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良源さん

ohuda.jpg良源さん
源(りょうげん、延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日)は、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんさんだいし)の名で知られる。比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。
源は、第18代天台座主(てんだいざす、天台宗の最高の位)であり、実在の人物であるが、中世以来、独特の信仰を集め、21世紀に至るまで「厄除け大師」などとして、民間の信仰を集めている。

略歴
厄よけの大師さまとして知られる元三大師。元三慈恵大師・良源上人(912~985)は、正月三日に亡くなったのでこの呼び名がある。
疫病が流行していた永観2(984)年、元三大師は鏡の前で座禅をし、自らの姿を骨ばかりの鬼に変え、その姿を写した弟子の絵を、お札に刷って家々の戸口に張るように命じ、疫病を退散させた、という。自ら鬼となって魔物と闘うので、降魔大師の名がある。
大師は深大寺に自刻像を納めたが、室町時代に深大寺が火事になったとき、元三大師像だけは五大尊池に自ら飛び込んで無事だったという。
ちなみにこの元三大師さま、実は「おみくじ」を最初に考案した人です。
角大師・豆大師
角大師-2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の像を表した絵である。伝説によると、良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるという。角大師の像は、魔除けの護符として、比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られた。

豆大師-紙に33体の豆粒のような大師像を表した絵である。慈恵大師(良源)は観音の化身とも言われており、観音はあらゆる衆生を救うために33の姿に化身するという「法華経」の説に基づいて33体の大師像を表したものである。

山家学生式(さんげがくしょうしき)

「国宝とは何者ぞ、宝とは道心(菩提心)なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。

故に古人の言わく、径寸(けいすん)十枚これ国宝に非(あら)ず。
一隅を照らすこれ則ち国宝なりと。

古哲又言く、能(よ)く言いて行うこと能(あた)わざるは国の師なり、能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり。能く行い能く言うは国の宝なり。

三品(さんぽん)の内、唯言うこと能わず行うこと能わざるを国の賊と為すと。

及(すなわ)ち道心あるの仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す。

悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。」



(国宝とは何であろうか?、宝とは仏道を求める心、菩提心である。その心ある人を国宝と名付ける。それ故に、古人(斉の威王)が云うように径寸十枚(直径が一寸もある宝石が十個)は国宝とは云えず、一隅を照らす人こそ国宝である。古の哲人(後漢の牟融(ぼうゆう))もまたこう云っている。良く説くが行動しない人は国の師である。良く行動するが、説く事の出来ない人は国の働き手である。良く行動し、良く説く人は国の宝である。上中下の中で説くことも出来ず、行うことも出来ない者を国の賊と云う。すなわち、菩提心のある仏弟子を西(インド)では菩薩といい、東(中国)では君子と云う。人のいやがる事は自分が引き受け、人の好むことは他人にゆずり、自己の利害、損得を忘れて、他人のために尽くすことが最上の慈悲である。)

◎先祖供養と日本人の霊魂観◎

卑彌呼の時代の三世紀頃の日本を記述した『魏志倭人伝』には、
倭人(日本人)が死ぬと十日あまり遺体を安置して、肉食を慎んで、喪主はその前で哭(な)き、他の者は集って歌舞飲食し。そして葬送がすむと全員が禊(みそぎ)をして穢(けがれ)を祓(はら)う。
とある。安土桃山時代の天文三(1549)年に日本を訪れた、聖フランシスコ・ザビエルは、本国に次の様に報告している。
日本の信者には、一つの悲嘆がある。それは私たち(キリスト教の宣教師の事)が教えること、即ち地獄へ堕ちた人は、全然救われない事を非常に悲しむのである。亡くなった両親をはじめ、妻子や先祖への愛の故に、彼等の悲しんでいる様子は哀れである。死んだ人のために大勢の人が泣く。そして私(ザビエル)に尋ねるのである。祈りをもって死んだ人を助ける方法はないものかと、尋ねるのであるが、私はただ助ける方法はないと答えるのみである。

