諷誦について
青松寺:鷲谷亮順
経文等を声を挙げて読むことをふじゅといい、詩文を暗誦することをふうしょうというが、節をつけて諷誦暗誦することを一般的に諷誦といっている。
諷誦文は平安時代以来の風習として行われ、主として死者の追善のために、施主が供養の趣旨を述べて、施物を添えるのを例としている。この諷誦文を佛前に捧げ、僧が読むのを聞くことが死者に対する追善になると考えられている。
僧の声の抑揚、文章の巧みさが要求され、参会者に「荘厳さ」と「厳粛さ」を通して、宗教的雰囲気をかもし出し、宗教的満足感を与えることが肝要である。
諷誦文を作る一般的な順序として次のような形式がある。
1、発端の句や春花秋月等の風情を述べる。
2、生前の業績や職業の述懐
3、病気のことや、死の無情について。
5、追善の句を述べ、それを佛法に帰する。
6、回向
例
謹みて呈す諷誦文の一章
去り行く歳月は 恰も流れる水の如く 過ぎ行く人生は 暁の夢に似てはかなし
人間ひとたび逝けば 再び帰りて相見えることは 更に無し
まこと温愛の情は断ち難く
哀惜の涙止め難し
此処に当山 春彼岸会に因んで特別回向
信心の施主は○○○様にして
弔う精霊は 俗名○○○様 法名○○○
天倫に従い世相に順応すること史上稀な一世紀
明治・大正・昭和・平成と
激動の社会を妻○○○様と手を携えて生きること七十有五年
町の長者番付には夫婦共に並び、
世人の羨望の的たり
然るに寄る年波には勝てず
町の農協長・地区の長老・○○○寺総代等
幾多の業績を残し 巨星は墜つ
仰ぎ願わくば 鷲峰の教風を移し
法華一乗の醍醐味を調え
無為玉泉の法水を注いで一念三千の円理を垂れ給え
人の世の 務めを終えて 安らけく 大慈のみ手に 帰るぞゆかしき
念佛