三力偈 ( さんりきげ )
以我功徳力 ( いがくどきりき ) 如来加持力 ( にょらいかじりき ) 及以法界力 ( ぎゅういほうかいりき ) 普供養而住 ( ふくようにじゅう )
というお経があります。私たち天台宗のお坊さんは良くお唱えします。
以我功徳力 ( いがくどきりき )とは、自分自身の功徳の力を以て、
如来加持力 ( にょらいかじりき )とは、如来(仏)様の加護のお力
及以法界力 ( ぎゆいほうかいりき )とは、私たちの回りにある法(ご縁)の力
普供養而住 ( ふくようにじゅう ) とは、それらが普く私たちに行き渡り、お導き(成就)下さる。
という様な意味です。この三つの力がうまく合わさる事で願い事などが叶うと言われています。
ですので、いくら仏様に願っていても自分に功徳がなければ届きませんし、届いたとしても、ご縁が無ければうまく回らないのです。
ここで大事なのは、やはり以我功徳力 ( いがくどきりき )ではないでしょうか。
まずはご自分で功徳を積んでいただく事により仏様からの加護のお力を頂戴できる資格が出来るのです。もしくは、その徳の多さでご利益の大きさも変わるのかも知れません。
功徳を積む。と言っても難しく考える必要はないと思います。日常生活や、ちょっとした時に人助けをしたり、ボランティア活動に参加したり、ご先祖様を大事にお祀りしたり、家族や近所の方、地域を大事にしたり・・・仏様の御心に従い奉る真心をもって、自分の良心に従った行為をすること、自分の幸せばかりを求めるのではなく、他人の幸せも願うことです。
逆に功徳を積まないで自分のエゴだけをひたすら願う、そんな身勝手な厚かましい心が、知らず知らずのうちに波長の合う妖魔や地獄を引き寄せて来るのです。そして、そういう方は感謝の気持ちを忘れてしまっているのです。
この徳を積み上げていく行為、これがまさに仏道であり成仏への道だと言われます。
自分に徳が備わってさえいれば、必死になってお願いしなくても仏様のご加護は自然にそれ相応の分がいただけます。そんな人はそれが実感できるからいつも感謝の心で生きています。
仏様の御心に添った心で自ら積み上げた功徳力が備わってはじめて、如来の加持力と法界力の三力が感応しあい、その当然の結果として祈願も成就するというものです。
死ぬ時に後悔すること25
健康・医療編
1 健康を大切にしなかったこと
2 たばこを止めなかったこと
3 生前の意思を示さなかったこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと
心理編
5 自分のやりたいことをやらなかったこと
6 夢をかなえられなかったこと
7 悪事に手を染めたこと
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
9 他人に優しくしなかったこと
10 自分が一番だと信じて疑わなかったこと
社会・生活編
11 遺産をどうするか決めなかったこと
12 自分の葬儀を考えなかったこと
13 故郷に帰らなかったこと
14 美味しいものを食べておかなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと
人間編
17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
20 子供を育てなかったこと
21 子供を結婚させなかったこと
宗教・哲学編
22 自分の生きた証を残さなかったこと
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24 神仏の教えを知らなかったこと
最終編
25 愛する人に「ありがとう」と言わなかったこと
死ぬときに後悔する事25 大津秀一
桃太郎
桃太郎
昔話の「桃太郎」は皆様ご存知かとおもいます。この昔話の本意は伝わってはおりません。内容は村の耕作物等を鬼が荒らし、その鬼をこらしめる為に、犬と猿とキジを率いて鬼が島に鬼退治に行き、鬼を退治し財宝を持ち帰り幸福に暮らした。という話しですね。ですが、これだけでは押し込み強盗とか傷害殺害事件みたいな、以徳報恨なやられたらやり返すという抗争劇でしかありません。
鬼は本当に悪い生き物でしょうか? 皆様の家の屋根瓦の一番高いところには鬼の顔を模った黒い瓦(鬼瓦)がのっているはずです。なぜ悪い鬼を大切な家の屋根瓦にのせてあるのでしょうか? 赤い鬼、青い鬼は僧侶の袈裟衣の色と同じで、修行中の鬼。高貴な色である黒、黒い鬼すなわち鬼神といい、我々を魔性のものが入り込まないように見守っているのです。怖い顔をしているので我々を導く為に悪を演じたのです。善と成るには悪は必要です。善悪不二で、必要不可欠なことです。悟りを開くには必要です。
「桃太郎」の名前ですが、桃の木には、霊力が宿り魔除けとなります。男の子は、ちいさいときは、病気に罹りやすく育てにくかった。ことから、魔物や病魔に打ち勝つ、強く逞しく育ってほしいという願いから「桃太郎」と命名したのです。
なぜ「猿」「キジ」「犬」を連れていたのか? 「申」は裏鬼門を示し隣に酉戌がいて猿を援護しています。表鬼門は、丑寅の大きく強い動物が守っているので、ここから猿、酉、戌が桃太郎の眷属となっているのです。また、「犬」は「往ぬ」で目的地に行く。(お釈迦様の境地に達する。即身成仏) 「キジ」は「生地」で、この地において有りのままの姿で精一杯に生きる。(自分の役目を果たす) 「猿」は「去る」で肉体はこの世から消滅するが魂は、霊山浄土に往くということで、現世から去る。ということなのです。
この話しは、自分自身の心の中には、人を思う心、愛し慈しむ心、人が失敗して喜ぶ心、人と争う心、人を落し入れようとする心、妬み、恨み(怨む)の心等、様々な心が常に入れ替わっています。常に自分自身を見つめ直し、正しく強い心で、正確な判断をし、思いやり慈しみの心で、日々生活して様々な人と接し自分自身の心(魂)を磨いていきなさいと言っているのです。日々「これで善かったのか?」また「総ての事に感謝」することです。感謝とは、まずお釈迦様に謝罪、反省(懺悔)することから悦びが感じ取れるのです。前をしっかり見て一歩ずつ確実に歩んでまいりましょう。たまには、休息の為に立ち止まることも大切です。
互いに精進いたしましょう。
『足跡』
ある夜、私は夢を見た。
私は、神様とともに砂浜を歩いていた。
振り返ると、砂浜には二人分の足跡が残っていた。
一つは私のもので、一つは神様のものだった。
これは、これまでの私の人生の足跡であった。
足跡を見ていると、私の人生の様々な場面が、走馬灯のように思い出さ
れた。
よく見ると、これまでの私の人生の中で、足跡が一人分しかないときが、
何度もあることに気づいた。
それは、私が辛く悲しい思いをしていた時期ばかりだった。
ああ、あの時は、信頼していた友だちに裏切られた時だ。
ああ、あの時は、失恋して落胆していた時だ。
ああ、あの時は、事業で失敗した時だ。
私は神様に尋ねた。
「神様、あなたはずっといっしょにいてくれるものと思っていました。しかし、私がもっとも辛かった時期には、一人分の足跡しか残っていません。あなたを最も必要としていた時に、どうして私をお見捨てになられたのですか?」
すると、神様は答えておっしゃった。
「いとしい大切な我が子よ。私は、愛するお前を、決して見捨てたりしない。お前をひとりぼっちにはしない。一人分しかない足跡は、お前の足跡ではないよ。その足跡は、私の足跡なのだよ。悲しみに打ちひしがれるお前を背負って歩いた 私の足跡なのだよ。」
三世と三毒
三世
仏教は、過去世(かこぜ)、現世(げんせ)、来世(らいせ)という三つの世を、人間は生き続けると考えたのです。これを三世(さんぜ)の思想といいます。
仏教ではこの世を現世と呼びます。私たちは現世に今、生きているわけですが、この現世に生まれる前に、すでに魂があって生きていたと考えます。
生まれる前の時間を過去世と呼び、過去世は長い長い無限の時だったと考えます。
過去世から、私たちは選ばれて現世に生まれて、八十年位生きたら必ず死にます。
死んでも、魂は生き続け、死んだ後の世界を来世と呼びます。
来世は過去世と同じく、やはり無限のはるかな時間を持っています。
私たちの今生きている現世は、悠久の過去世と悠久の来世にはさまれたほんの短い時間
です。
私たちはこの世での快楽だけに満足しようとしたり、この世での苦労に不平不満を吐いたりしますが、悠久の三世の時間の中では、現世なんて、ほんの一つの点に過ぎないものだと思えば、心にゆとりが生まれます。
三毒
私たちが人間として生きている以上、自分の心に抱く煩悩によって苦しまねばなりません。煩悩つまり人間の欲望が苦の原因なのです。煩悩を失くせば苦から逃れることが出来るとわかっていても、人間は死ぬまでそれを失くすことはできないでしょう。煩悩の中身を分析すれば、貪(とん)、瞋(じん)、癡(ち)の三つとなります。つまり貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)、愚癡(ぐち)の三つで、これは人間の善心を損なう煩悩なので、三毒(さんどく)といわれています。 貪(とん)は、自分の好む対象に向かって貪(むさぼ)り求める心のことで、物に限らず、地位、名誉、富、性愛すべてに貪が作用します。人間の貪欲には際限がありません。何ごとも小欲で足るを知るという心がけが大切です。 瞋(じん)とは、自分の心にさからうものに対して怒り怨むことです。怒り怨みを持てば、その対象に敵意を抱くことになります。 癡(ち)とはおろかさですが、仏教でいうおろかさとは、教養がないということではありません。差別する心、自己中心的な考え方の人を癡愚(ちぐ)な人と見るのです。
三毒と三徳
世の人々が苦の源を作り 苦を受ける原因は 無明といってあたかも酒のごとく人を酔わせる三毒を飲むからである
無明・・・前世の業因により 現在に善と悪との識別があきらかでないこと
■三毒・・・貪(とん) 瞋(じん) 痴(ち)
●貪:ただ自己の肉体を愛するがための欲望から起こるいわゆる 六根に六え を受けること
目には色形良きを欲求して貪る
耳には好きな音楽を聴かんとし
鼻には己の欲する芳香を貪り
舌には味わい良きを欲し
身には良き飾りを欲して着物や家屋の美しきを欲し
体の骨惜しみをして怠ける
心に修養も積まず 妙法も実行しない
六根の欲望にまかせて自己さえ良ければよい
他人への思いやりも無く
他のものを掠め取るがごとく蓄え
飢えに泣く人に一飯の食も与えず
寒さに震える者を見ても1枚の着物も与えず
哀れなる人をも慰めず
他人の心を和らげるような優しい言葉もかけない
人が腹立つような言動を行う
自分はこの世に天職を持って生まれたことや
自らが修行を重ねる菩薩なることをわきまえる
●瞋:怒ること
腹立つことはそんなに悪いこととは思わなかったり
かえって怒りをもって得意としている輩がいるが
怒りは実に恐ろしいものである
事起こって怒りをなせば その人一代に
取り返しのつかないほどの失敗をきたす
今までに積んだ功徳を 怒りの炎で一瞬で焼き尽くす
折角 これまで人に慈悲を施し 徳を積んでも
もし一度怒ったならば その徳を焼き失うばかりか
怒りが原因となってわが身に災難を招き
あるいは病気になるなど諸々の苦悩がくる
くれぐれも慎むことは 怒りである
●痴:愚痴多きこと
我々は仏より深い慈悲を貰いながら いまだ足ることを知らず
上を見ては羨み 諸仏の慈しみを少しも感謝せず
絶えず愚痴をいうことは 未来畜生道の苦しみを受ける因となる
■恐るべき三悪道
三悪道・・・地獄 餓鬼 畜生
三毒が基となって 悪道に落ちて
あらゆる苦悩を受けねばならない
●地獄・・・現世でも目の当たりに出現する
大震災 暴風雨 大水 賊が入る 病気 など
地獄の種の大部分が怒りで起きる
八大地獄
等活地獄 黒縄地獄 衆合地獄 叫喚地獄
大叫喚地獄 焦熱地獄 大焦熱地獄 阿鼻地獄
八地獄に16ずつの小地獄があり 136地獄がある
●餓鬼道・・・飢えに泣いたり 胃腸を害して食べたいものも食べれない
この原因は自分だけを愛して 他から貪った結果でなる
●畜生道・・・醜く生まれたり 人から忌み嫌われたり何を話しても人から信じれれないこれは 愚痴によって作られる
■三徳
施しのこころを持ち 柔和忍辱(にゅうわにんにく)にし愚痴を改めて仏の知恵と変える
●慈悲・・・すべて自分が欲することは 他人も欲するとの(布施の徳)思いやり持ち 分に応じた施しを行う
悲しみに遭った人は慰め 一言半句も他人の
感情を害さないように気をつけて 心を和らげることは施しとなる
自己の修養を励み 他人に妙法の真実を教え
善導することは最上の施しとなる
●勘忍・・・どんなことでも腹をたててはいけない腹が立つことが起きるのは 自分の因果である決して他人が悪いのではない
どうしても腹が立つときは
ああして私の心を試練してくれている
と悟って勘忍すると 大きな功徳となり
過去の罪の消滅になる
勘忍して沢山の徳を得ること
●至誠・・・他人を喜ばすことを自らの喜びとなす経文がいかに有難くても 実行しなければなんにもならない
三毒を飲まず 三徳を実行することが大事である。
節分の由来
2月3日は節分の日です。「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。
追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。
なぜ、豆をまく?! 鬼は外!の鬼って何?
一般的には、豆まきは年男(その年の干支を持つ生まれの人)、または、一家の主人が煎った大豆をまき、家族は自分の歳の数だけ豆を食べるとその年は、病気にならず長生きすると言われています。さて、ここで何故、豆をまくのでしょうか?
陰陽五行、十干十二支という考え方が大きく関わってきます。
「鬼門」ってご存知でしょうか?風水や家相などの東洋占星術でよく使われる言葉で北東にあたる方位が鬼門とされています。
では、なぜ北東の方位が鬼門なのでしょうか?
いろいろな説があるのですが、昔の中国の道教の影響があると言われており、冥府の神として信仰されていた「秦山府君」が住むと言われていた山が北東にあったことから、
冥府→北東→鬼門といわれています。鬼門の方角は十二支では、丑と寅の方角(うしとら)に当り、鬼の姿はこの牛の角をもち、トラのパンツを身に付けています。ここで、丑というのは12月を、寅は1月を指します。ちょうど12月から1月にかけての季節の節目に「鬼門」があるのです。鬼門は鬼の出入りする方角でこの邪気を祓うことにより、春が無事に迎えられると考えられていました。ここで陰陽五行の法則の登場です。
五行とは、自然の道理を木、火、土、金、水の五元素の事を表しており、この「金」というのが、硬いとか、厄病という意味があり、鬼の象徴で鬼が金棒を持っているのもこの「金」の象徴です。この「金」の作用をなくすのが、五行でいう「火」に当ります。
大豆というのは、とても硬いという事で、「金」に当ります。イコール鬼です。これを火で煎る(火が金を溶かすという火剋金の作用)と同時に、豆まきで外や内にこの大豆がばらまかれて結局、人間が食べてしまうことにより、鬼を退治することになります。また、豆をまく事により、五行の「木」を助けるという事で、「春の気を助ける」から「春を呼ぶ行事」でもあります。
除夜の鐘
大晦日に、1年の締めくくりとして打つ除夜の鐘は、108の煩悩を消滅して、潔白な気持ちで新年を迎えようという仏教の行事です。
煩悩の数は、俗に108つあるといわれるが、なぜこの数なのでしょう?