熱田神宮に裁断橋と呼ばれた橋の欄杆(らんかん)が今も史跡として熱田神宮の近くに残されている。その擬宝珠(ぎぼし)の銘文には、豊臣政権樹立の仕上になった天正十八年の小田原北条氏との戦いで死亡した十八歳の堀尾金助の母親が、三十三年後の元和八(1617)年に、息子の供養の為に橋をかけたとあるのである。銘文には、ふためとも見ざる悲しみのあまり、今この橋を掛ける成。母の身には落涙(らくるい)ともなり、即身成仏し給へ、…後の世のまたのちまで、此の書付を見る人は、念佛申し給へや三十三年の供養也。とある。

新魂(あらみたま)は荒魂?

 これら資料によれば、日本人の霊魂観には、死後まもない魂は、ケガレが多くそのままにしておいては、祟りやすく恐ろしいと言う観念が濃厚に存在していた事を前提にしなければならないのである。

 即ち新魂(あらみたま)は、同時に【荒魂】であったのである。そしてそれらは、子孫の社会に災をもたらすものと考えられたのである。【荒魂】はできることならば一定の場所に封鎖鎮魂しておく必要があったとされている。こうした荒魂を鎮めるためには、『魏志倭人伝』にある歌舞飲食とあるのは、何らかの宗教儀礼がおこなわれた事を推定させる。仏教の伝来に伴って、教理としての仏教と言うよりは、お経や念仏の力によって生前の罪を滅ぼす事が出来ると信じたのであった。

 日本の庶民が罪と感じるのは、社会にたいして迷惑をかける行為にほかならない。その罪は、社会のために何か良い事を行なう事。つまり善根によってその罪を贖(あがな)うことができると考えたのである。殺人を犯した人が、民衆の為に橋を掛けたり。トンネルを造ったりした話は有名である。熱田神宮の裁断橋はまさにそうしたものであった。

 四国では、善根宿といって巡礼者を無料で宿泊させたり。食物を与えたりしたのである。今からもう30年ぐらい前、小生も学生の頃、四国お遍路を1週間ぐらい徒歩で回ったおり、お百姓さんが、お接待お接待といって、道すがら通りかかるとお金を頂いた経験があります。作善追善供養善根をする事つまり【作善】は、本来は生前に行っていくべものであったが、家族や子孫が、本人の死後代って行なう。つまり追加して善を行なうから【追善】になるのである。追善は僧侶に頼んでお経を読んでもらうことだけでなく。社会にたいして善根を積むことでもあるのである。

 それは、仏教の『慈悲』の教えと共に、日本人の運命共同体の意識から出たものであろう。社会全体と共に生き、集団往生しようとする日本人の精神生活のあらわれであった。死者の霊は、死の直後は、祟りやすく荒れる魂であったが、滅罪鎮魂供養を重ねるにしたがって、だんだんと鎮魂されて一周忌、三回忌と滅罪追善供養の贖罪儀礼を経過するに従って、一層浄化されて、神もしくは仏に近づいていく、我々の先祖は、大体この様に考えたと、多くの宗教民俗学者は説くのである。庶民は、こうした霊魂説だけでは満足せず、その魂や罪には、重量があると考え。子孫に追善供養もしてもらえない魂は、いつまでたっても軽くならないで、生前の罪を背負ったまま、地獄の底に沈殿して文字どうり【うかばれない】のである。ザビエルに地獄から救われる方法は、ないと軽くあしらわれた事の解答を、日本人自身でここに見出していたのである。

 この様に日本人は、死者の霊魂の存在を強く信じたのである。これを慰めたり、鎮めたりして、やがてその恩恵を受ける事を祈念する民族であった。それも、歌謡曲の歌詩の通り、現在・過去・未来と続く系譜的霊魂の実在を信じて疑わなかったのである。葬式や供養に代表される所謂『葬式仏教』が、日本の『家』の原理を少なからず支えており、いささか、坊主の自満足的言い方をするならば、日本の社会秩序と歴史の根底をなしていたと思うのである。宗教は個性を埋没して絶対者に帰依するものであるが、庶民にとっては極めて抽象的で難解であった。それを日本の庶民は以上述べた霊魂観にもとずいて、以下の様に理解したのである。

