佛教は二千五百年の昔から、生・老・病・死の問題を解決するために心と身体の健康を維持し、活力を与える文化の総合体であった。今でいう医学、心理学、生態学、物理学と言った幅広い分野の智慧が結集している。そして、お釈迦様も実践した仏法とは、仏の教え(仏になるための教え)と言うことだけではなく、仏(ほとけ)の存在、有様・・・・・・ヨーガや禅、瞑想、呼吸法、食療法などによって生命(心)の自在と制御をおこなうこと・・・・・・を体現していく広義の健康法だった、とも解釈できる。 考えてみれば、合掌・礼拝に始まり読経や念仏と続く朝の勤行。精進料理による食事。そして作務、座禅、内観など、僧坊の生活は現代人にとっても必要な健康法に満ちている。しかも天台宗の常行三昧とか回峰行をはじめ、各宗派には定められた特別な行がある。そのひとつひとつが、正しい呼吸法により身体の運動・調整と心のコントロールをおこなう健康法なのだ。 ひるがえって、現代人を取り巻く地球の環境を見ると、言うまでもないことだが、悪化の一途をたどっている。炭酸ガスによる地球の温暖化、ダイオキシン、環境ホルモン、農薬や化学肥料による人体への薬害、地力の衰え、合成洗剤による湖沼、河川、海の汚染。原子力発電の原子炉から排出される放射性物質は海に捨てられ、海の生物を解し濃縮されて人間の口に巡り回って入ってくる可能性がない事はない。 しかも私たち日本人は、戦後の五十有余年間に食生活の急激な波にさらされてきた。科学調味、合成甘味料、保存料などの各種添加物入りの加工食品、インスタント食品がほとんど人体実験と言ってもいい頻度で与えつづけられた。乳製品、肉、外国産の果物など、『縄文』の昔から穀菜食を数千年も続けてきた日本人の体質には不適応な場合が少なくない食品群。脳神経や体内陳代謝を狂わし、ビタミン、カルシウムの欠乏を起こす白砂糖などを無批判に食べさせられてきた経緯がある。更に、これにタバコとアルコールの恒常的な摂取が加わって、癌、心臓病、脳卒中、肝臓病などが死亡原因の上位を占めるようになった。 とくに、ちょうど育ち盛りの世代にアトピー性皮膚炎や小児喘息などのアレルギー体質、神経障害、骨折などの怪我の多発と言った悪影響が出ている。 さて、佛教による健康法だが、水や空気がきれいで、日当たりが良く、騒音のない、情報量も過剰でない環境で生活すること。情緒を安定させ、明るく朗らかな性格、信仰心深く、気力充実し、愉快に前向きの姿勢で暮らすこと。十分な労働と、過不足のない食物によって生きること。他の生き物と一緒に、自然の中で共存していくこと・・・・・・等によって成り立つ。 人間は自然の子である。だから、大自然の法則に逆らわぬ生活をすれば心身ともに健康を維持できる。朝は早く起き、夜は早く寝ると言う素朴そのものの生活を取り戻し、栄養バランスのとれた食事を腹八分目に食べ、姿勢を正し、信ずる心を常に鍛え、人と人、人と物とのつながりを大切にして生きていく・・・・・・と言うことである。 しかし、人間の欲望はセーブするのがなんとも難しい。心の中の邪念を払って、無我の境地と言われる状態に達することが重要なテーマになってくる。佛教では、欲と嫉妬と愚痴を「三毒(貪・瞋・癡)」といって禁ずるが、こうした自ら作り出す固定観念に心惑わされ、心の歪が現れてくる。 これらのことを解決していくために、寺院が、修行から食養生、出来れば民間療法まで含めた心身の健康法を実践する“寺子屋”として機能して欲しいと考えている。早朝座禅や写経会、俳句会、書道会等を開いて欲しい。それだけ寺院は心身の健康に役立つ文化的コミュニケーションが可能な空間なのだ。これからの寺院は、地域住民の健康を担う核となると同時に、死を間近にした人々の心の苦しみを取り除く現代の往生院であって欲しい。それがいわば寺院の原点であり、寺院そのものにとっての唯一の“健康法”となるに違いない。私たちはそういう寺院に足を運びながら、佛教による自然健康法を実践しつづけていきたいと願うばかりである。 合掌 参考文献 健康と医療 池田恵観 佛教健康入門 朝倉光太郎 |