それには、いくつかの説があります。
そもそも煩悩とは、人間の心を乱し、迷いを起こさせる想念の事。
その根本は貧(どん・むさぼり)、瞋(じん・怒り)、痴(ち・おろかしさ)などにあり、これらが年中人間につきまとっています。
1年には、”十二ヶ月、二十四節季、七十二候”があります。
二十四節季とは、気候の変化にしたがって1年(太陽年)を24に分けたもの。
さらに、1節季にあたる約15日を3等分した5~6日を候といい、気候の変わり目の最小単位としたものが七十二候。
この12、24、72を合計すると108となり、あらゆる時の煩悩の数を表すようになったという説。
また、煩悩とは人間の感覚器官である「六根(目、耳、鼻、舌、身、意)」にいろいろな状態で表れてくる想念のことでもあります。
この六根は「好、悪、平」という3つの不同の感じ方をします。
「好」は望ましい形、「悪」は望ましくない形、「平」はその中間をいい、その程度は「浄」と「染」とに分かれ、それが現在、過去、未来にわたって人の心を煩わすというので、すべてを掛け合わせた6×3×2×3=108が煩悩の数となる、という説。
さらに別の説もあります。
六根は六塵(色、声、香、味、蝕、法)に接する時に煩悩が生じ、それは、好・悪・平の三不同か、「楽(快い気持ち)」「苦(不快な気持ち)」「捨(快でも不快でもない)」の三受かに分かれる。すると、六根は、6×3(三不同)+6×3(三受)=36の状態に分かれ、それが過去、現在、未来のいずれにも存在するとして36×3=108となり、これを煩悩の数とする説です。
いずれの説にしても、仏教では煩悩の数は108には違いありません。
除夜の鐘は1~107までを年内に打ちます。
107番目に打つ鐘を「最後の宣命」といい、年が明けてから打つ108番目を「最初の警策」といいます。
「警策」は、座禅の時に気のゆるみをい戒めるために使われる棒のことです。
除夜の鐘を打つ風習は、中国では宋の時代、日本では鎌倉時代に禅寺ではじまったといわれています。
おかげさま
自分の番(相田みつを)
父と母で2人 父と母の両親で4人 そのまた両親で8人…こうして数えてゆくと 10代前で1024人 20代前では…? なんと、100万人を超すんです
過去無量の いのちのバトンを 受け継いで 今、ここに 自分の番を生きている それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです
私たちは1人の命で生まれ生きて来たわけではないですね。私たちには必ず両親がいます。そしてその両親にも必ず両親がいます。そうやって人間…全ての生物は命のバトンを受け継いで生きているのです。今までも。そしてこれからも…
それを踏まえた上でこの詩が生きてくるのではないでしょうか
ご先祖の血 みんな集めて 子が生まれ
ですが、最近の世の中の風潮はこのような感じではないでしょうか。
親孝行したい時には 親は無し
親孝行したくないのに 親がおり
私たちには、自然と決められた「両親」がいるように、かけがえの無い「絆」という縁で結ばれた人達がいます。友人であったり先輩であったり先生であったり子供であったり…ですが、その中でも特に縁を感じさせる関係はやはり両親を含む「先祖」ではないでしょうか。
歴史の教科書に載っている素晴らしい人物も、色んなお大師さまも、みんな最初は私たちと同じ「人」だったんですね。
仏も昔は人なりき 我らも終には仏なり
仏さまも昔は人であったし、私たちもいつかは仏になれるのではないでしょうか。皆さんのご先祖さまも今では立派な仏さまになられている事と思います。
そこで…
見えなくても 美しい花を 供えたい
食べなくても 美味しいものを 供えたい
聞こえなくても 一緒に話がしたい
そんな気持ちでご先祖さまを供養したい
という気持ちで先祖さまに両手を合わせる心のゆとりが欲しいものですね。今の世の中、心と体のバランスが崩れてきています。心にゆとりがないんですね。手を合わせる時間はほんの5分でも1分でもかまわないのです。まずは手を合わせて、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、先祖の皆さんと心でお話される事が大事なんではないでしょうか。
銀の手。金の手。宝の手!
「口も八丁、手も八丁!」と千の手を持つ千手観音。その千の手は与願手・施無畏手・合掌手など、人々を幸せにするラッキーハンド。手を合わせるのは〝平和の印〟お釈迦様のキーサイン。両手のシワを合せるから〝幸せ〟と言い、喧嘩の拳を振り上げるとフシを合せて〝不幸せ〟になる。心が動くと手がうごき、手が動いたら、こころも動く。だから手のひらを〈掌・たなごころ〉と言うのでしょう。
千の手は、手をかえ、品をかえ必ずや救いましょう!という慈悲の表れですね。
みなさんもその手で箸を持ち、顔も洗うし、お尻も拭きます。先手に後手に素手、空手、手ほど便利なものはないですね。指折り数えれば計算機、「あそこ!」と指差せばウインカー。髪をかきあげれば櫛になり、涙を拭けばハンカチに。つないで歩けば心の絆。額にあてれば温度計。かゆいとこかきゃ孫の手と・・・ほんと様々です。両手を合わせればあなたも立派な仏様に。パチンコ玉や麻雀牌ばかり持ってたんじゃ手抜かり・手違い・・・手玉に取られ。素晴らしい手を持ちながら「善行」をしなければ〈宝の山に入りながら手を空しゅうして帰る〉の道理。悪の匂いは元から断たないとだめ。この逆境を脱するには身の行いを正して生きるしかないのです。
さて、観音様は〝アミタ〟というパラダイスに咲くという〈蓮華〉を持つから《蓮華手(パドマ・パーニ)》というニックネームをもちます。歌手・投手・運転手・というように名は体を表します。ならば手は人なり。と言ってもよいのではないでしょうか。皆さんの手は皆さんの行動様式、人格そのものですね。ですから苦手といい、やり手、ともいいます。相手が違えば勝手も違い、うわ手にした手に上手、下手。名手もいれば晩手もいる。すべて皆さんの人柄を表しています。
あなたが光るも曇るも手きわ・手心・お手並み次第。〝事にのぞみて後悔せず〟と宮本武蔵さんも言っておられます。まさに一期一会の心意気ですね。歴史上、たった一度の今日という日を皆さんもその手で輝かせて下さい。
ゴム紐の物差し
ゴム紐って物差しにはならないですよね?だってゴムですから。伸びたり縮んだりしますから。でも人って時々そのゴム紐で物事を測ったりしてるような気がします。
「豊かさ」を測るとき。私たちは、誰もがもっと豊かになりたいと思ってますね。年収500万の人は年収1千万に!とか、人によって様々な思いがある事と思います。
ですが、その願いがある程度達成されたときに私たちは満足するのでしょうか?年収500万の人が出世をして年収1千万になってもきっと「よし次は1500万になる様に頑張ろう!」と思うはずです。最初の願いは1千万でしたけど、物差しがゴム紐なので、決して満足できないのですね。
これは人間の欲望の本質ではないでしょうか。人間の欲望を測る物差しはゴム紐であって充足されればされるほどかえって欲望は大きくなる。ゴム紐はどんどん伸びて行く。なので私たちは欲望を満たす事はできないんですね。と仏教は教えています。
仏教には「空」という言葉があります。「空」というのは、我々が持っている物差しはゴム紐であり、物が正しく測れない〜ということを教えたものです。
では何で測ればよいか?残念ながら正しく測れる物差しはないのです。ですから私たちはゴム紐の物差しを使うより他ないのです。ですが、これは仕方なくそういているのであって、それゆえ私たちはそんなゴム紐で測ったものにこだわってはならない。その「こだわるな!」というのが「空」の意味なんですね。
じゃぁ、どうしたらいいんだ!と思う方がいるはずです。ゴム紐っていうのは伸びたり縮んだりしますが、元々のゴム紐は、引っ張らなければそのまま紐の物差しとして使う事ができるのです。
引っ張らないためにはどうしたらいいか?といいますと、自らの欲望を少なくし、いま与えられている物で満足すれば良いのです。そう。仏教ではそれを
小欲知足
と言います。欲望を少なくし、足るを知るこころを持つのが、素晴らしい精神安定法ですよ。と仏教は教えているのです。
父母恩重経
仏は阿難を相手に説法された
仏はまず、人がこの世に生まれるには父母を親としたからで、父がいなければ生まれなかったし、母がいなければ育たないと説かれる。(1)子は母胎に宿ること10ヶ月して誕生するが、(2)お産の苦しみも(3)忘れて喜び、(4)母乳を飲ませる為に花のような顔がやつれたようになる。(5)子は乾いたところに寝かせ自分は湿ったところに臥せ、(6)懐に大便をし着物に尿をしても臭いや汚れも厭わない。(7)苦い物は自分が飲み甘い物は吐いて与える。そうした父母から受ける恩は極まりないほど広大なのである。
(8)子の為には悪い事でもしようと思い、(9)仕事中でも子供の事が頭から離れず顔を見るまで安心できない。(10)生きている間は身代わりになる気持ちで死んでからはいつまでも忘れない。
以上を父母の10恩徳という。
子は2歳から3歳になり、一人で自由に歩き回るようになる。父母は外でお客になり出たお菓子などをお土産に持ち帰り、子供に与える。子は更に成長し友人関係が出来てくると、髪の手入れやいい服を欲しがり、父母は古着を着て新しい物を子に与える。
ところが、子供は結婚し妻を迎えると、とたんに父母をかえり見なくなり、自分たちの部屋にこもり楽しげに語り暮らすようになる。父母は年を取り気力は衰えてもご機嫌伺いに尋ねてこない。そのうち父なり母は連れ合いを失い、人気の無い部屋で寂しく暮らしている。それはちょうど他人の家に居候している客人のような心境である。恩愛のかけらもなく、夜も眠れない。嫁もバカにして笑う始末である。そしてなんでこのような不孝の子を産んでしまったのだろうと嘆きが出るものである。
ときに急用ができて子供を呼んでも10回のうち9回は返事もしないで、かえって怒鳴り散らしてこういうのである。
「早く死んでしまうがいいさ。何も無理して生きる事は無いんだから。」
父母はこれを聞いて嘆き悲しみ、涙を流してこう言うのである。
「小さい時お前は私達がいなければ成長できなかったではないか。お前を生んだには違いないがこれでは元々生まなかったのと同じだ。」
仏は重ねて阿難に語りかけた。父母のためにこの「父母恩重経」のひとつでも良いから記憶し、読誦し、書写すれば、犯した五逆の罪(人倫や仏道に逆らう罪で、犯せば無間地獄に堕ちるといわれる。五逆とは(1)母を殺す(2)父を殺す(3)聖者を殺す(4)仏身を傷つけ出血させる(5)教団を消滅させる)は消滅し、常に仏にまみえ法を聞くことが出来るという。
親は慈に 子は孝に 夫は正に 婦は貞に 親族和睦して 卑僕忠順・・・現には安穏に住し 後には善処に生じ 仏を見 法を聞いて 長く苦輪を脱せん・・・父母の恩に報ゆる。
施餓鬼会とは
「おせがき」は、「施餓鬼会(せがきえ)」「施食会(せじきえ)」などといわれ、各宗派を通じて行われる仏教行事の一つです。
無縁の祀られない霊は、餓鬼になり災いを引き起こす。そんな言い伝えがあります。その餓鬼に飲食を施して供養する法会が施餓鬼会です。中国の唐の時代に盛んになり、日本では平安時代の初めから行われる様になりました。
その由来は『仏説救抜焔光餓鬼陀羅尼経』という経典によります。
お釈迦さまの弟子阿難尊者が夜、ひとり静かなところで坐禅していますと、焔口(えんく)という餓鬼が現われました。やせ衰え、のどは細く、口からは火を吐き、髪は無茶苦茶に乱れ、目は奥のほうに光る醜い恐ろしい餓鬼でありました。その餓鬼は阿難尊者に向って「三日の後、汝の命は尽きてわれと同じような餓鬼となるだろう」と告げました。尊者は驚愕し、「私はまだ修行が浅く、悟りに至っていない。まだ死ぬわけには行かないのだ。どうしたら死なずに済むであろう」と問い返しました。餓鬼は「あらゆる餓鬼と、婆羅門(修行者)に飲食を施せ。そうすれば我ら餓鬼は飢えから救われ、天に生まれ変わる事が出来るだろう。その功徳によって、お前は長命と幸福を得る」と言い残して姿を消しました。
尊者は呆然とし、どうやって餓鬼に施してよいかも分からず、泣いてお釈迦様に訴えました。そこでお釈迦様は全ての餓鬼や婆羅門に飲食を施し、苦しみから救う秘術を阿難尊者に授けたのです。その秘術に従って餓鬼や婆羅門に施す事が出来た尊者は、長寿を全うし悟りを開く事が出来たのでした。
こうして始まったのが「施餓鬼会」だとされているのです。
盂蘭盆会の由来について・・・
ある時お釈迦さまの弟子の目連尊者が父母の養育の恩に報いるために修行で得た神通力で亡き父母をさがすと、母は餓鬼道にいて骨と皮ばかりにやせ衰えていた。それを見た目連は食べ物を鉢に盛り母に差し出した。しかし、母が食べようとすると、それは、口のところで火に変わってしまい食べることが出来ません。目連は悲嘆のあまり号泣し、お釈迦さまの処へおもむき、そのことをありのままに述べました。お釈迦さまが示されるところによると、目連の母が餓鬼道に堕ちたのは過去世の罪過があまりに深いからであり、それを救うには汝の神通力でも如何ともしがたい、多くの出家者の力によらなければならないということでした。そして、お釈迦さまは「救済の法」を示し、その法によればすべて「憂苦を離れ罪障を消除」させることができると説示されました。この「救済の法」というのがお施餓鬼会の起源であり、お盆はご先祖さまへの孝順供養の教えであるといえます。
盂蘭盆会に施餓鬼を営むのは目連尊者が餓鬼道におちた母を救った事に由来するものです。施餓鬼会におけるいろいろな供物なども、荘厳法(かざりつけ)も盂蘭盆会の意味が含まれているという訳です。
天台宗では、僧堂生活においてご飯をいただく時に、食台の隅に七粒のご飯をとる生飯(さぱ)ということをおこないます。一年中毎日施餓鬼供養をしているといえるでしょう。このいのちとは、この地上に生命を受けている動物植物をいただき、限りないご縁と多くのお陰をいただき尊い命を受けているのですから、自己の内心にある飢渇の心と行動を含め「少欲・知足」を感得し、一切衆生の餓鬼・精霊に施食し、衆生と共に仏道を成ずるよう修行しているのです。
手紙〜親愛なるこどもたちへ〜
手紙〜親愛なる子供たちへ〜 /樋口了一
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうか そのままの私のことを理解してほしい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても
あなたにいろんなことを教えたように 見守ってほしい
あなたと話すとき 同じ話を 何度も 何度も 繰り返しても
その結末を どうか さえぎらずに うなずいてほしい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも 同じでも 私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けてほしい
楽しいひと時に 私が思わず下着をぬらしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには 思い出してほしい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり
様々な理由をつけていやがるあなたと お風呂に入った
懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りをささげてほしい
いずれ 歯も弱り 飲み込むことさえできなくなるかもしれない
足も衰えて 立ち上がることすらできなくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうか あなたの手を握らせてほしい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないでほしい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのは つらいことだけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていてほしい
きっと それだけで それだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添ってほしい
あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛をもって 笑顔で答えたい
私の子供たちへ 愛する子供たちへ……
本願ぼこり
善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
『歎異抄』第3章
悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「悪人こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味ですね。
阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生です。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」で、よって「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意であります。
『仏説無量寿経』には、すべての人が悲しみ苦しみにあえいでいる姿をつぶさに観察した法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時代の名前)は、この人たちすべてが仏となって幸せになってもらいたいと誓いを立てた。その48の願いの第18番目の願いに、「私を信じて、私の作った仏国土(極楽浄土)に生まれたいと思って、私の名前を呼んだものは、すべての人を私の国土に生まれさせて、私の指導によって、ゆるぎない幸せな『仏陀』にさせよう」とある。(抜粋・意訳)
すなわち、すべての衆生が救済の対象である。
と、悪人でも「自分が悪い人なんだ。」と自覚したら救われるという教えを悪用して(知ってか知らぬかわわかりませんが)「私は悪いことをした。だから救われるんだ!」というような開き直りをする人が最近は増えてきているかと思います。
人を殺す為に用意する刃物・・・ちょっと昔までは人を脅す為に持っていて、それに怯まなかったから引くに引けず、勢いで足を刺してしまった。というような事件のほうが多かったと思います。
「そのうち自分達は死んじゃうんだよ」みたいな発想で
だから「他の人がどうなろうと知ったこっちゃない」
って人いう考えの人が増えてきているのでしょう。
私たちは1人では生きていけません。親がいなければ、おじいちゃん、おばあちゃんがいなければ、ご先祖様がいなければ、この世に生まれていなかったのです。
「別に頼んで生んでもらった訳じゃねぇし、そんなの関係なくね?」
って考える人の気持ちもわかります。
でも良く考えてみて下さい。
あなたをお腹で育ててくれたのは誰ですか?