 即ち、生きている人間はなまじ肉体を持つ故に、有限である。しかし霊は、その有限なるを捨てた為に、無限大であり、万能になったのである。仏教の説く『ほとけ』は、即ち覚者であり、正覚を得た者、悟りを得た者と、同列に無限・永遠・万能になった霊は、同じと解したのである。即ち、死者・祖先の霊・そして仏教の説く【仏】この三者をみな同じものであると、実に平易で解りやすい庶民の仏教理解であったのである。

 それ故に、日本人は、仏檀に①仏教信仰の対象として仏を礼拝して、その加護を願い、奇跡を祈る聖檀と同時に又②先祖を想い感謝して加護を祈る祭檀でもあったのである。つまり家の中には仏檀があり、朝夕冥福を祈る、そこには、死者の御霊と共に生活していると言う慰めの心があった。仏壇を介しての先祖に象徴される見えない影の存在の部分を、少なからず無意識に意識していたのである。そして『庶民のより良く生きたい』と言う願望を、葬式仏教に象徴される仏教に託してきたのである。それは現在の自分・過去の霊魂・未来子孫全ての者が『より良く生きることへの切実な祈りであったのである。そしてその事を、庶民は焼香と言う動作を通じてあの世とこの世、生者と死者はお互いに交流できると信じたのである、香の煙が空中に漂いあの世にいる、先祖や知人に自らの気持ちと祈りが通じると信じ、焼香と言う動作に心をかよわせてきたのである。こうした日本人の祖霊観や霊魂観を理解しないと、現代の仏教を形式主義の『葬式仏教』であると、自らの都合の良い論理で理論武装して、日本人の祖霊感や霊魂観にたいして理屈以前の、心からの共感と共鳴を覚えずして、単なる経済行為に終始しては、遺族や死者に対しての冒涜であり、坊主自らの自己欺瞞である。勿論我が宗派が、先祖供養や葬儀だけを目的とする宗教では、ないこと事は言うまでもないのである。

 我々僧侶の側(宗教)にいる者は、ともすれば、魂の救済、絶対者への帰依といった要素を欠くものは、宗教でない。とする確信に満ちた信念を持っておられる方も、皆無ではないと言うより、ほとんどの方が表面上(建て前)は、そうかも知れない。それは仏教なり宗教を別格の領域や概念・観念に押し込めてしまう事なのではなかろうか?。宗教に高級とか低級とか、そんなランク付けをする意味があるのか小生は、大いに疑問に思うのである。七五三に産土神に参り、ご法事には、僧侶を招いて読経し供養する。新年には、神社に初詣に参る。これが日本人のある意味では、極めて健全な姿であるかも知れない。すくなくとも宗教を原因に同じ民族が争うそんな事態は、我が国には無かったのである。

 明治以降神道擁護の立場の人からは、死して、肉体は朽ちはてて、跡はなくとも、なおこの国土に留りて、その縁絶ちがたく毎年日を定め、子孫の世に出る姿を見たいであろうに、仏教は、こうした日本人の願を、極楽往生・成仏などと言って、此の世に出てくる事が、さも心得違いの如く余りにも遠くへ送りつけ様とした事に対して、排撃を受けたのは、記憶に新しいところである。しかし、無名の庶民の智恵は、こうした日本人の…なおこの国土に留りて、その縁絶ちがたく…に代表される日本人の霊魂観と、仏教の極楽往生、成仏という。二者選択をせずに、たくみにに霞染め染物の様に日本人固有の霊魂観を習合・同化・融合して造りあげてしまったのである。卓越した日本人の智恵であった。外国の文化や技術を巧に融合・同化するのは、なにも近世にはじまったのではなく、日本人の特技であったのである。現代の日本は、独創性に乏しく、外国模倣にすぎないと痛烈に世界から非難されると、世界の孤児になる危機感を煽り、やたら良い格好して金をばら撒く政治家には、困ったものである。

おわりに

 物質主義から、人間主義とでも言うべき精神への回帰を切望する現代にあって。こうした『葬式仏教』に象徴される日本人の霊魂観を、粗末に扱っていないか。それは、現代の日本人が、過去の霊魂観に代る新しい宗教や生きがいを創造し、発見したのではなく、日本人の霊魂観や「死」と言うものを、忘れたふりをしてひたすら「生」を求める余り、「死」を恐怖するばかりでないか?

