尊厳の海に きらめく愛

   青松寺住職  鷲谷亮順

 「人間らしく死にたい」「自宅で死を迎えたい」と願う人が増えているという。が、厚生省が集計した「健康マップ」によると、自宅で息を引き取る70歳以上のお年寄りは4人に1人。都会になるほど`病院死’が目立つ。

 人はだれでも死について考える。生がある限り、死は確実にやってくるのだから・・・

 東京大学の岸本英夫博士は、死に対する考え方を4つに分けて論じている。

 1つは、死に反抗して生命を延ばそうとする考え方だ。中国の不老不死思想や近代医学がこれに入る。2つ目は、来世を願うこと。3つ目は自分に代わるものを残そうとする行為。芸術作品や社会的名声などがそれに当たる。そして4つ目は、生死(時空)を超脱して悟りの境地に達する。禅の教えである。

 放浪の俳人、種田山頭火の句に「生死の中の雪降りしきる」というのがある。禅僧が見る`生死の景色’とはこんな景色だろうか。

 しかし、生死を悟れる人は少ない。"案ずるより産むが易し"というが、"案ずるより死ぬが易し"という心境にはなかなかなれない。

 死とは何か。その答えは人によって違うだろう。あるいは答えがでないまま死を迎える人も多い。

 フランスの作家セスブロンは死の直前、こんな文章を残している。「死というのは多分海みたいなものだろうな。入っていくときは冷たいが、いったん中に入ってしまうと・・・。そこは永遠の命の海で、陽光(ひかり)がきらめくように愛がきらめいている」。

 今年もお盆の季節が巡ってくる。(もう過ぎたがw)「様々の施物を添えて三宝(仏・法・僧)に供養すれば、過去七世の父母は餓鬼の苦を免れる」という。

 日本は外国に比べて無宗教の国だとよく言われるが、お盆に家族や親戚など身近な者が集まって先祖の霊を祭る風習は、長い歴史の間にろ過された日本人の生活観のようなものが感じられる。

 古来、人類は死者を葬る儀式や祭礼を続けてきた。それは個人を送るセレモニーであり、一つの人生を完結させるメモリアルでもある。                                 合 掌

参考

 種田山頭火(たねださんとうか)  俳人。山口県の人。早大中退。出家して全国を放浪。1882−1940

 三宝(仏・法・僧) 仏・・仏教の教主である仏 法・・仏の教え 僧・・仏の教えを奉ずる人々の集団

 餓鬼(がき)  痩せ細って、のどが細く針の孔のようで、飲食することが出来ない。常に飢餓に苦しむ。