まだご飯も食べれないあなたを暖かい毛布で暖めたり、おっぱいをあげたりしてくれたのは誰ですか?
学校に行かせてくれたのは誰ですか?
遊んでくれたのは誰ですか?
仕事をさせてくれているのは、雇ってくれているのは誰ですか?
困ったときに助けてくれるのは誰ですか?
その家に住んでいて、明かりを付けたり、テレビを観たり、洋服を着たり・・・
それはあなたが作ったものなのですか?
ご飯を食べていますが、それは誰の命なんですか?
そう。あなたも、私も1人じゃ生きて行けないのです。
「俺は悪人だよ。だから何?」「そんなの関係なくね?」
って、あなたが考えていても、実は回りの人に関係があるのです。
みんな1人では生きていけないのだから。
会った人を笑わせる
「笑わせる、いうんは、『空気を作る』っちゅうことなんや。場の空気が沈んでたり暗かったりしても、その空気を変えられるだけの力が笑いにはあるんや。ええ空気の中で仕事したら、ええアイデアかて生まれるし、やる気も出てくる。人に対して優しゅうなれるし自分のええ面が引き出される。それくらい空気いうのんは大事やし、笑いって大事なんやで。」
〜夢をかなえるゾウより転載〜
その(人)だったり、または(職場)、(家庭)など人が集まっているところには、雰囲気がありますね。その雰囲気は良い雰囲気だったり、悪い雰囲気だったりすると思います。景気の良い(人)(職場)には活気のある空気、経営がうまくいってない(人)(会社)にはどよ〜んと曇った空気が流れているものです。学校でも、家庭でも、みんなが笑ってたり、良い集中力で何かに励んでいる雰囲気は心地よく、誰かが怒って当たり散らしていたり、不機嫌でムス〜っとしてたら回りの空気まで悪くなります。目上の人が不機嫌だったりすると、部下は思った事をうまく言えなかったり、言い出すタイミングを失ったりもしますね。
それくらい「空気」は大事なんですね。
「無財の七施」の中に「和顔施」というものがあります。和やかな顔で相手に接することによって相手の方、そして回りの人、それをとりまく環境までもが明るく優しさに満ちあふれてくるのです。
人を笑わせるというのは「ガハガハ!」「あ〜ハッハ!」など腹を抱えて笑うだけではありません。微笑むだけでも良いのです。私たちはお笑い芸人ではありませんから、なかなか腹を抱えて笑わせるのは難しいですね。ですが、微笑んだり、相手が微笑むような気持ちにさせるのは私たちでもちょっとした気配りでできそうですね。
良い雰囲気も悪い雰囲気も伝染していきます。皆が力を合わせて、そして良い雰囲気でこの不況を乗り越えていきたいものです。
合 掌
諷誦について
青松寺鷲谷亮順
経文等を声を挙げて読むことをふじゅといい、詩文を暗誦することをふうしょうというが、節をつけて諷誦暗誦することを一般的に諷誦といっている。
諷誦文は平安時代以来の風習として行われ、主として死者の追善のために、施主が供養の趣旨を述べて、施物を添えるのを例としている。この諷誦文を佛前に捧げ、僧が読むのを聞くことが死者に対する追善になると考えられている。
僧の声の抑揚、文章の巧みさが要求され、参会者に「荘厳さ」と「厳粛さ」を通して、宗教的雰囲気をかもし出し、宗教的満足感を与えることが肝要である。
諷誦文を作る一般的な順序として次のような形式がある。
1、発端の句や春花秋月等の風情を述べる。
2、生前の業績や職業の述懐
3、病気のことや、死の無情について。
4、悲嘆や報恩謝徳について。
5、追善の句を述べ、それを佛法に帰する。
6、回向
例
謹みて呈す諷誦文の一章
去り行く歳月は 恰も流れる水の如く 過ぎ行く人生は 暁の夢に似てはかなし
人間ひとたび逝けば 再び帰りて相見えることは 更に無し
まこと温愛の情は断ち難く
哀惜の涙止め難し
此処に当山 春彼岸会に因んで特別回向
信心の施主は○○○様にして
弔う精霊は 俗名○○○様 法名○○○
天倫に従い世相に順応すること史上稀な一世紀
明治・大正・昭和・平成と
激動の社会を妻○○○様と手を携えて生きること七十有五年
町の長者番付には夫婦共に並び、
世人の羨望の的たり
然るに寄る年波には勝てず
町の農協長・地区の長老・○○○寺総代等
幾多の業績を残し 巨星は墜つ
仰ぎ願わくば 鷲峰の教風を移し
法華一乗の醍醐味を調え
無為玉泉の法水を注いで一念三千の円理を垂れ給え
人の世の 務めを終えて 安らけく 大慈のみ手に 帰るぞゆかしき
念佛
以一味雨潤於人華
(いいちみうにんのにんけ)
一味の雨をもって人華を潤す(法華経)
この語は、法華経の第五章薬草諭品の中にあります。
法華経は、釈尊の説かれた経典の中で、最もよく釈尊のお心を解き明かした最高の経典として天台宗では尊崇しています。この中で釈尊は、すべての人が仏となれること、そしてそのための修行の道を説かれ、釈尊一代のご教化はこの教を説くためであったことをいろいろな喩えでとかれており、この語の「一味の雨」とは法華経の教えのことであり、「人華を潤す」とは草木が雨の恵みを受けて繁茂し開花結実していくさまに諭えて、人々の仏性(仏となるべき本性)が法華経という法雨によって、花開き実を結んで成仏の目標に到達することを説かれたものです。
この章の中で釈尊は、雨は一味平等に草木に注がれるが、草木には大小さまざまの種類があって、それぞれが分に応じて生育していくように、釈尊もまたすべての人に平等の教えを説かれつつも、その教化の方法は、人それぞれの性質、才能に応じて最も正しく適切な方法でお導きになって、人々をお救いになられたと説かれています。この法華経の教えは現在の教育のあり方にも大きな示唆を与えるものといえましょう。伝教大師は、この教えによって、多くの名僧をお育てになったのです。
天台こよみ法話集より
「成仏国土成就衆生」
仏国土を浄め衆生を成就せん (発願文)
「成仏国土成就衆生」・・・仏国土を浄め衆生を成就せん
この語は、伝教大師様が比叡山にこもられて間もない二十歳の頃に書かれた「発願文」の中のお言葉ですが、これと同じ語は「法華経」等の大乗経典の中にも記されています。大師さまのご一生は、ひとえにこの語にこもる願いに貫かれていたのです。
「仏国土を浄め」の仏国土とは、天台の教えによれば、私どもの住むこの世界に外なりません。しかし、この現実の国土がそのまま仏の浄土とは到底私どもには考えられません。それはこの国土が持っている浄土としての本質を、私ども人間が自らの手で汚し濁らせてしまっているからです。今日見られる国土の荒廃、人間同士の争い等の中にもこのことが明白であり、それは私ども人間の自己中心の我欲文化がもたらしたのです。
ここに私どもが「自己中心」の考えを離れて、自然をも含めて他との協調を重視し、共に手を取り合って、向上と進歩を目指して生きることが、現下の急務とされる所以があります。こうしてこそ、この国土も浄土としての本年の姿を回復していくのです。それが為には、私ども一人一人が菩薩と呼ばれる理想的人間として生きる自覚を持たなければなりません。「衆生を成就せん」とは、大師さまが私どもに托されたこの永遠の願いを示すものです。
合掌
海内求縁力 帰心聖徳宮
(伝述一心戒文)
海内に縁力を求め 心を聖徳の宮に帰す
このお言葉は、伝教大師さまにお仕えして、辛苦を共にされた光定(こうじょう)という方が記された「伝述一心戒文」の中にあり、大師様が聖徳太子のご霊前に捧げられた詩の一節です。
聖徳太子(五七四~六二二)は、大師様より百五十年程前にお出ましになり、仏教にもとづいて国政をみそなわし、日本仏教の親として崇められているお方です。
大師様は、早くから聖徳太子の教えに帰依され、そのお心を受け継いで天台宗を開こうと志されました。それは、聖徳太子が「法華経」「勝鬘(しょうまん)経」「維摩(ゆいま)経」というお経を註釈なされて、仏教はお坊さんだけのものでなく、一般の人々も共に学び、修行するところに、その真髄があるとお示しなされたことが、一つの要因をなしていると思われます。しかし、この大師様のお考えも、なかなか当時の仏教界には受け入れられず、苦境の中でその信念を貫かれていかれました。そのような時、四天王寺の聖徳太子廟に詣でられた大師様は、海内(日本国内)において、自分のよりどころ(縁力)は、太子の教えである。私は心から太子に帰依申し上げますと、太子のみ教えを敬仰されたのです。実にこの詩の中に、日本仏教の行く手が明示されたといえる、大事なお言葉です。
天台こよみ法話集から
「仲間」
「人間 人間 ひとのあいだ あんたが居ないと 生きられん」
人は一人では生きられませんね。この文字を作った人に感心してしまいます。
私は今九人家族で暮らしています。
音楽の仲間がいます。仏教音楽である御詠歌の生徒さんがいます。
ボランティアの仲間がいます。多くの檀家の皆様に囲まれて暮らしています。
観光においでになり私の法話を聞いて下さる方々もいらっしゃいます。
遠くアメリカ、マレーシア、ハワイ、イタリアにも知人があります。
そして、言いたい事をズケズケと言える友達。
こうして私が本を作るにも多くの皆様の協力があってこそ。そんな風に考えると私一人で成り立っているものはないに等しいのです。
ギターを抱えてお説教はできても聞いてくださる皆様の存在があればこそここまで来れたのです。
人の間、あいだにいればこそ私の存在があるのです。そうです。すべての人が、間をつくり、間に生かされているのです。
「ギター和尚のおげんき説法」 曹洞宗大悲山向陽寺住職 渡辺紀生著
お彼岸
9月になると仏教行事として大切な、「お彼岸」がやって参ります。
「彼岸」とはどういうことかと申しますと、仏教では生死の苦しみに迷っている、この現実の迷いの世界を、此の岸と書いて「此岸」といい、悟りの世界、即ち彼の岸を「彼岸」といいます。
この迷いの世界、即ち「此岸」から、悟りの世界、即ち「彼岸」へ到達することを、「到彼岸」と言います。
したがって、普通「彼岸」・「お彼岸」と言っておりますが、本来は「到彼岸」と言うほうが正しいのかも知れません。
この彼岸に到達するために、六つの方法があるといわれております。これを六波羅蜜といいます。
その波羅蜜の内容は、一つ目が「布施」、これは、お寺にあげるお布施ばかりではなく、人に親切にしてあげること、二つ目は「持戒」といって、戒律を守ること、即ち、生き物を殺さないとか、嘘偽りを言わないといった戒を守ること。三つ目は、「忍辱」といい、我慢をすること。四つ目は、よく精進努力といいますが、その「精進」で、この期とに熱心に励むこと。五つ目は、「禅定」といい、心静かに保つこと。六つ目は、「般若」ともいうし、「智慧」ともいいますが、正しい智慧を磨くこと。
以上申し上げました、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧(般若)の六つのことに努力することが、悟りの彼岸に到達出来る方法とされております。
また、彼岸の中日頃は、朝日の出る時刻と、夕日の沈む時刻が丁度同じ位で、日中の長さと夜分の長さが同じ位になります。そして、この頃の太陽は、真東から登り、真西に沈むことに関して、天台宗や浄土宗系の方々は、この頃の日の沈むところに西方浄土があり、この方角に向って『南無阿弥陀仏』と唱えたり、仏教徒は、このお彼岸中にお墓参りをすることが、ご先祖に対する、一番のご供養であるとされております。
こおろぎの鳴き声が、「肩させ、裾させ、冬がくる」と言うように聞こえてくると、昔の人は「着物の肩や裾のほころびや切れたところを繕って、冬の準備をしなさい」と教えてくれているのだと伝えられました。
お彼岸の頃は、心を清め、先祖を敬い、更に来るべき冬の準備をする良い時期だと思います。
この世からあの世へ
追善供養は、人の死後、その冥福のために、いろいろなしきたりやいわれで行う仏事です。そのことについて考えてみましょう。
七日ごとの中陰の仏事を大事に営むのは、輪廻転生(りんねてんしょう。生ある者が生死を繰り返すこと)の考え方からです。人間が生まれることを生有(しょうう)といい、その一生を本有(ほんう)、死の時が死有(しう)といい、死んでから次の生を受けるまでの間が中有、または中陰(ちゅうう、ちゅういん)といわれ、四十九日をあてるのです。
次の本有とは十界をさします。地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界です。
中陰である冥土への旅を死出の旅ともいいます。冥土には、死出の山泰山(たいざん)があってそこまでたどり着かなければならないのです。
間もなく川が見えてきます。これを三途の川(さんずのかわ)といいます。この川を渡るには三つの途があって、生前の業によって、善業の者は橋を渡り、罪業の軽いものは浅瀬を渡り、悪業の者は深い急流を渡らなければなりません。そして、川の向こう岸には衣領樹(えりょうじゅ)という木があり、その上に懸衣翁(けんえおう)がおり、下に奪衣婆(だつえば)が待ち構えております。そこで亡者は着物を剥ぎ取られ枝にかけられます。亡者の罪は着物の重さ、枝の垂れ具合で計られると言うのです。
ここに冥土の十王というのがおります。死者の業を審判する冥官(裁判官)です。初七日までに秦広王(しんこうおう)が死者の行跡(業)について観審します。二七日、初江王(しょこうおう)の審判では、死者が自分にまつわる業、自業自得を知らされるのです。三七日、宋帝王(そうたいおう)の審判です。王のかたわらには猫と蛇がいて、生前の邪淫についてしらべられます。四七日は五官王(ごかんおう)です。ここでは秤りを使って罪の軽重がはかられます。五七日は閻魔王(えんまおう)です。ここでは鏡に生前の行いが映し出されます。六七日は変成王(へんじょうおう)です。五官王の秤りと閻魔王の鏡とがつきあわされます。七七日、泰山王(たいざんおう)のもとに送られます。ここが中陰最後の審判になります。しかし、この審判は、こな冥官による強制ではなく自分が自分の業によって自分の運命を選ぶことになるのです。今目の前に六つの門があります。すなわち六道の門です。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上のことですが、亡者の業は自然に自らの足を運ばせて、それぞれの本有へと向います。ここで中有が終わるので満中陰というのです。
さらに、その六道輪廻の業が定まった後もその業を浄化する審判の道があるのです。百ヶ日は平等王(びょうどうおう)一周忌は都市王(としおう)。三回忌には五道転輪王(ごどうてんりんおう)と十王すべての審判が終わるのです。
ここで大事なことは、残された親族、縁者による追善供養・回向がどのように営まれるかということです。追善の功徳は、その七分の一が先亡のために、七分の六が追善を修する施主やその拳族に及ぶといわれてます。