 そして自分自身では、その解決の方法が見い出せないとするならば、我々の先祖が造りあげてきた、葬式仏教に象徴される。習俗や習慣・年中行事の意義を再度考え、現代に生きる日本人が、過去から受継ぐ伝統や霊魂観を、後世の人に伝承したいものであると思うのである。

お彼岸のあれこれ

「暑さ寒さも彼岸まで」といい、一年中で一番良い季節にお彼岸の日があります。家族そろってご先祖霊への感謝を捧げましょう。

お彼岸とは
お彼岸は年二回、三月の春分の日と九月の秋分の日を「中日」として、その前後三日ずつを合わせた一週間を「彼岸」といいます。
お彼岸という言葉は古代インド語の「パーラミター」を「到彼岸」と訳したことに由来します。極楽浄土という理想の郷(悟りの世界)を意味しており、迷いや苦悩に満ちたこの世の「比岸」(しがん)に対して理想の彼方のところ(彼)をさす言葉です。仏教では悟りをひらいた人は彼岸にたどり着く事ができるとされています。
お彼岸にはお仏壇やお墓を美しく整え、花や水、故人の好物をお供えし、線香や灯明をあげて供養します。なお、彼岸の行事は、インドにも中国にもない日本独特の行事です。
また、彼岸に到達するために、「六波羅密」という六つの実践方法をすすめています。
1.「布施(ふせ)」自分の持っているものを他の人に感謝の心で施しをする
2.「自戒(じかい)」いましめを守る
3.「忍辱(にんにく)」不平不満をいわず正しい心を持ち続ける
4.「精進(しょうじん)」精進努力する
5.「禅定(ぜんじょう)」常に心の平静を保つ
6.「智慧(ちえ)」ありのままの真実の姿を見つめ智慧を働かせる

お彼岸のお供えについて
お彼岸には、ご家庭でお供え物をつくりお仏壇にお供えしましょう。
彼岸の入りには、ご家庭のお仏壇の中やまわりをいつもよりていねいに掃除して新しい水や花、それに、故人の好物、季節の果物や五目寿司やおはぎ、彼岸団子などをお供えします。
近ごろではお彼岸のお供え物も買い求めてしまうことが多いようですが、できればご家庭でつくり、お仏壇に供え、お墓に供え、近隣の人、友人知人にも配りましょう。
これはまさに自分の持っているものを他に分けあたえ共に喜ぶという、お布施の精神そのものです。
お彼岸には、お盆のときのような儀式としてのしきたりはありませんが、人間の原点ともいえる行事です。
お彼岸の間は毎日、朝晩、お仏壇に灯明やお線香をあげて礼拝し、お供え物を絶やさないようご供養してください。
春牡丹、秋は萩になぞられた、日本ならではの美しい言葉です。
お彼岸のお供えになくてはならないものが、ぼた餅やおはぎです。
どちらももち米を蒸したものを丸めてそれに甘く煮た小豆をからめたものです。
両者のちがいは、春彼岸には牡丹の花をかたどって丸く大きめに、秋彼岸には、萩の花をかたどってこぶりで長めに丸めてつくり、春は「ぼた餅」、秋は「おはぎ」とよんだといわれます。
日本人の季節関する繊細さが美しく表現された言葉ですね。
お彼岸がきてもお参りするお墓がなくても、心を向けて…。

