残る桜も、やがて散る桜

 良寛は七十四才でこの世を去りましたが、辞世の句をこう詠んでいます。

 形見とて、何か残さん、春は花

 山ほととぎす、秋はもみじ葉

 春は花の咲きこぼれる風情を、秋は真っ赤なもみじが野山を染める風情を、それぞれ鮮烈に残して散っていきます。

 ほととぎすは冥界の鳥とされていました。良寛は、ほととぎすや花や紅葉を見て、自分を思い出して欲しい、そのような心境だったのでしょうか。

 良寛は、晩年を孤独と自由という表裏一体の境遇で過ごしました。自由の立場とは、自然の中に生きるということであり、死に臨んでも自然な心情が発露されています。

 いまわの際に看取っていた人が、何か聞いておきましょうか、といいました。すると良寛は、「死にとうない」といい、少し間をおいて、「散る桜、残る桜も、散る桜」と続けました。自分は今散っていく。しかしまだ咲き誇っている花も、いずれは散っていく。それが自然の摂理であり、どの桜も受け入れざるを得ない。「死にとうない」と心の叫びを口にしつつ、冷静に「散る桜」と下の句を続けたのです。