主として、七日ごとの中陰について考えてきましたが、わが国では十王経などによって追善供養は平安時代から盛んになったといわれています。ご供養をするといいますが、そのやり方には色々あります。仏前でお経を読むのもそのひとつです。また、五種供養といって灯明・香・水・花・飲食を供えることや、四種供養といって香華・合掌・礼拝・慈悲心など色々ありますが、要は、仏様・その教・教えに帰依するつどい(仏法僧の三宝)に身・口・意を浄らかにして供養の誠を捧げる事です。
合掌
※参考
初七日・・不動明王 二七日・・釈迦如来 三七日・・文殊菩薩
四七日・・普賢菩薩 初命日 五七日・・地蔵菩薩
六七日・・弥勒菩薩 七七日・・薬師如来 五十五日
百ヶ日・・観世音菩薩 一周忌・・勢至菩薩 三回忌・・阿弥陀如来
七回忌・阿しゅく如来 十三回忌・大日如来 十七回忌・・大日如来
二十五回忌・愛染明王 三十三回忌・虚空蔵菩薩 五十回忌・・愛染明王
一日を二倍に
さて、いよいよ十二月になりました。十二月は師走というぐらいですから、何となく気忙しくなります。
いそがしいとは、漢字で「忙」と書きます。立心偏に亡うですから、心を亡うことです。そういえば、「忘れる」という文字も「心を亡う」と書きます。
いずれにしろ、あまりいいことではありません。多忙をきわめて時間に追われている人が、一日を倍にすることはできないものかと思うことがあります。
そんなこととお思いになるお方もおいででしょうが、それができるのです。一日を二倍にする方法を考えた人がいます。
大変人気のある油絵の画家がいました。絵の注文の多いのは勿論のこと、そのほかに講演だ、対談だとひっぱりダコになりまして、からだがいくつあってもたりない。
第一肝心の絵を落ち着いて描くことができない。ホトホト弱ったあげく、大変いいことを思いつきました。一日を二日にする方法です。
どうしたかと申しますと、茶室をつくり、そこにひと時静かに坐ることにしたのです。
それは、中国の唐代の詩からヒントを得たのです。
「只、ここに坐れば、一日は両日なり」
という詩です。そして、この茶室を「両日庵」と名付けました。
静かに坐り、心を落ち着ける。そうした時を持つことができれば、一日は二日の値打ちがある。
つまり、時間を量から質へと高めようということなのでしょう。
私達も、多忙をきわめた時、「両日庵」のことを思い出して、工夫してみましょう。なにも、茶室や坐禅室まで作る必要はありませんが、
心の中に「両日庵」を建てることはできると思うのです。第一只でできます。もっともすぐ消えてしまいますがね。
どうか長続きさせて、堅固な「両日庵」を心の中にお建て下さいますように。
極楽への思い
お地蔵さんの微笑み
お地蔵さんは、梵語(サンスクリット)で『オン、カァカァカァ、ビサンマエイソワカ』と唱えて拝みます。漢訳すれば、「微笑を忘れず、瞋らない(かっとならない)ことで、安らかに生きたい」という誓いを立てることです。
『オン(俺)』は「アゥム」で、初めから終わりまでの「一切」を意味し、「帰命=お任せする」とも訳され、「かがむ、膝を屈する」の『南無』と同じように使われます。『カァカァカァ』は「ハハハ」(笑い声)をあらわし、『ビサンマエイ』は「不瞋」(いからず)、『ソワカ』は「成就」を意味します。
お地蔵さんは、釈尊が入寂されて、弥勒さんが出られるまでの五十六億七千万年の間、すべての命を育む母なる大地のように、親しみやすい姿で救いの手を差し伸べてられています。お地蔵さんの微笑を取り戻したい今日この頃です。
優しい「カナリヤ」の歌
「思いやり」と「優しいぬくもり」を訴えているのが、西條八十作詞・成田為三作曲の童謡『かなりや』です。
この歌は、大正七年(一九一八)に、鈴木三重吉らにより創刊された児童文芸雑誌『赤い鳥』に初めて詩・曲がそろって発表されたものです。
歌を忘れた金糸雀(かなりや)を「後ろの山に捨てましょか」「小藪に埋けましょうか」という子供たちに、お母さんが、「人間でも鳥でも落ち込む時があるのよ。もっと美しい声で唄おうと苦しんでいるのよ。象牙の船に銀の櫂をつけ、月夜の海に浮かべれば、忘れた歌をも思い出し、きっと美しい声で唄いだすでしょう。」と導くのです。
王舎城の悲劇と浄土への思い
ポリネシアの原住民たちは、死の直前に自分の好きな星を指差しながら、「私は死んだら、あの星に住む」と言いつつ、息を引き取るそうです。
『観無量寿経』では、悲惨な血肉を分けた親子の葛藤の末に幽閉されたい韋提希(いだいけ)夫人が、釈尊に救いを求めます。釈尊は「心から懺悔し」「正座して西に向かい、沈みゆく太陽が、お世話になった人や自然に、感謝の想いを込めて、言葉なく、一番きれいな茜色に染め尽くす」一心不乱の『日想観』に浸れば、安らぎが得られると説いておられます。
九州西教区「一口法話集」より
勤行の勧め
妙法蓮華経法師功徳品第十九には仏滅後、法華経と受持、読誦、解説、書写する人は多くの功徳が有ると解かれております。我宗では「朝題目、夕念仏」と言い、朝の勤行は法華経を読むこと、まず自分の身を浄め、洗面を済ませ御仏壇をきれいに清掃する事、本山の比叡山では、一、掃除、二、看勤、三、学問と掃除する事を口うるさく言われました。今でも比叡山の西塔浄土院では、助番の人や律僧様は伝教大師様の墓所を塵一つ無いよう、勤めていらっしゃいます。お仏壇には、五供養(花、線香、燈明、飯、水)、霊位にはお茶を供える事が多い思います。この五供養をお供「天台宗勤行儀」の読誦を勧めております。朝は今日一日の無事を御本尊様にお祈りします。読誦するときは必ず声を出して唱えるよう申し上げております。声を出す事により本尊様に祈願する気持ちが心の底からわき出て来、それを続ける事により日常生活の生き甲斐となり、お仕事中でも、いつもお守りいただいている事を深く感じるようになります。夕は極楽浄土の本願、阿弥陀仏に後生をお願いするお参りで、若い人には西方極楽世界の阿弥陀様の事を言っても縁遠い感を受けますが、私たち日常生活をしているこの世が極楽浄土だと本尊様からの導きを頂き、感じるようになります。忙しい世の中です。交通事故を始めいろいろな災難の多い世間では本気で、おすがりする気持ちが湧いてくるよう、毎日勤行儀を読誦する事を楽しみにして頂きますとその功徳により家庭の平和、世の中の平和を祈り、天台宗が率先して取り組んでいる世界宗教者の平和の祈り、世界宗教サミットにつながる道だと信じております。まず伝教大師が唱えられた「道心」をアピールし「一隅を照らす人」をたくさん世に送り出さねばならないと決意を新たにし、天台宗開宗1200年の節目の意義と考えております。
合掌
今日
人の幸せを計るバロメーターは、その人が一日一日をいかに大切にして、一所懸命に、暮らしているかどうかではないでしょうか。.
良寛さんは、「さしあたる、そのことだけを、思えただ、かえらぬ昔、知らぬ行くすえ」と歌われたように、今を大切にして、どのようにして、今日一日を、有意義な、生き方をするかではないでしょうか。
過去に戻ることは出来ないのであり、過ぎ去った事を、いろいろと悔やむ人がいるが、愚かな事であり、未だ来ぬ先のことを、いろいろと、思い巡らす人がいるが、先の事は、知らぬ事であり、過去に拘わらず、明日の事を思わず、今日の日を、いかに真剣に生抜くことが、成功の道であり、自分にとって、今日何をやらなければならないのか、今、自分が何をなすべきか、よく弁え、今日の日を、有意義に、生きる事が、明日えの新たなるつながりではなかろうか。車でも、不完全燃焼では、事故の鯨飲になりかねないし、万全の整備をして、完全燃焼で、運転することが、一番大切なことであり一日一日を全生涯だと思い、釈尊の教えにもありますように「今日なすべきことを明日にのばさず、確かな今日としていくことが、よき一日を生きる道である」今日という一日は、一生の一部ではなく、一日が自分の、全生涯であり、又「時は今、ところ足元、そのことに、打ち込む命、永久のみ命」人生は一瞬、一瞬の、積み重ねであり、今、何をやり遂げたか、今日をいかに有意義な暮らしをしたか、ではなかろうか。今やるべき事は今やり、今日すべき事は、今日の日に行い、明日へ持ち込むようなことは避けたいものである。「明日があるからいいじゃないか」と言う人がいるかも知れないが、それでは、物事は、何時までたっても成就しないのではなかろうか。今日一日、日々新、日々新たな気持ちで、生活することが、大切ではなかろうか。今日と言う日を、一所懸命に生きることは、簡単なようで難しい。人生にはリハーサルはないのであって、一日一日が、筋書きのない真剣勝負のドラマであり、戻ることの出来ない旅ではなかろうか。明日のことが分からないといって、今日一日をいいかげんに生きるのではなく、今日一日を誠実に生きていくことです。たとえ苦しい事があっても、今日一日だけと思えば耐えることもできるし、楽しいことがあっても、一日を区切りと考えればその楽しさに、溺れることなく、生きる事ができるのではないでしょうか。
「この秋は、雨か嵐か知らねども、今日のつとめに、田草とるなり」
合掌
国分寺・東大寺と戒壇
中大兄皇子と中臣鎌足による大化の改新は唐の法治体制に倣ったもので、その基本思想は儒教であり、仏教に対しては唐の※道僧格に準じた僧尼令を以て統制する事になった。※僧尼令は養老律令に明文化されているが、すでに天武天皇代の飛鳥浄御原令に基本はあったものと推定される。なお道俗僧格は唐初貞観(637)に制定され、道士・女冠、僧尼の取り締まりを目的とした格(律令を補完する法典)である。
聖武天皇が天平十三年(741)三月に発布した国分寺建立の詔に、みずからの不徳を慚じ、「国泰らかに民楽しむにはいかなる政化を修すべきや。この金光明最勝王経を講宣し読誦して世に流布せしめば、四天王が常に擁護し、一切の災いが除かれると記されている。それ故、天下の諸国に金光明四天王寺護国寺(僧寺)と法華滅罪之寺(尼寺)を建てたい」と述べている。
この詔を出す前、すでに天武天皇の頃から、四方の国に人を派して金光明経や仁王経を説かしめ、仏像や経を礼拝供養せしめた先蹤があり、国分寺はそれを大きく結実させたもので、後には全国の国分寺六十八、国分尼寺三十が造られている。それは国司による諸国統治と民衆教化を併行させたものであり、正に仏教国教化の体制といえるであろう。
東大寺は、初め聖武天皇が奈良東山に金鐘寺を建て華厳経を講ぜしめたが、やがて天平十四年、盧遮那大仏造立を発願して、七ケ年を要して天平勝宝元年(747)に完成した。すなわち全国の国分寺を統轄する総国分寺の理念を持ち、諸国国分寺と同じく金光明四天王護国之寺と称する。しかしいわゆる本末関係はない。一説として盧遮那仏の臺座の蓮瓣は華厳経の結経である。梵網経巻下の左の文に據るものとされる。
一国に一釈迦ありて各々菩提樹に坐し、同時に仏道を成ず。この千と百億の釈迦は盧遮那を本尊とし、各々微塵の衆に接す。
すなわち盧遮那仏は中央の蓮華臺座に坐し、周囲をとりまく千の蓮瓣には、千の釈迦が居られる。その一枚の蓮瓣には百億の国があり、その一国には一釈迦が菩提樹の下に坐して一斉に成道するが、この千と百億の釈迦はすべて盧遮那と本身とし、且つ各々無数の衆生に接している、というのである。つまり中央の盧遮那仏は東大寺に、蓮瓣の釈迦は全国之国分寺に坐して、無数の民衆に接して教化の説法をしているという。※実に壮大な構想であり、国家仏教の具現ということになろう。
※家永三郎作「上代仏教思想史研究」第二部三「東大寺大仏の仏身をめぐる諸問題」二四九頁、二五九頁。(昭和十七年、畝傍書房刊)なお華厳経では、本仏は毘盧遮那仏であるが梵網経では盧遮那仏である。
しかし一方、僧尼・寺院を管轄する僧尼令は、天武天皇以来の律令を踏襲し、その制約の厳しいことが指摘されている。そしてこの法令を施行するのは千部省玄蕃寮の司直であり、また僧網の僧官が参与している。
僧尼令の要点を概説すれば、そのもととされた唐の道僧格では儒教的法治主義に基づくものとされているが、僧尼令では必ずしも儒教思想ではなく仏教にもとづくものもあり、特に小乗四分律に共通する條項が多い。そして僧尼をして寺院の境域内に限定し、別に道場を建て、衆を聚めて教化し、みだりに罪福を説くことを厳禁し、また山林修業に対して厳しく制約を規定している。そして本来は教団がもつべき得度、授戒の権限までも。治部省玄蕃寮の発行する度縁・戒牒によって証明されるのであって、僧尼はいわゆる官僧であり、もっぱら寺院の内に在って天皇と国家の安寧を祈るため、律令政府によって任命された司祭者の地位に在った。※
※高取正男「律令国家と仏教」(「日本仏教史」1古代編、第三章「奈良仏教」3,一一七頁~一二七頁、昭和四二年、法蔵館刊)
僧網は推古三十二年に設置され、大僧正、僧都、律師等の僧官が置かれ、僧尼の出家得度、受戒、僧籍の帰属等に権限をもち、また諸国国分寺への講師・読師の任命や派遣にも関与した。そしてそれらの位官には主に南都七大寺(東大、興福、元興、大安、薬師、西大、法隆など)の高僧が宛てられている。いわば僧尼令とそれを運用する玄蕃寮の俗官との間の緩衝地帯の役割でもあったが、一一の事例における去就には微妙な場合もあったことが推測される。
続きは来月にてww
国分寺・東大寺と戒壇(続き)
当時の寺院としては、百済大寺(大安寺)や飛鳥大寺(元興寺)等の「大寺」と称する官寺があり、各寺に寺主、法頭、都維那の三綱がおかれ、寺院の運営や僧尼の取り締まりが行われた。興福寺は藤原氏の氏寺として建立されたが、天平時代には大寺として待遇され、法隆寺も大寺の中に加わり、薬師寺、西大寺を併せて南都七大寺と称され、また延暦十七年の太政官符では弘福寺、四天王寺、祟福寺が加わり、十大寺が定められている。このほか奈良朝末から平安初期にかけて頻りに官符が出され、中央及び地方に官寺に準じた定額寺が定められ、供田や稲が施入された。別当や三綱がそれを検校するのであるが、これには天子の御願を奉じ、国家護持をいのるべきことが記されている。
ところが奈良朝末から僧尼令による戒飭の勅が実に屡々出されている。「沙門ほしいままに本寺を去りて山林に隠れ住し、人の嘱託を受けて或いは邪法を行う。欺くの如き徒、同じく許さざる所なり」という如くである。それは上記のように僧尼は官吏に準ずるものだからである。そしてその例証として、諸国に遊化して民庶を教化した行基が、弟子とともに「妄りに罪福を説き百姓を妖惑す」として弾圧されたことが挙げられる。また文武天皇三年(六九九)役行者小角は伊豆島に流されたが、それは小角が葛木山に住し、呪術を以て世間を妖惑したため、と続日本記にしるされている。
役小角は優婆塞であって出家僧ではなかったが、このような祈祷の修行者が多かったようで、また課役を逃れるために髪を剪って出家する私度僧や偽濫僧が少なくなった。
それとは別に、天智天皇のころから頻りに山寺の記録資料が見えてくる。