お墓参り
昔からお彼岸には、自分の家のお墓だけでなく、親類、縁者、知人などの家のお墓にお参りする習慣があります。
お墓がないんだけどなどとおっしゃらないで、平素ご無沙汰しているお世話になった方のお墓、亡き恩師のお墓などを先方には黙ってお墓参りをしてあげることです。
ご自分のお墓にお参りしてみたら、誰かがもうお参りして、花や水がお供えしてあったら、お互いに気持ちのよいものです。
お彼岸は、お中日を中心とした修行週間ですから、たとえお墓がなくても心がけてみてはいかがですか。

お彼岸の夕日には功徳があるというのは本当?
春分、秋分の日は、ご存じのように、昼と夜の長さが同じになって、太陽は真西へと沈みます。
この日をはさんで前後一週間が「お彼岸」です。だから「お彼岸の中日」の夕日には功徳があり、その彼方には極楽浄土があるといわれます。
お彼岸にはご先祖様のご供養とともに、ご自分の浄土への願いも込めて、春分、秋分の日には、ご家族そろって西日の沈む彼方に向かい、胸の中で念仏をとなえてみたらいかがですか。夕日の向こうには、極楽があることをこころに描いて。

失敗を成功に変える方法

ある落語家が、寄席の舞台から足を踏み外し、客席へ落ちてしまいました。

彼は、腰をさすりながら再び舞台へあがるなり「どうも。ラクゴシャです。」と一言。

「落後家」と「落伍者」をかけたうまいシャレに、観客はどっと沸きました。

失敗に、ひどく落ち込んで気持ちを暗くするのは、愚かな事です。

何かを失ったり、大勢の前で恥をかくのを恐れるあまり、挑戦する事から逃げるのは、もっと愚かです。たた一度の人生なのに、とてももったいないことです。

これに対して賢者は、その恥ずかしい失敗を、むしろ楽しもうとします。

失敗を笑い話にかえて、明るく語る事が出来ます。

生きている限り、失敗を経験しない人なんていません。

どこかでドジを踏むたびに、いちいち落ち込んでいたのでは、常に心を前向きに保つ事は難しいでしょう。だからこそ、恥ずかしい失敗は明るい「笑い話」に変えてしまった方がいいのです。

皆を元気に出来たなら、その失敗は無駄ではなかったという事。

もちろん失敗から学び、反省する事は大切ですが、必要以上に悩み、恥じることはありません。

多くを失敗する人ほど、多くを学ぶものです。

誰でも失敗するものと割り切って、失敗を恐れる心を解放する事が一番なのです。

精進

経典にはこのような言葉がございます。「一切の生まれる者は、皆必ず死に帰る。盛んなる者は必ず衰え、会う者には別離がある」

人は必ず死にます。栄えた者は必ず衰えます。巡り会った人とは必ず別れがあります。世の中の者は移ろい行くものであり、固定したものではないと仏様は教えます。

浄土宗を開いた法然さんは、精進に突いてこのように言っております。
「一丈の堀を乗り越えようと思えば、一丈五尺を超えようと励め」
人は生きている限りその時々を一生懸命に励まなければなりません。仏教は執着を離れ、こだわりを捨てよと教えますが、それだけではありません。この法然さんの言葉のように懸命に励めと教えています。

経典に「光陰むなしく渡ることなかれ」とあります。「光陰矢の如し」といい、歳月はまたたく間に過ぎて行きます。したがって無駄な時間を過ごしてはいけない。懸命に励めと教えるのです。

高校野球の監督がこんなことを言ってました。
練習をきつくやってももう一つ強くならない。そんな時、アメリカの高校や大学の野球を見る機会がありました。そこでの練習風景は、選手同士がジョークを交わし、笑顔が絶えず、実に楽しそうでした。ミスをしても誰も怒りません。ここで監督は「そうだ、自分の学校ものびのびやらせてみよう」と思いました。そしてアメリカと同じようにのびのびと選手達にやらせると、当初は確かに勝てたそうです。しかし、次第に弱くなっていき、しまいには全く勝てなくなりました。その原因は、自由やのびのびは、わがままや手抜きを生んでしまうからなのです。

人はとかく楽をしがちであり、経典はしれだからこそ、懸命に励めと教えているのです。
皆が眠っているのなら。その時こそ眠らず励め、そうすると一気に皆を追い越して行く。こう記しています。

