15] 阿満[1996:49−50]を参照せよ. [16] 阿満[1996:53]を参照せよ. [17] 小田[2000:92−93]を参照せよ. [18] 阿満[1996:56]の尾藤[1992]の引用を参照せよ. [19] ひろ[2000:182―183]を参照せよ

第三章 「葬儀と仏教」は来月の法話で。                                                                 topに戻る