先ず天智天皇七年、大津宮に近い志賀山中に建てられた祟福寺があり(日本記略延喜二十一年条)、次に和銅八年以前に近江国比叡山に精禅処が建てられ(懐風藻武智麻呂伝)、大和泊瀬(はっせ)の上山寺(続日本記・霊異記)、大和高市郡の壺坂山寺(三代実録)、添上郡の香山寺(続日本記)、高市郡の法器山寺(霊異記)、高市郡の子島山寺(延暦僧録)等々数え切れない。それらは堂塔伽藍の整備した公許の寺とは思われず、私寺に類したものであろうが、この他にも多くの山があった。また孝徳天皇即位前紀に古人大兄皇子が「臣願わくば出家して吉野に入り、仏道を勤修して天皇を祐け奉らん」といって落飾し、天智十年紀に大海人皇が「天皇の奉(おほ)ん為め出家せん」と請うて吉野に入ったという資料があり、当時吉野山は神仙の境として憧憬の地である。仏道修行のため入山する者が多かった。最澄の顕戒論巻中に「比蘇の自然智」というのは、榮叡・普照らが戒師招聘に際し、鑑真より前に来朝してもらった道叡のことであるとされる。「比蘇」とは吉野山の異称であり、道叡が吉野において虚空蔵法を修して自然智を得たことから来た呼称とされている。また同じ最澄の法華秀句巻上末に、法相宗の義渊をして比蘇の自然智宗の人としているように、吉野山で虚空蔵法を修す人が続いた。霊異記巻上には「吉野比蘇寺」の阿弥陀像が光を放ったという話を載せ、鎌倉時代の太子伝古今目録抄には「此の寺を又現光寺と云ふ」と記している。
さて奈良時代末期の大問題は、唐僧鑑真による戒壇院建立のことである。仏教が伝来した初め、朝鮮や中国から僧侶が渡来したが、日本人としては推古時代に始めて善信、禅蔵、惠善の三尼が出家した。しかし三師七証(戒和尚、羯磨師、教授師と七人の証明師)の授戒師による授戒の制度が無かったため、三尼は百済ヘ行って受戒したといわれる。その後も制度が整わないため、占察経などによって自誓受戒(仏前に誓って戒を受くと観念し、その証明として夢に好相を見ると称す)を以て受戒したという、極めて漠然とした伝承が残されている。
この説には少なからず疑問があるが、ともかく栄叡・普照の二人の僧が唐へ渡って伝戒の師を捜しに行き、五度の遭難を経て六度目の天平勝宝六年(七五四)鑑真は来朝した。そして東大寺に戒壇院を造り、ここに初めて具足戒の授戒が行われ、大僧(正式の比丘)が生まれた。
さてその鑑真の戒は四分律に據っている。四分律は小乗の部派の戒律で、姚秦の弘始十二年(四二〇)羅什に」よって漢訳されたが、唐初の道宣(五九六~六六七)は四分律行事鈔六巻や戒壇図経等を著してこの律を解明し、授戒の儀則を整備した。そのため道宣以後には彼の南山律宗が盛行したが、そこに説かれる比丘戒二五〇戒、比丘尼戒三八四戒の授戒が鑑真授戒の骨子である。
鑑真は戒壇院主の位置を退いた後も、唐招提寺において布薩説戒を行い、戒律の普及に努め、また天台学の造詣があったため、その四分律は単なる小乗律ではなく、部分的には大乗に通ずる「分通大乗」の律であるともいわれる。しかし本来的にはやはり小乗律であるために、比叡山の最澄からは小乗律として棄捨すべきものとされた。
※宗教教育テキスト「佛教のあゆみ」より
道心なり
皆さんは『陸(おか)に上がった河童』という言葉をご存知だと思います。
この妖怪視されている河童は、水の神様であり、水の中ですと自由自在に、しかも怪力で人や馬までも水の中にひきいれたりしますが、陸に上がるとからっきしダメで、しかも頭の皿の水が渇くと立っていることも出来なくなります。つまり、自分に合った環境以外では、能力を発揮することが出来ない人を形容していう言葉です。しかし、『餅は餅屋』というように、このことなら彼しかいない、というふうに、その専門分野で貴重な人は沢山おります。
比叡山を開創した天台宗宗祖、伝教大師最澄様は、
『一隅を照らすもの、国の宝なり』
といっておられます。現代風に言うと、職場などで、自分の職掌を全うして、なくてはならない人であり、その知識や技術によって、他の人が受ける恩恵が大きければ大きいほど、その人は大きな宝であります。八方美人の七貧乏といって、何をやっても中途半端な人よりもずっと世の中のために貴重な存在です。
人間は努力する事によって、自分を磨き育てる事が出来ます。しかし、一つの事が完全に出来なければ、何をやっても同じです。一部分でもその奥の奥は無限です。与えられた持ち場や、自分の選んだ職場では、何時も研鑽を怠らず、一生懸命勤めることによって、あなたの価値観が高まります。その心掛けを『道心』といい、この『道心』ある人は、国の宝となるでしょう。
『一隅を照らすもの、国の宝なり。宝とは道心なり。』
一隅を照らす運動は、私たち天台宗の指針であり、仏教の根本精神です。
健康老死
ピンピンコロリ運動 小林薬局・健康情報
七十代半ばの仲間が集まると「誰にも迷惑かけず、元気で長生きしてコロリと逝きたい」と言う話が出たりする。寝たきりでは好きなことも出来ないとか、家族に介護の負担をかけたくないとか、病床で苦しみたくないと言う意識がその裏にある。
そんな話をするたびに、私の脳裏には一人の女性が浮かぶ。その方は、良寛さんゆかりの倉敷玉島・円通寺の近くに住み、九十歳を迎えた今なお、良寛手まりを伝承している。倉敷に住む私の妹を通じて、その方の話を聞く機会があった。
良寛手まりは、七色の糸を一本一本重ね合わせて作られる雅な手まりだ。村人に愛され、心優しかったと伝えられる良寛の生涯に惹かれ、手まりを作り始めて五十年になると言う。その手つきは、若い弟子に負けず劣らず見事なものだ。私も「幸せを呼ぶ手まり」として大切にしている。その方は「お迎えがあるまで、元気で良寛手まりを作るんだ。周りの人々に幸せを分けてあげよう」とデイサービスセンターを訪問し、一回り以上年下のお年よりたちに手まりの作り方を教えている。そして何より、元気を与えている。年齢にかかわらず出来る社会貢献を目の当たりにした思いだ。
生理学の大家で東京大学・名誉教授の星猛氏が提唱している「健康老死」の記事を読んだことがある。健康老死とは「夏の盛りに元気に鳴いていたセミが、お盆の頃ポロリポロリと木から落ちて死んでいくのと同じようなもの」と表現され、「これこそ高齢社会における理想的な死に方だ」と言っている。私も同感である。
私が役員をしている広島市シルバー人材センターの会員たちは、その健康老死を実践している。清掃や除草作業・放置自転車の再生・お年寄りの介護などの仕事に従事し、わずかばかりの報酬をいただく。体を動かして働ける幸せや、地域社会に役立っていると言う充実感を生きがいに、生涯現役を目指す。その活動を会員たちは「ピンピンコロリ運動」と呼んでいる。
超高齢化社会は目の前に迫っている。私たちシニアは、長い間培ってきた経験や技能・生活の知恵を、次の世代に残していくことが出来るはずだ。良寛手まりを作りつづける女性をお手本に「健康老死」を実践し、社会参加を進めていくことが出来ればと思う。
参考文献・・・14.3.9中国新聞シニアライフ面
柄脇常雄・広島市シルバー人材センター理事
佛教と健康
小林 正明(小林薬局)
佛教は二千五百年の昔から、生・老・病・死の問題を解決するために心と身体の健康を維持し、活力を与える文化の総合体であった。今でいう医学、心理学、生態学、物理学と言った幅広い分野の智慧が結集している。そして、お釈迦様も実践した仏法とは、仏の教え(仏になるための教え)と言うことだけではなく、仏(ほとけ)の存在、有様・・・・・・ヨーガや禅、瞑想、呼吸法、食療法などによって生命(心)の自在と制御をおこなうこと・・・・・・を体現していく広義の健康法だった、とも解釈できる。
考えてみれば、合掌・礼拝に始まり読経や念仏と続く朝の勤行。精進料理による食事。そして作務、座禅、内観など、僧坊の生活は現代人にとっても必要な健康法に満ちている。しかも天台宗の常行三昧とか回峰行をはじめ、各宗派には定められた特別な行がある。そのひとつひとつが、正しい呼吸法により身体の運動・調整と心のコントロールをおこなう健康法なのだ。
ひるがえって、現代人を取り巻く地球の環境を見ると、言うまでもないことだが、悪化の一途をたどっている。炭酸ガスによる地球の温暖化、ダイオキシン、環境ホルモン、農薬や化学肥料による人体への薬害、地力の衰え、合成洗剤による湖沼、河川、海の汚染。原子力発電の原子炉から排出される放射性物質は海に捨てられ、海の生物を解し濃縮されて人間の口に巡り回って入ってくる可能性がない事はない。
しかも私たち日本人は、戦後の五十有余年間に食生活の急激な波にさらされてきた。科学調味、合成甘味料、保存料などの各種添加物入りの加工食品、インスタント食品がほとんど人体実験と言ってもいい頻度で与えつづけられた。乳製品、肉、外国産の果物など、『縄文』の昔から穀菜食を数千年も続けてきた日本人の体質には不適応な場合が少なくない食品群。脳神経や体内陳代謝を狂わし、ビタミン、カルシウムの欠乏を起こす白砂糖などを無批判に食べさせられてきた経緯がある。更に、これにタバコとアルコールの恒常的な摂取が加わって、癌、心臓病、脳卒中、肝臓病などが死亡原因の上位を占めるようになった。
とくに、ちょうど育ち盛りの世代にアトピー性皮膚炎や小児喘息などのアレルギー体質、神経障害、骨折などの怪我の多発と言った悪影響が出ている。
さて、佛教による健康法だが、水や空気がきれいで、日当たりが良く、騒音のない、情報量も過剰でない環境で生活すること。情緒を安定させ、明るく朗らかな性格、信仰心深く、気力充実し、愉快に前向きの姿勢で暮らすこと。十分な労働と、過不足のない食物によって生きること。他の生き物と一緒に、自然の中で共存していくこと・・・・・・等によって成り立つ。
人間は自然の子である。だから、大自然の法則に逆らわぬ生活をすれば心身ともに健康を維持できる。朝は早く起き、夜は早く寝ると言う素朴そのものの生活を取り戻し、栄養バランスのとれた食事を腹八分目に食べ、姿勢を正し、信ずる心を常に鍛え、人と人、人と物とのつながりを大切にして生きていく・・・・・・と言うことである。
しかし、人間の欲望はセーブするのがなんとも難しい。心の中の邪念を払って、無我の境地と言われる状態に達することが重要なテーマになってくる。佛教では、欲と嫉妬と愚痴を「三毒(貪・瞋・癡)」といって禁ずるが、こうした自ら作り出す固定観念に心惑わされ、心の歪が現れてくる。
これらのことを解決していくために、寺院が、修行から食養生、出来れば民間療法まで含めた心身の健康法を実践する“寺子屋”として機能して欲しいと考えている。早朝座禅や写経会、俳句会、書道会等を開いて欲しい。それだけ寺院は心身の健康に役立つ文化的コミュニケーションが可能な空間なのだ。これからの寺院は、地域住民の健康を担う核となると同時に、死を間近にした人々の心の苦しみを取り除く現代の往生院であって欲しい。それがいわば寺院の原点であり、寺院そのものにとっての唯一の“健康法”となるに違いない。私たちはそういう寺院に足を運びながら、佛教による自然健康法を実践しつづけていきたいと願うばかりである。 合掌
参考文献 健康と医療 池田恵観
佛教健康入門 朝倉光太郎
日本人の宗教意識
日本人の宗教意識 ―特に仏教の存立形態の観点から― 筑紫女学園大学・甘井麻樹子 本文は,日本人の宗教意識を対象としている.これをテーマとして選んだのは,日常生活の中で,日本人は無宗教であるといろいろなところで見聞きし,果たして本当に日本人は無宗教であるのか日頃から疑問に思っており,それに対する答えを探りたかったからである。今日,日本人は無宗教であると言われている.そして,わたしたち日本人の多くも自分は無宗教であると考えている.しかし,そのように考えていながら正月には初詣に行き,盆には墓参りをし,人が死ねば葬式をする.これらの行動だけを見れば,宗教活動に従事しているのであるから日本人が無宗教であると言い切ることはできない.では,どうしてそのような複雑な構造が出来上がってしまったのだろうか.本稿は,自分を「無宗教である」と規定している日本人が本当に無宗教なのかという問題を,「宗教の定義」「戒律」「儀礼」という面から明らかにすることを目的とする.まず第一章では,日本人の宗教意識の面から,日本人が本当に無宗教であると言い切れるのか考察したい.日本人の考える「宗教」という言葉の意図するところは何なのかを吟味することにより,日本人の「無宗教性」の本質を明らかにしていく.次に第二章では,一般的に意識されている宗教には必ず備わっている戒律の面から,日本人が本当に無宗教と言い切れるのか考察したい.「戒律」を守る宗教だけが 果たして「宗教らしい宗教」なのかという問題に対する,中世の仏教者たちの答えを元に,「戒律」と「宗教性」の本質を明らかにしていく.最後に第三章では,日本仏教の堕落の代表とも言われている葬式仏教というものが,果たして本当にそう言い切れるのか考察していきたい.これだけ無宗教と言われながらも人が死ねば必ず葬儀をするのはなぜなのかということを,そもそもの仏教の本質を考えながら明らかにしていきたい.
本論 第一章 日本人の宗教意識 日本人が無宗教であると考えられている要因の一つとして,日本人の宗教意識の問題が挙げられる.それは以下の統計から読み取ることができる. 神社本庁が1996年10月「神社に関する意識調査」を,全国の成人男女2000 人を対象に行った.それによると,「信仰している宗教は?」では,「信じていな い」が49.5%であった. 朝日新聞は1995年9月23日付け紙面で,宗教についての意識調査結果を発表し た.それによると,「信仰する宗教はない」と答えた人は63%であった. 読売新聞社は1998年5月に,葬儀やしきたりについての意識調査を行った.それによると,「宗教を信じていない」は78%であった. 『宗教・宗派データ』[1] このように,多くの日本人が「自分は無宗教である」と考えているのである. また,日本では特定の宗教を信仰していることが日常生活の中で不利になることがある.戦後の日本人がもっている気風の特徴として,まず一つに,会社人間で会社に所属 していることが何よりで,それ以外の何か(組織や団体)には所属したくないと考えていることがある.これは,言い換えれば,何ごとも損得で判断する完全なご都合主義である.二つには,はっきりした価値観を持っていないこと.三つには,物質中心で 超自然的,あるいは彼岸的なものの価値に無関心だということである.こうした平均的日本人の精神的傾向は,何よりも,他人と違っているように思われるといいことはないという考え方に集約されよう.こうした傾向があるので,「あなたは何かを信じていますか」「何か宗教をもっていますか」と聞いた時,「いいえ」 とか「無宗教です」と答えた人だけを,自分たちの仲間に入れてやるということになる.