弘法大師は「一切の生けるものは皆自分の両親であり先生である」と言っております。このことは「自分以外、皆人生の師匠なり」という言葉にも通じます。要は学ぼうという気持ちが大事であり、そうでないとどんな言葉も耳に入りません「馬の耳に念仏」ですね。

経典の中にはいい言葉がたくさんあります。
例えば般若心経に、色即是空とあります。

色は即ち空であるとしますが、男女の色事はむなしいという意味ではありません。色とは形あるものの意味です。例えば人の形はここにあるけれども、それは幻であり、本来は何も無い。空であると教えます。一切皆空といいますが、そのように見るとこだわりが消えて行きます。仏教の思想の一つの柱は、簡単に言いますとこだわるなということであります。空という言葉はこれを表したものであります。進学や就職に力を注ぎ、うまくいかなければ悩みます。しかしそのこだわりを捨てると心が広々となります。一旦こだわりを捨てて、自由の境地になり、そこでもう一度自己を見つめ直しなさい。という事なのでしょう。

一隅を照らす

先日、東京に行く用事がありました。父が心不全で倒れ、そのお見舞いがてら久しぶりに東京に帰ってみようと思ったからです。飛行機で帰りましたが羽田空港は節電のせいか、色んなところの電気が消えていました。その時に「津波の影響はここまで来ているのか・・・」と実感したのでした。

TVでは原子力発電所の放射能の問題や被災地の困難な状況、未だに見つからない行方不明の方達・・・等、情報としては理解していたのですが、やはりどこか対岸の火事みたいなところがあって、「まぁ色々大変だろうけど、大丈夫だろう。」なんて甘く見てたのでした。

空港から電車で家まで行きましたが、その最寄りの駅でもやはり節電のせいか、看板の電気や、自販機の電気が消えています。パチンコ屋さんもネオンは消えていますが、営業はしているようでした。タバコの自販機は全てが売り切れ・・・そういった状況が至る所で目に入ります。

そんな状況ですから自然と街にいるサラリーマンや仕事をしている方々の表情もなんか暗く、街の雰囲気も何となく暗いような感じを受けました。

父は病院から退院していて、家にいました。思っていたよりも元気な姿で安心しました。ですが、やはり大病を患ったものですから、家の雰囲気はどこかどんよりしていました。

先日、久留米駅で托鉢を行いました。たった2時間くらいで7万円以上も集まり、驚いたものでした。また自坊の行事で一声かけましたところ、たった一声かけただけなのに、3万円以上もの浄財が集まり驚いたものでした。

私は九州に住んでいますが、こっちはやはり元気があります。そして、元気なせいか、よく笑顔の方を見かけます。やはり、一人一人が元気があると街全体も元気に見えてくるものですね。

東日本は未曾有の大震災に遭っています。そして、それは対岸の火事ではなくやはり遠くはなれた九州でも同じなのです。私たちに出来る事は限られていますが、その中でも、被災されている方々や、救援に向かわれている方々、支援している方々に元気を分ける事ではないでしょうか?もちろん浄財を寄付する事も大事です。それをした上でそれぞれが明るく元気に振る舞う。そしてその幸せな気持ちを少しずつ色んな方にお裾分けをする。それをする事で始めは小さい輪でも皆がする事によって大きな輪になり、やがては日本を覆う様な幸せの輪になる事と思います。

一人一人は小さな明かりでも皆が照らせば大きな光になるのです。

今、まさに宗祖伝教大師様が言われている「一隅を照らす」運動が大事なのです。

日々是好日なり

山のあなたの空遠く  幸い住むとひとの言う   (カール・ブッセ)

という言葉ではじまる有名な詩があることをご存じの方も多いでしょう。

 人間というものはまことにやっかいな存在で、現在の自分にはなかなか満足しないものです。 もっとも、だからこそ進歩も発展もある、ということはできますが、忘れてならないことは、それでは、どうなったら本当に満足できるのか、ということではないでしょうか。