『なぜ,人は宗教にすがりたくなるのか』[2] このように,日本では近所づき合いや親戚づき合い,会社の中で「無宗教である」 ことが,それらの人間関係を円滑にする潤滑油的役割を果たしていることがわかる. ゆえに,日本人は「自分は無宗教である」と考えているともいえるのである. ところが,同時に大変興味深い統計も見られる.それは以下のものである. 「家庭に神棚があるか?」の質問では,「ある」が51.3% 『宗教年鑑』(平成12年版)で神道系の信者数は106,241,598人,仏教系の信者数は95,787,121人である. 曹洞宗が都市に住む同宗の壇信徒の宗教意識をまとめたもの(94年)によると, 「お墓を持っている」と答えた人は91%であった.
『宗教・宗派データ』[3] これらの統計は,多くの日本人が「自分は無宗教である」と考えていることと明らかに矛盾している.日本人の多くは,「自分は無宗教である」と思っていながら何らかの宗教活動に従事しているのである.宗教活動に従事している日本人を果たして無宗教といえるのであろうか. 阿満氏によると,「創唱宗教」と「自然宗教」というものがあるという. 「創唱宗教」とは,特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人たちがいる宗教のことである.教祖と教典,それに教団の三者によって成り立っている宗教と言い換えてよい.代表的な例は,キリスト教や仏教,イスラム教であり,いわゆる新興宗教もその類に属する.これに対して「自然宗教」とは,文字通り,いつ,だれによって 始められたかも分からない,自然発生的な宗教のことであり,「創唱宗教」のような 教祖や教典,教団をもたない.「自然宗教」というと,しばしば大自然を信仰対象とする宗教と誤解されがちだが,そうではない.あくまでも「創唱宗教」に比べての用語であり,その発生が自然的で特定の教祖によるものではないということである.あくまでも自然に発生し,無意識に先祖によって受け継がれ,今に続いてきた宗教のことである.
『日本人はなぜ無宗教なのか』[4] 「宗教」とは,一般に「創唱宗教」のことを考えられがちである.その原因として, 「自然宗教」が「宗教」として意識されていないことが挙げられる.では,なぜ「自然宗教」は「宗教」として意識されていないのだろうか.これについては具体例を挙げて説明したい.例えば,初詣である.日頃は神社に行くことのない人も,この日は初詣に行く.子供も,大人も,年寄りも初詣に行くのである.それがはっきりとした 信仰心から行われているものなのかは疑わしい.人々にとっては,ただのイベントにすぎないのかもしれない.しかし,朝日新聞によると,2001年の元旦,大宰府天満宮には約85万人もの人々が初詣に行ったというのは疑いようのない事実なのである.もう一つ分かりやすい例を挙げたい.それは,お盆のときに多くの人々が帰省することである.また,彼岸の際の墓参りもそうである.自分で認識している人は少ないだろうが,阿満氏の定義からすると,これらの行いをする人は「自然宗教」の「信者」ということになる.では,「自然宗教」とはいったいどういうものなのだろうか.これについては墓参りを例に挙げて説明したい.日本人は墓参りの際,当然のように墓に水をかける.しかし,日本人以外に墓に水をかけるという習慣をもっている民族はほとんどいない. では,どうして日本人は墓参りの際に墓に水をかけるのだろうか. 柳田国男によると,墓にかける水は,もともと墓の住人(?)が生まれたときに産湯 として使用した井戸の水でなければならなかった.どうして産湯に使った水でなければならないのか.それは,亡き人にその水を示すことによって,あなたは死んでも決して故郷から遠いところへはいってはいない,いやあなたにゆかりのある人々の近くにいるのだ,ということを教えるためなのである. どうしてそのような面倒な手続きが必要なのか.思うに仏教が民衆の生活のすみずみ にまで入ってきて,人は死ねば極楽という現世からはるかに隔たったところへゆくと いう教えが広まってきたことと関係があるのであろう.日本の民衆の中には,極楽へ生まれることは歓迎しても,ゆかりの人々や土地から離れることには抵抗があったのだ.そのために,墓参に際しては,必ず水をかけるようになったのではないか.
『日本人はなぜ無宗教なのか』[5] つまり「自然宗教」とは,ご先祖を大切にする心なのである.人は死んでも遠くへ はいかず,子孫やゆかりの人々を見守っているのであり,お盆や正月には子孫のもと へ帰ると信じられているのだ. このように,日本人は古くから「自然宗教」の信者であったのであるが,一般に「宗 教」というと「創唱宗教」のことであると思われ,また,「自然宗教」が「宗教」であるという認識がなされていないために,多くの日本人が「自分は無宗教である」と考えていることが明らかとなった. また,現世のことを重視するようになったことも,日本人が無宗教であると考えられている一つの要因である. 日本人が現世中心の生活をするようになったのは,中世から近世にかけての人々の生活と宗教への結びつきの変化によるものである. 中世では日常生活のすべてが神仏とともに営まれていた.阿満氏によると,中世は三つのことが信じられていた時代だという. 一つは,神仏の存在が文字通り信じられていたこと.第二は,仏教とともにもたらされたインド人の世界観である六道輪廻,つまりあらゆる生き物は地獄,餓鬼,畜生, 阿修羅,人間,天,の六つの世界を経巡り続けるということを信じていたこと.前世 や来世の存在と生まれ変わりが信じられていたのである.そして第三に,死後,地獄 や餓鬼,畜生といった世界に落ちないように,死後の世界の救済が切実に求められて いたこと,この三者が一体となって信じられていた時代が日本の中世なのである.
『日本人はなぜ無宗教なのか』[6] このように,中世では宗教に無関心な生活などありえなかったのである.では,このような人々の生活からどうして宗教への関心が失われていくことになったのであろうか. 近世になると,二つの要因によって人々の生活は現世中心になる. まず一つ目の要因は,儒教が入ってきたことである.室町時代から武家たちの家訓として入ってきた儒教の教えが,近世に入り人々の間にまで浸透したのである. はじめは,仁義礼智信という徳目を守ることが神仏への信仰とならんで強調されているけれども,やがて,神仏がこの世に姿をあらわすのも,儒教の教え,つまり仁義礼智信を人々に実践させるためであり,一度として,仏の前で手を合わせたり神社の社殿にぬかずくことをしていなくても,こうした儒教の教えを守っているかぎり,神仏もその人間を救うのだと教えるようになってくる.だから神仏をいわば名指しで頼むのは,死後極楽に生まれるようにと祈るときだけであり,平生は,儒教が理想とする道徳を実践していれば十分だという主張になったのである.
『日本人はなぜ無宗教なのか』[7] それまでの人々は,死後,地獄に落ちないための神仏への信仰が中心であった.それが,儒教の教えを第一とする生き方は現世中心の考え方に大きく変化したということになる.儒教でははじめから,現実社会における人間の生き方がその中心をなしており,死後の救済は,ほとんど関心の対象となっていないのである.このような儒教が日本でも勢いを持ちはじめたということは,それだけ人々の関心が現世中心になっ てきたということになる. では,どうして儒教の教えがそのように日本人に受け入れられたのであろうか. 儒教と言えば,普通,孝を中心とした孔子の思想であると思い浮かぶであろう.しかしそれは,孔子が新しい思想を独創的に生み出したのではなく,それまであったいろいろな思想を体系化したということなのである.その体系化された儒教が成立する前,儒教の母体となる原儒というものがあった.それはシャーマニズムを基盤として おり、孝という考え方があったのを,孔子が体系化していくなかで,儒教が成立したのである.儒教の母体となった原儒の本質は,シャーマンである. シャーマン(天上の神・魂など神霊なものと地上の人間をつなぐ能力を持つ祈祷師)は,古今東西を問わず至るところに存在しており,なんら珍しいものではない. しかし,世界のシャーマンのほとんどは,まさに祈祷それだけの任務に終わっており,俗信的水準にある.しかし,儒教は,原儒シャーマニズムを基盤にして,孝という独自の概念を生み出し,この孝を基盤にして家族理論を構成したのである.このような,シャーマニズムを基盤として政治理論までを(さらに後には宇宙論・形而上学 も)有している理論は,おそらく儒教だけであろう.
『儒教とは何か』[8] シャーマンは神霊などを招き降ろすのであるが,儒教ではそのシャーマニズムも限定的で,いろいろな神霊を招き降ろすのではなくて,その対象となったのはほとんどが自己の祖先の霊である.後世では,孔子の霊を招き降ろすことなどもあったらしいが,一般的には,自己の血縁者,つまり祖霊を招き降ろすのが原則となっている.それが祖先崇拝とつながっているのである. この祖先崇拝という考え方は,いわゆる「創唱宗教」が入ってくる以前,「自然宗教」としての日本にもともと備わっていた.古代の日本人の死者に対する霊魂観は 「殯」という習俗から窺うことができる. 『紀』の敏達天皇崩御の一説には,大和の広瀬に殯宮の設けられたことが述べられている.この殯宮に立って蘇我大臣の馬子宿禰は,腰に太刀を帯びて故人を偲ぶ. 『紀』にはこのくだりを「刀を佩きて誄たてまつる」と言う. 殯は人の死後,遺体を埋葬するまでのあいだ柩におさめて喪屋に安置し,その前で縁者が思いをこめて身振り手振りをともない,死者の魂を慰める習俗であった.そして馬子がたてまつった誄は,亡き天皇の生前の徳を称える感情のこもった言葉を捧げる 儀礼で,『紀』にはこれ以後,歴代の天皇・貴族の葬送儀礼において誄が行われたことが記されている. (略) ここには死者にたいする思いの表現と,その周辺にいるであろう大王継承者や近親者にたいするパフォーマンスもあったであろう.いずれにしても,ここには死者の魂が生者からの誄を受けて喜ぶという観念のあることがわかる.しかも誄によって,死者が蘇るかもしれないという期待も見えるのだ.
『日本多神教の風土』[9] これはいわゆるシャーマニズムであり,古代の日本人は「殯」という習俗で祖先崇拝をしていたことがわかる.このように日本では儒教が入ってくるはるか前から「自然宗教」として祖霊を大切に思うという概念が備わっていた.それゆえ,日本人にとっ て祖霊を大切に思う原儒を母体とする孝という思想を中心とした儒教というものは受け入れやすかったということができるのである. 二つ目の要因は,市場社会の経験である.近世に入り,生産力が高まるに伴い,世 の中は「市場に生きる生活」が中心となったのである. 明治の段階で,「宗教らしい宗教」への需要がほとんど消滅していた真の原因は, 三百年に近い市場社会の経験が,「市場に生きる生活」を確立し,「信仰に生きる生活」を不要にしたことにある.都市ではカネを使う生活が当たり前のものとなり,市場でカネを稼ぐために働き,あるいは金儲けを追及することが人々の生活の中心と なった.ここには出家して修行生活に入ったり,信仰に生きる脱世俗的な生活に身を投じたりする余地はほとんどない.「聖」と「俗」を分けるなら,人々の意識と行動 の中で「聖」への関心は希薄になり,「俗」の生活が圧倒的な関心をしめるようになる.
『脱宗教のすすめ』[10] 近世では人々の生活が市場社会の中で営まれた結果,人々の関心の対象は完全に現世中心となったのである. このように,日本は儒教を受け入れやすい状態であったが,それはその根底に「自然宗教」と考えても良い祖霊祭祀の考えがあったからである.そして,儒教の影響を受けて,日本人は来世の救済よりも現世利益を重視するようになった.ところが,その根底には祖霊を大切にする「自然宗教」があったことは無視できない.現実の生活に いそしむ日本人は意識するにせよ,意識しないにせよ,自分の家の祖霊に対する敬いの気持ちを持ちつづけ,それが具体的な宗教活動に現れているのである.ゆえに,宗教意識が薄いということで,日本人が無宗教であるということはできないのである.
参考文献表
阿満利麿 [1996]『日本人はなぜ無宗教なのか』 (ちくま新書085,筑摩書房, 東京)
小田晋 [2000] 『なぜ,人は宗教にすがりたくなるのか』 (三笠書房,東京)
加地伸行 [1990] 『儒教とは何か』 (中公新書989,中央公論社,東京)
久保展弘 [1997] 『日本多神教の風土』 (PHP新書024,PHP研究所,東京)
浄土真宗教学研究所浄土真宗教学委員会 [1998] 『歎異抄―現代語版―』 (本願寺出版社,京都)
竹内靖雄 [2000] 『<脱>宗教のすすめ』 (PHP新書099,PHP研究所,東京)
塚本善隆 [1983] 『法然』 (日本の名著5,中央公論社,東京)
ひろさちや [2000] 『お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗―』 (PHP新書123, PHP研究所,東京)
[1] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ.
[2] 小田[2000:108]を参照せよ.
[3] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ.
[4] 阿満[1996:11]を参照せよ.
[5] 阿満[1996:15-16]を参照せよ.
[6] 阿満[1998:32―33]を参照せよ.
[7] 阿満[1998:36―37]を参照せよ.
[8] 加地[1990:53]を参照せよ.
[9] 久保田[1997:59-60]を参照せよ.
[10] 竹内[2000:17]を参照せよ.
[11] 塚本[1983:361-362]を参照せよ.
[12] 浄土真宗教学研究所[1998:8―9]を参照せよ.
[13] 浄土真宗教学研究所[1988:1086-1087]を参照せよ.
[14] 竹内[2000:22-23]を参照せよ.
[15] 阿満[1996:49-50]を参照せよ.
[16] 阿満[1996:53]を参照せよ.
[17] 小田[2000:92-93]を参照せよ.
[18] 阿満[1996:56]の尾藤[1992]の引用を参照せよ.
[19] ひろ[2000:182―183]を参照せよ
第二章 「戒律と宗教の本質 」は来月の法話で。
日本人の宗教意識第二章
第二章 戒律と宗教の本質 第一章で述べたように、『宗教年鑑』によれば神道系の信者および仏教系の信者の数はそれぞれ約1億人と数えられており、ほぼこの二つが日本人の信仰する宗教と考えて差し支えないであろう。もちろん神道に開祖および聖典は存在せず、これは「自然宗教」と理解される。したがって日本人が神道に対する帰属意識を持たないことは明らかであり、意識することなく日本人の半数が神道の信者であると考えてよい。「自然宗教」に関しては、単に個人の意識の問題であることを鑑みれば、日本人が無宗教であるという見解が否定されることは当然なのである。
それではもう一方の仏教系の信者についてはどのように理解されるべきなのであろうか。日本には様々な仏教宗派が存在するが、その開祖は遡れば釈尊ということが出来る。しかもそれぞれの宗派には、空海、最澄をはじめ明確な開祖が存在する。すなわち仏教は「創唱宗教」に分類されるであろう。本章では日本の「創唱宗教」の代表である仏教に関して、その信仰心と仏教のあり方の観点から考察してみたい。
第一章において、近世の日本人の思考が現世中心となった二つめの理由として、日本人が三百年に渡って市場社会を経験したことについて論じた。すなわち、竹内氏によると市場社会が成熟するにつれ人々の関心が、信仰に裏打ちされた宗教的生活より も日常の経済的生活に移行したというのである。それでは神仏に対する信仰を堅持つつ「聖」なる生活を送ることに無関心な大衆は、本当に「宗教」を必要としなかったのであろうか。さらに言えば、仏教はこのような大衆に対して、一つの「宗教」として何ら救いを与えることはなかったのであろうか。ここではまず「戒律」という概念を問題としたい。「創唱宗教」である仏教にはもちろんその教義を示した聖典すなわち仏教聖典が存在する。具体的にはインド招来の様々な大乗経典や日本仏教各宗派の開祖が著した経典群が挙げられよう。これらの経典群にはそれぞれの教義に照らして、諸々の戒律、すなわち僧侶としての生活規定が説かれている。仏教各派の僧侶たちはこの戒律を遵守しつつ悟りという最終目的に向かって邁進していたと考えられる。このように明確な教義を持つ仏教の「聖」なる一面としては、過去の多くの僧侶たちがそうしたように、「戒律を守った上での信仰生活」というものが第一と考えられていた。このような仏教の「聖」の部分こそが竹内氏の言う「宗教らしい宗教」なのであろう。もちろん、中世の大衆はこのような「聖」なる生活を送る宗教エリート(僧侶)を尊敬し、自分の宗教的生活の模範もしくは理想と捉えたに違いない。宗教はどこまでも「聖」であることが求められていたと言ってよいであろう。近世に入ると確かに江戸幕府という安定した政体のもと、強力な市場社会が登場し、人々が「聖」を求めることは希薄になったと考えられる。しかし、仏教の側から見れば、既に中世の段階で「俗」の世界に対する働きかけがあったことも事実なのである。すなわち、法然、親鸞、蓮如らの浄土系仏教の思想が、仏教を大衆のものに引きおろした代表であると言えよう。
仏教には五戒、十戒、二百五十戒など、たくさんの戒律が定められているのであるが、ここでは「殺さない」、「淫らな行いをしない」という二つの戒、つまり、肉食妻帯というものをとりあげて考察していきたい。人間には煩悩というものがある。そして、煩悩から完全に解放されることはきわめて難しい。その煩悩を人間の避けられない条件と認め、そこから出発した人々の存在がある。「法然」「親鸞」「蓮如」である。彼らは戒というものを重要であるとは考えなかった。彼らの思想は持戒・破戒の問題を超えたところにあったのである。では、彼らの思想とはどのようなものであったのだろうか。現世の世を暮らすべき方法は、念仏がとなえられるように暮らしなさい。念仏のさまたげにきっとなりそうであるならば、どんなものでも、あらゆるものを嫌い捨てて、これをおやめなさい。いうなれば、聖の生活をしていて、念仏が申されないならば、妻をめとって申しなさい。妻をめとって申されないならば。聖の生活をして申しなさい。
『和語燈録』[11] 僧侶の妻帯は、平安時代の初め頃からしだいに行われはじめ、十三世紀の後半になると、一般的現象となった。それでも、持戒を固く守った少数の高僧たちはいた。その一人が法然である。しかし法然は、肉食妻帯は破戒であるという立場にはたたなかった。法然によれば、人間存在の究極目的は、往生することであって現世における持戒生活ではない。往生の唯一の道である念仏のさまたげとなるものはことごとく捨て去ってよい。と法然は言うのである。法然が創唱した専修念仏とは、持戒か破戒かというものは、その中ではまったく意味を失ってしまうような広大な本願の空間である。持戒堅固の者も専修念仏をとらないかぎり往生はかなわないし、反対に破戒・無戒の人でも、念仏によってまちがいなく往生する。つまり、法然は持戒の者も破戒の者も区別することなく受け入れるのである。その中に、肉食妻帯という破戒ははじめて公の場所を許されたのである。持戒堅固で知られた高僧たちでさえ、たびたび戒を犯しそうになったという。その事実は、持戒といっても外面もしくは意識面だけのことであって、内面あるいは意識の深層には破戒が侵入していることをあらわしている。煩悩を断じないで往生する道を開いたのが親鸞であった。あらゆる煩悩を身にそなえたわたしどもは、どのような修行によっても迷いの世界をのがれることはできません。阿弥陀仏は、それをあわれに思われて本願をおこされたのであり、そのおこころはわたしどものような悪人を救いとって仏にするためなのです。ですから、この本願のはたらきにおまかせする悪人こそ、まさに浄土に往生させていただく因を持つものなのです。それで、善人でさえも往生するのだから、まして悪人はいうまでもないと、聖人は 仰せになりました。
『歎異章?現代語版?』[12] 親鸞によれば人間存在の本質は、持戒と破戒との双方への可能性をもったものではなく、はっきりと破戒、煩悩具足の凡夫たるところにあり、しかも本願はまさしくそういう破戒の凡夫のためのものである。それは、救われないものが救われるという矛盾の統一にほかならない。それゆえ、親鸞の仏教はもはや煩悩からの離脱を説かない。煩悩のすべてを持ったままで如来の本願に包まれよと教えるのである。親鸞のこのような思想がひろく日本人の大衆の生活に浸透したのは、蓮如の存在を通してである。蓮如は如来の本願への信心の大事さを合計三百通近くある『御文章』にくり返し説いている。なかでもつぎのものは、親鸞が開いた悪人正機の浄土真宗の真理を最も具体的に説いたものの一つである。まず、当流の安心のをもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんとちかひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく弥陀一仏の悲願すがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり、これを当流の安心決定したる信心の行者とはまうすべきなり、あなかしこ、あなかしこ。
『御文章』[13] 【試訳】まず、浄土真宗の安心の趣旨は、必ずしも自分の心が劣っていることをも、また、迷いの心やそれからくる執着が発生することをも、抑えよというのではない。ただ商いをもし、奉公をもせよ、狩や猟をもせよ、このような罪深い行いにのみ、朝夕思い悩むわたしたちのようなとりえのないものを、たすけましょうとお誓いなさっている阿弥陀如来の本願でいらっしゃるのだと深く信じて、一心に二心なく阿弥陀如来というひとつの仏の悲願にすがって、たすけてくださいと思う心の一心に仏を信じる心が本当であるならば、必ず阿弥陀如来のおたすけを受けるものである。このうえには、何と心得て念仏を申すべきなのかと言うならば、往生は今の信心の功徳力によっておたすけがあるというありがたさに対する御恩報謝のために、自分のいのちがある限りは、報謝のためと思って念仏を申すべきである。これを浄土真宗の安心が定まっている行者と言うべきである。まことに畏れ多く、尊いことである。文明三年十二月十八日の日付があるこの文は、蓮如が越前の吉崎に進出して布教を開始した年に書かれている。その対象となったのは、自力聖道門の行者でもなければ、他人の力によって優雅な生活を楽しんでいる貴族たちでもない。商人と農民と武士と漁夫たち、つまり普通の大衆である。普通の大衆とは、煩悩の火に焼かれる以外に生きることのできない存在のことである。商いをする以上、ときには嘘を言うことは避けられない。「商いをもせよ」ということは、嘘をつくことがあってもしかたがないということである。奉公をするということは、戦いに行って人を殺す可能性をもっていることである。そうすると、「奉公をもせよ」ということは、人を殺してもしかたがないということである。これらの蓮如の言葉の中には、親鸞の言葉がひびいている。煩悩とともに生きる以外に人間の生き方はない。そういう煩悩の凡夫こそ自分というものの正体だと知らされたことが、如来の本願に自分をまかせたということである。
前章で、竹内氏は人々の生活を「聖」と「俗」で分けて説明したが、法然や親鸞や蓮如の思想は「聖」とか「俗」というものをはるかに超えたところにあり、仏教の本質に「聖」「俗」は一切関係ないのである。彼らは仏教を「俗」の生活にいそしむ人々の中に引きおろし、その結果として仏教の本質を「聖」「俗」と区別される世界にとどまらないものであると宣言した。すなわち、近世に至って大衆が「俗」にのみ関心を持つようになる前に、「俗」の生活を営む日常の中にも仏教の言う救済があることを示していたのである。
このように、戒律を守らないすなわち「俗」なる生活を送ることが、日本人が無宗教である理由に直結するものではないことが明らかとなった。彼らの思想は、戒律を守る(「聖」)か、守らない(「俗」)かということではない。煩悩は人間から切りはなすことができないものであることを認め、それでも往生するということである。外側から見ると、戒律を守りそれに忠実な生活をすることが信仰の厚い証拠であり、そうでない者は信仰がないように思われるが、本当に重要なことはそういうことではないのである。「法然」「親鸞」「蓮如」が行き着いた如来の本願とは、持戒・破戒というものを超えたところにあり、破戒というよりも無戒であるといってよいだろう。戒律を守らないことが日本仏教の堕落であるという見方があるが、実はそうではなく、戒律にとらわれないところまで行き着いたのであって、戒律を守らないことで 日本人が無宗教であるということはできないのである。
参考文献表
阿満利麿 [1996] 『日本人はなぜ無宗教なのか』 (ちくま新書085,筑摩書房, 東京)
小田晋 [2000] 『なぜ,人は宗教にすがりたくなるのか』 (三笠書房,東京)
加地伸行 [1990] 『儒教とは何か』 (中公新書989,中央公論社,東京)
久保展弘 [1997] 『日本多神教の風土』 (PHP新書024,PHP研究所,東京)
浄土真宗教学研究所浄土真宗教学委員会 [1998] 『歎異抄―現代語版―』 (本願寺出版社,京都)
竹内靖雄 [2000]『<脱>宗教のすすめ』(PHP新書099,PHP研究所,東京)
塚本善隆 [1983]『法然』(日本の名著5,中央公論社,東京)
ひろさちや [2000]『お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗―』(PHP新書123, PHP研究所,東京)
[1] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ.
[2] 小田[2000:108]を参照せよ.
[3] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ
[4] 阿満[1996:11]を参照せよ.
[5] 阿満[1996:15-16]を参照せよ.
[6] 阿満[1998:32―33]を参照せよ.
[7] 阿満[1998:36―37]を参照せよ.
[8] 加地[1990:53]を参照せよ.
[9] 久保田[1997:59-60]を参照せよ.
[10] 竹内[2000:17]を参照せよ.
[11] 塚本[1983:361-362]を参照せよ.
[12] 浄土真宗教学研究所[1998:8―9]を参照せよ.
[13] 浄土真宗教学研究所[1988:1086-1087]を参照せよ.
[14] 竹内[2000:22-23]を参照せよ.
[15] 阿満[1996:49-50]を参照せよ.
[16] 阿満[1996:53]を参照せよ.
[17] 小田[2000:92-93]を参照せよ.
[18] 阿満[1996:56]の尾藤[1992]の引用を参照せよ.
[19] ひろ[2000:182―183]を参照せよ
第三章 「葬儀と仏教」は来月の法話で。
日本人の宗教意識第三章
第三章 葬儀と仏教 今日、日本仏教は「葬式仏教」という言い方でしばしば批判の対象となっている。では、どうして「葬式仏教」というものが批判の対象となっているのであろうか。
日本の仏教は今や代表的な市場型宗教である。「葬式仏教」こそ宗教の世俗化の先頭に立っているわけで、市場社会の中の宗教のあり方を見事に示しているのである。(略)他の宗教も多かれ少なかれ市場化、産業化を進めている。葬式市場は仏教の独占に近いが、婚礼サービスの市場では仏教のシェアはゼロに近く、かわって神道とキリスト教で市場を分け合っているし、地鎮祭サービスは神道の独占であり、神社はお宮詣り・七五三・厄年のお祓いといったサービスを提供する、といった具合に、各宗教の間で「棲み分け」の関係ができあがっているのである。人々はこうしたサービスを必要に応じて利用しているが、そこに見られるのは、カネを払ってサービスを購入するという普通の市場の取引であって、宗教だからという特別な要素は何もない。神社が販売しているお守り、おみくじ、絵馬、破魔矢、などの「宗教グッズ」、寺院が拝観料を取って提供している観光サービスなども同様で、要するに日本では今や宗教の大きな部分は、市場で宗教サービスや宗教グッズを供給する宗教産業なのである。
『脱宗教のすすめ』[14] このように、日本人は必要なときにだけ宗教を利用しており、その代表的なものが「葬式仏教」であるという。さらに、「葬式仏教」は、仏教の堕落の象徴であり、また、日本人が「無宗教」であることの象徴でもあるというのである。表面的に見れば、そのような言われ方をしてもしょうがないのかもしれないが、視点を変えてみると、「葬式仏教」はとても奥が深くなくてはならないものであることが明らかになってくるのである。では、その「葬式仏教」とはどのようなものなのであろうか。「葬式仏教」とは、日本独自の仏教のあり方のことである。そして、この「葬式仏教」は「無宗教」であることを不思議とも思わないということを陰で支える、大きな役割を果たしているのである。「葬式仏教」は、日本独自の仏教のあり方であり、他の仏教が今も生きている国や地方で「葬式仏教」といってもほとんど意味は通じないであろう。それぐらい「葬式仏教」というものは日本固有のものなのである。まず、僧侶によって死者に戒名や法名がつけられる。法名という呼び方は、教義上戒律を必要としない浄土真宗の教団で使用される。戒名(法名)は、おしなべて「釈 ○○」と記されるが、その「釈」は、釈迦の「釈」に由来しており、仏弟子になったことを示す。もとは、生きているうちに仏教徒になった証として与えられるものであることはいうまでもない。つぎに、葬送が仏教儀礼で行われ、そのあと死者のための法要や年忌が、僧侶を招いて行われる。具体的に言えば、初夜、二七日(ふたなのか)、三七日、四七日など一週間おきの法要があって、中陰つまり四九日が行われる。このあと百ヶ日、一周忌などがあって、普通は三三回忌で終了する。 (略) さらに、毎年故人の死んだ月日に僧侶を招いて読経をしてもらう(祥月命日という)ほかに、毎月故人のなくなった日にも僧侶を招く(月忌法要)。そして春秋の彼岸を初め、盆や祥月命日には墓参をする。そのときも、僧侶に読経を頼む。家に仏壇があって位牌があることは、いうまでもない。旦那寺には、代々の故人の過去帳に記載されており、住職はその過去帳を操っては、誰それの何回忌がまわってきました。と子孫に知らせる。それにしたがって法要が営まれる。これが「葬式仏教」の具体的なすがたなのである。
『日本人はなぜ無宗教なのか』[15] このように、「葬式仏教」とは死者・祖先を祭る、つまり死者祭祀のことをいうのである。しかし、阿満氏によると、インドでは七世紀後半にいたるまで、仏教徒の葬式は、火葬場で簡単な経文を読み上げるだけであったということであるし、また、仏陀は自分が死んでも葬式は在家の者に任せて弟子たちは修行に励むよう教えていることからも分かるように、仏教はもともと死者祭祀を重要とする宗教ではなかった。では、そのような仏教がどうして死者祭祀と深いかかわりを持つようになったのであろうか。それは、仏教が中国に入ってからのことである。前章で述べたように、中国では非常に「孝」という考え方が重んじられる。今生きている親に「孝」を尽くすだけではなく、その親が亡くなってからも「孝」を尽くすのである。それで、中国で死者祭祀の儀礼が発達し、その死者祭祀の儀礼が備わった形で日本に仏教が伝わったのである。では、「葬式仏教」は、どのようにして日本人に受容され、成立していったのであろうか。まず、「自然宗教」において死者の鎮魂慰霊の技術が発達していなかった古代の豪族が死者祭祀の儀礼を彼らの先祖祭祀に利用した。古代人にとって死者はケガレた存在であり、そのケガレをぬぐい去らない限り、カミにはなることができないと信じられていた。「歴代の先祖」は、先祖であっても墳墓で祭られているかぎり、「死穢」をまぬがれていないのであり、その「死穢」を克服してカミ、つまり「出自の先祖」に連なる存在となるために、新しく伝来した仏教が注目されたのである。