 メーテル・リンクの「青い鳥」によってもまことに明らかなように、「幸せの青い鳥」をいくら外で探そうとしてみたところで、「わが家」以上の「幸せな場所」などどこにもないのです。

 それにもかかわらず、若いころには早く成長すれば幸せになるにちがいない、と錯覚し、年を取ると「若いころは幸せだったなあ」と過去をなつかしんで涙しているのです。
 「明日になればきっと幸せになれる」と信じるのは勝手ですが、そのために努力することだってきわめて大切ではありますが、今日幸せだ、と感じることができない人が、はたして明日になったら本当に幸せだ、と感じることができるかどうか大いに疑問ではありませんか。

 世の中には、老若・地位・健康・男女・学歴・経歴・職業などを異にする、さまざまな人々が存在しているのですが、それらを超越してだれでもが幸せになれる道を説いているものこそが宗教ではないでしょうか。
 多くの宗教では、この世で幸せになれなかった者たちにたいして、次の世こそが理想の世界である、といった教義を説くことにもなってくるのですが、正直なところ、一般の人々にとってみれば、行ったことのない来世のことよりも、現実に生きているこの世での毎日の生活のほうこそが大切なのではないでしょうか。
 そうなってきますと、残された方法は、ただ一つということになるでしょう。

安かりし 今日の一日を 喜びて  み仏の前に ぬかづきまつる (大谷姙子)

 朝、目がさめたときに、「さあ、今日一日を絶好の日にするべく全身全霊をもってがんばろう」と誓い、せいいっぱいの努力によって得ることのできたその日一日の結果を、「本当に良い一日だったなぁ」と喜んで受けとめることができたならば、同じように素晴らしい毎日を積み重ねることができるはずなのです。

 そして、そのような毎日の積み重ねによってやがて一生を終えるころになると、「自分の一生はほんとうにすばらしい一生だったなぁ」と振り返ることができるのではないでしょうか。

 お釈迦さまが説いているように、たしかに人間にとってのこの世の中というのは、四苦八苦に代表される、さまざまな苦しみによって満たされています。

 すなわち、生まれたものはやがて老い、病にかかり死んでゆく、という苦しみの他に、愛する者たちとは永遠に離別し、怨み憎む者たちとも会ったり話たりしなければならず、そして、求め探しているものを得ることができない、といったさまざまな苦しみが、私たちを襲ってくるのです。

 それにもかかわらず、私たちの一人一人は、死ぬその日まで生き続けてゆかねばならないし、せっかく生きている毎日ならば、その中で喜びを見出してゆくことが大切なのではないでしょうか。

 過ぎ去った日々を後悔の念をもって思い起こすのではなく、ぜったいに戻ってはこない、今日という一日を、せいいっぱいに生きることこそが、人間として生まれさせてもらった私たちの本当の生き方なのです。

 心地よい風を身体に受けながら、天空にかかる美しい月を眺めることができる幸せ、ということならば、だれにでも感じられるはずなのです。

 大切なのは、花が咲いているときにはその花を喜び、満月を眺めているときにはその月の美しさを観賞して、そこに生きる喜びを見出すことなのです。

 たしかに自然現象の一つ一つは、なにも私という一個人のためにあるわけではないのですが、太陽が東の空に昇るのも、真っ暗な夜に月が天空にかかるのも、暑い夏の夜に涼しい風が吹いてくるのも、そして、寒い冬に真っ白な雪が降ってくるのも、それらはすべて私の人生を意味あるものにするためであった、と受け取ったときに、その人の人生の一日一日が、まことに有意義なものになってくれるのです。

まさにそういうひとにとっては、

「日日是れ好日なり」 なのです。

 我々は、生まれた瞬間から、たとえそれがいつ訪れるかはわからないものの、死に向かって一歩一歩近づいていっていることだけはまちがいないことなのです。
 そういった無常の人生の中で、今日過ごすことのできた、一日を二度ともどってこないすばらしい絶好の一日であった、と受け止めたとき、その人の生命は輝いているといってもよいでしょう。 

ありがとうのお話

世の中にはいろんな人達が生活していますね。黒いカバンを提げ忙しそうに早足で歩くスーツ姿のサラリーマン。周りを全く気にせず、自分達の世界に入り込んでしまい、オシャベリに夢中になりながら歩くオバチャマ。激動の時代を仕事一筋ですごし、定年後目標を失ってしまい家の中にも居場所が無くなってしまい、街へ出て時間をつぶしているような方。老若男女さまざまな人々が生活しています。

その人たちの百年後のことを考えてみましょう。ほぼ全員が寿命を終えているでしょう。しかし、百年後のその場所には、やはりさまざまな人々が生活しているでしょう。そう考えると、いま生きている人たちが、ガイコツが洋服を着て生活しているように思えてしまいます。

人の数だけ死があります。そして、百年後に生きている人たちは、今の人から生命を受け継いだ人たちです。それはまるで、植物が枯れて種を残すという自然のサイクルと同じです。そこに大きな力の存在を認めて、それを信じることも必要でしょう。見えもせず、聞こえもしないものを信じるのが信仰であり、それは人間に大きな力を与えるものと思います。

私達は、さまざまな方法で亡くなった方(ご先祖様はもちろん、それ以外の方も含め)の供養を致します。その時ほとんどの方は、なくなった方を偲び、悲しみのうちに冥福を祈っていると思いますが、故人に対する最高の手向けは悲しむことではなく感謝することだと思います。
事あるごとに故人に対し、ありがとうを繰り返すと、悲しい心に光が灯りはじめ、新たな気持ちが湧き上がってきます。そして故人の分まで大切に生きよう、充実した人生を送ろうという気構えが起きるでしょう。
ある人は、「ありがとう」を繰り返すうちに悲しみがしだいに消えてゆき、幸せが舞い込むようになったと申しておりました。そして深い悲しみはいつしか故人への深い感謝に変わり始めていたそうです。

「ありがとう」は私達が普段何気なく使っているお礼の言葉です。この「ありがとう」の語源は「有り難し」、つまり「めったにないこと」という仏教語です。

私達がこの世に生まれ、そして今こうしてここに生きているということは、大変に難しいことです。まずは今、ここにこうして生きているということに感謝すべきです。

こんなお話があります。ある飛行機の国内線での出来事です。

その夫婦は、昨年交通事故で亡くなった息子の写真を持って北海道に旅行に行きました。帰りの飛行機で窓の景色を見ると、雲の間から頂を出している富士山がとてもきれいだったので、亡き息子にも見せてやろうと思い、遺影を窓に向けていました。そこへ機内サービスの飲み物を配っている客室乗務員さんが来ました。彼女は夫婦の飲み物を配り終わると、さらに一杯のジュースを差し出しました。そして「お写真の方にもどうぞ」と言ったのです。その瞬間、この夫婦は感激で言葉も出なかったそうです。たった一杯のジュースが、こんなにも人の心を熱くさせたのです。

もう一つ、ありがとうのお話をしたいと思います。

「花屋さんに小さな男の子がきて、お花を下さいと言いました。店員さんが、『誰かにプレゼント?』と聞くと、うつむいて小さな声で『お母さんに』と答えました。店員さんが赤いバラと黄色いチューリップを何本か取って組み合わせようとすると、『ダメだよ。白い花なんだ』とその男の子は言いました。店員さんは『どうして?』と聞くと、その子は、『お母さんは仏さまになったから』といい、百円玉を二枚差し出しました。これを聞いて店員さんはお金を受け取り、今度は白いチューリップをいっぱい取り出しました。そして丁寧にラップに包んで大きな真っ白なリボンをかけて手渡しました。男の子は大きな花束を抱えて「ありがとう」と言って駈けていきました。この花屋さんの店員のやさしさを見習いたいものです。

 私達は自分一人だけの力では生きて行けません。世の中すべてのものに支えられ、多くの犠牲の上に生かされているのです。このことを忘れず肝に銘じていれば、どんな時でもあらゆる自分を取り巻く環境に感謝をすることでき、感謝できる自分が幸せであると実感できるでしょう。