『日本人はなぜ無宗教なのか』[16] つまり、古代の豪族が仏教を利用したのは、先祖の死のケガレをぬぐい去るためであったのである。一三世紀になると、法然の専修念仏というものが登場してくるのであるが、これもまた、「葬式仏教」の成立の上では重要なものであるといえる。まず、法然の専修念仏についてであるが、法然は生きている人間の救済を念仏の対象とした。阿弥陀仏は、その人間が善人であろうが悪人であろうが、救いとって仏とするというのである。法然の念仏は、あくまでも生きている人間のためのものであり、死者の鎮魂慰霊のためのものではなかった。それが、次第に、阿弥陀仏の広大な慈悲にすがって、死者の成仏も願うという風潮が生まれてきたのである。そして、既に述べたように、日本人の現世利益重視という考え方が確立したのは近世とくに江戸時代のことであった。この日本人の意識の変化には儒教の影響が窺われるが、それと共に無視できない要因として、政治の宗教に対する介入すなわち江戸幕府による寺請檀家制度が挙げられる。 檀家制度とは、人々が必ずもよりの寺院に所属し、寺に人別(戸籍)を登録するというものである。寺院が発行する寺請証文は今でいうなら戸籍謄本、住民票、パスポートにあたり、それがなければ、結婚はもちろん就職も旅行もできなかった。そればかりか、キリシタンとみなされて村八分にされたり、ときには、死に至るほど過酷な追及を受けることもあった。そのため、寺は、檀家という形で、一人ひとりの身分を保障してやる強い権限をもつことになった。地域の住民を檀家にもつことで寺院は、安定した経済基盤をもつことになったのである。いざというときに寺の機嫌をそこねたくない檀家は、常日頃から寺につけ届けをするようになる。しかし、檀家制度が敷かれたのちも島原の乱が起こったりして、キリシタンをなかなか根絶することができないでいたため、幕府はますますヒステリックに、各藩にキリシタンの摘発を命じた。百姓の奉公人についても主人が宗門改めをすること、五人組が中心となり、一人ひとりについて檀那寺の寺請証文を作成して提出すべきこと、年季奉公人(季節労働者) についても、国もとへ所在、檀那寺、宗旨を問い合わせし、身元がはっきりしている者だけを雇うこと、もし奉公人がキリシタンであることが判明した場合は、主人も同罪となることなどが徹底され、誰もがキリシタンのあぶり出しに躍起となった。寺請証文一枚に人間の命がかかっているのだから。寺院の役割はことのほか大きかったのである。つまり、檀家制度の本質とは、寺が幕府の“出先機関”の機能を果たすことにあった。幕府や藩は、檀家制度を通じて領民や町民を把握していたのである。大名などの領主は納税台帳をもっていて、それによって領民や町民を把握していたのではないかと思う人もいるかもしれないが、日本人の大部分は実は税金を払っていなかった。直接税金を払っていたのは農民とごく一部の商人だけで、武士も町人も小作人も税金は払っていなかった。だから、その人の身元を証明するのは寺請証文しかなかったわけだ。このように、日本人全体が、自分の住んでいる地域の寺に所属させられたわけだが、それは制度上のことであって、その寺が所属する宗派の宗旨や教義を信じたからではない。だから、檀家といっても特定の宗教を信仰しているという意識はほとんどもっていなかったのである。
『なぜ、人は宗教にすがりたくなるのか』[17] 寺請檀家制度は、主にキリシタンの摘発のために制定されたものであり、人々の宗教への関心とは全く関係がなく、それは形式だけのものであったというのである。寺請檀家制度はすべての日本人に対して行われた制度であった。つまり、田畑や家屋敷などの家産を持つ百姓はもちろんだが、ろくに家産などもたない水呑みと称された人々にまでその対象となったのである。その結果、「家」という意識が発生した。では、「家」という意識はどのようなものであるのだろうか。「家」は、家族とは全く異なる社会制度である。家族は自然発生的な集団であるが、「家」は、あくまでも特定の歴史的条件のもとで成立する制度なのであり、一四世紀から一六世紀にかけて成立したといわれる。「家」は、家業と家産をもつ「生活の拠点」であり、「社会的活動の一つの単位」であり、なによりも、「家」の永続が 「家」を構成する人々の最大の願いであったところに、大きな特徴がある。
『江戸時代とはなにか』[18] 人々は、子孫に相続させる財産があっても、またなくても、それとは無関係に、「家」の永続を願ったのである。「家」の永続を願うことは、かつて「家」のメンバーであった祖先をも大事にするということである。彼らはその「家」意識にしたがって、自分たちの祖先祭祀を仏教式でとりおこなうようになったのである。 寺請檀家制度が確立した結果、人々は近くの寺院に所属させられる。その寺院には過去帳というものがあり、それにしたがって住職は祖先の何回忌と子孫に知らせ、子孫は住職を招いて祖先祭祀をとりおこなう。その中で「家」という意識が発生してきたのは不思議なことではなく、ごく自然なことのように思われる。その「家」という意識にしたがって人々は祖先祭祀をしてきたのであり、また、その祖先祭祀は所属していた寺院によってなされてきた。つまり、仏教式で行われていたのである。もちろん祖先祭祀には葬式も含まれており、人々は家族が死ぬと仏教式の葬儀を行った。そのことで「家」の永続を願ったのであろう。このようにして「葬式仏教」は成立し、定着していったのである。 ここで、そもそも葬式とは何なのか、また何のためにやるものなのか、葬式の役割を明らかにしたい。ひろさちや氏によると、葬式には三つの役割があるという。一,死体の処理 二,霊魂の処理 三,遺族の心の整理 もちろん、一番目の死体の処理は大事ですが、これについては今は葬儀社がやってくれますし、昔は地域共同体で、みんなで手伝って野辺の送りをやって死体を処理したわけです。だから、死体の処理については昔から現在まで、あまり問題なく処置されてきていると思います。 (略) 次は霊魂の処理です。これは、わたしとしてはお浄土を信じることが大事だと思っています。この場合のお浄土というのは、 ――即得往生―― です。「即得往生」とは、死んだ瞬間にお浄土に行っているということです。
『お葬式をどうするか』[19] そして、三つ目の、「遺族の心の整理」であるが、そのためにこそ葬式はあるべきであり、実際にそうなのではないだろうか。葬式というと、普通、亡くなった人のために執り行われるものだと考えられがちであるが、実はそうではなく、残された人々のためのものなのである。大事な人を亡くしたとき、残された人々はただ呆然となり、生きる気力さえ無くしてしまうものだ。しかし、彼らはその愛する人の死という大きな苦しみを背負って、それでもなお生きていかなければならないのである。葬式とは、愛する人の死という大きな苦しみを乗り越えるための大切なものであるといえる。 また、かつての日本家庭では三世代同居が圧倒的に多かったため、じぶんの祖父母の死に立ち会うのはごく当たり前のことであった。そのうえ、現在のように医療が発達していなかったため乳児の死亡率が高く、自分の兄弟が幼いころに亡くなっていることもあった。また、自分の親を早くになくすことだってあったのである。しかし、戦後の日本は核家族化が急速に進み、祖父母と一緒に暮らすことが少なくなったし、医療が進歩した結果、日常生活の中で死と直面する機会が激減したのである。このような時代の中で、葬式というものは死と真っ向から向き合わざるを得ない唯一の場であるとも言える。現代の人々は死に対する漠然とした不安や恐怖をもっているのにも気がつかないくらいに毎日を忙しく生きている。また、若いうちには自分が死ぬなんてことは普通考えないだろう。そのなかで、家族や友人の死が突然やってくると、人は自分の死への不安や恐怖と真剣に向き合わざるを得なくなる。それが葬式のときなのである。 そもそも宗教とは、人間にとって最大の苦しみである「死」をどうするのか、その苦しみから解放されるにはどうしたらよいのか、を考えるところから始まっている。それは、仏教に限らず、キリスト教、ヒンドゥー教、その他の宗教でもその始まりは おなじなのである。人間は「死」を考えることができる唯一の動物である。他の動物に「死」を考えることはできない。しかしまた、それによって「死」への不安・恐怖 などさまざまな苦しみが発生することは否めない。その苦しみを乗り越えるために宗教があり、その一つとして仏教が存在しているのである。つまり、宗教は生きている人間のために存在しているということである。 このように、葬式とは宗教のそもそもの始まりである。「死」という人間の最大の苦しみを乗り越えるということと深く関わっているのである。あるいは、宗教の本来の目的をそのまま行うものと言っても言い過ぎではないだろう。これこそ宗教のあるべきすがたであるともいえるのである。一般に、「葬式仏教」という言い方で、人が死んだときにだけ仏教にすがると馬鹿にしているところがあるが、それこそが最も重要なのであり、自分にとって大事な人がなくなった、あるいは、自分の死への不安や恐怖と向き合った、まさにその時に、仏教は、あるいは宗教とも言い換えることができるが、必要なのである。竹内氏の葬式仏教に対する批判は、市場原理で考えたときのものである。葬式というものを竹内氏のいう「市場」すなわち金と利益だけで片付けることが本当にできるのであろうか。竹内氏の批判には人の精神的な部分が含まれていない。精神的な部分を踏まえた上での批判ならばこちら側も考えるべきところがあるのだろうが、その一番大事な部分が少しも考えられていない竹内氏の市場原理での宗教批判は受けることができない。そもそも完全に金と利益だけで考える市場原理 で、どこまでも自分というものを見つめていく宗教は語れないのである。そういうわけで、人が死んだら必ずと言っていいほど葬式を行う日本人が無宗教であるとは到底、考えられない。つまり、日本人が無宗教であると言い切ることはできないのである。
結論 第一章では、様々な統計から日本人は自分のことを「無宗教」であると考えていることが分かったが、それは他人と違っているように思われることをきらう日本人の精神的傾向であることが明らかとなった。しかし、日本人は自分のことを「無宗教である」と考えていながら、同時に初詣や彼岸の際の墓参りなどは欠かさないという矛盾が出てくるが、これは、日本人は古くから「自然宗教」の信者であったのであるが、「自然宗教」が「宗教」であるという認識がなされていないために起こっている矛盾であることが明らかとなった。また、人々の生活が現世中心になったことも日本人が無宗教であると考えられている要因として挙げられるが、それは一つには、中世に入ってきた儒教の教えが、近世に入り人々の生活の間にまで浸透したためである。「自然宗教」として祖先崇拝という概念が備わっていた日本人には、同じように祖霊を大切に思う原儒を母体とする儒教は受け入れやすかったからである。二つめには、近世に入り生産力が高まるに伴い発生してきた市場社会の経験である。その結果、人々の関心の対象は現世中心となったのである。このように日本人は儒教の影響を受けて、来世の救済よりも現世利益を重視するようになったのであるが、その根底には祖霊を大切にする「自然宗教」があったことは無視することはできないのであり、日本人は意識するにせよ、意識しないにせよ、自分の家の祖霊に対する敬いの気持ちを持ちつづけ、それが具体的な宗教活動に現れているのであるということが明らかとなった。
第二章では、仏教すなわち「創唱宗教」には必ず備わっている「戒律」を問題とし、「戒律を守らないことが無宗教である」理由となるのかという問いに対して、中世で既に法然・親鸞・蓮如の思想によってその問題は解決されていたことが明らかとなった。彼らは仏教を「俗」の世界まで引きおろし、その結果、仏教の本質を「聖」 「俗」と区別される世界にとどまらないものであると宣言したのである。戒律を守ら ないことが日本仏教の堕落であるといわれるが、実はそうではなく、戒律にとらわれないところまで行き着いたのであって、戒律を守らないことで日本人が無宗教であるということはできないのである。
第三章では、「葬式仏教」が日本仏教の宗教産業化の筆頭であるという批判に対し、「葬式仏教」はそもそもの仏教の目的と深い関わりがあり、これこそが宗教の本来あるべきすがたであることが明らかとなった。江戸時代に確立した寺請檀家制度が仏教の堕落に拍車をかけたという見方があるが、一方では、人々に「家」という意識を浸透させ、その結果として仏教式の先祖祭祀がなされるようになったのである。葬式は遺族が苦しみを乗り越えるためにも必要であり、人が「死」を向き合う場でもある。本来宗教は「死」という人間最大の苦しみを乗り越えるということから始まっており、それと深く関わっている葬式は宗教のあるべきすがたそのものともいえるのであり、人が死んだら必ずといっていいほど葬式をする日本人が無宗教であるとは言い切れないのである。
このように、第一章から第三章まで「日本人は果たして無宗教であるのか」という問いに対して「宗教意識」「戒律」「葬儀」という面から考察してきたわけだが、それに対する答えを一言でいえば「日本人は無宗教ではない」ということになる。批判される事柄には必ずそこに行き着く過程や理由があり、真にそれを理解した上でのみその批判は許されるべきである。日本人は一見無宗教に見えるが実はそうではなく、もともと日本に備わっていた「自然宗教」を母体とし、仏教もそれを元にしかるべき変化を遂げた結果、現在の日本仏教の形態が出来上がっているのであり、日本人は無宗教ではないのである。科学的思考が圧倒的な勢いを見せる現代であるが、その科学でさえも解明できないものは存在する。また、政治・経済・道徳でも同じように解明できないものは存在する。科学・政治・経済・道徳というものは、そこに社会という共同体がなければ意味をなさないものである。つまり人間が自分という一人の存在になったときには必要のないものなのである。人間がたった一人の自分と向き合う時、必ず避けては通れない問題が生じる。それが「死」である。科学・政治・経済・道徳では「死」「死後の世界」というものは説明できない。その問題に取り組んだのが宗教なのである。宗教は、「死への恐怖」「死後の世界」への不安という人間最大の苦しみと真っ向から向き合っているのである。歴史的に見れば宗教も表面に出ている部分は時代とともに変化してきたのであるが、その根底には釈尊の教えという普遍的なものが流れているのである。宗教がなくならないのはそのためであり、その役割を担うのも宗教であるということができるであろう。
参考文献表
阿満利麿 [1996]『日本人はなぜ無宗教なのか』 (ちくま新書085,筑摩書房, 東京)
小田晋 [2000] 『なぜ,人は宗教にすがりたくなるのか』 (三笠書房,東京)
加地伸行 [1990] 『儒教とは何か』 (中公新書989,中央公論社,東京)
久保展弘 [1997] 『日本多神教の風土』 (PHP新書024,PHP研究所,東京)
浄土真宗教学研究所浄土真宗教学委員会 [1998] 『歎異抄―現代語版―』 (本願寺出版社,京都)
竹内靖雄 [2000] 『<脱>宗教のすすめ』 (PHP新書099,PHP研究所,東京)
塚本善隆 [1983] 『法然』 (日本の名著5,中央公論社,東京)
ひろさちや [2000] 『お葬式をどうするか―日本人の宗教と習俗―』 (PHP新書123, PHP研究所,東京)
[1] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ.
[2] 小田[2000:108]を参照せよ.
[3] インターネット(http://www.sekise.co.jp/sougi/institut/dw/199907.html) を参照せよ.
[4] 阿満[1996:11]を参照せよ.
[5] 阿満[1996:15-16]を参照せよ.
[6] 阿満[1998:32―33]を参照せよ.
[7] 阿満[1998:36―37]を参照せよ.
[8] 加地[1990:53]を参照せよ.
[9] 久保田[1997:59-60]を参照せよ.
[10] 竹内[2000:17]を参照せよ.
[11] 塚本[1983:361-362]を参照せよ.
[12] 浄土真宗教学研究所[1998:8―9]を参照せよ.
[13] 浄土真宗教学研究所[1988:1086-1087]を参照せよ.
[14] 竹内[2000:22-23]を参照せよ.
[15] 阿満[1996:49-50]を参照せよ.
[16] 阿満[1996:53]を参照せよ.
[17] 小田[2000:92-93]を参照せよ.
[18] 阿満[1996:56]の尾藤[1992]の引用を参照せよ.
[19] ひろ[2000:182―183]を参照せよ
布施
押し付けがましい人は多いものです。
「あれだけやってあげたのに」「俺が面倒見ている」「俺のおかげで」・・・。さて皆様はいかがですか?
布施の心は、やりっぱなしなのです。見返りを一切求めないのです。
お坊さんに差し上げる財施の他に、「和顔施」慈悲心にあふれた表情の施し。「慈眼施」柔らかいまなざしの施し。「言辞施」真心あふれる言葉の施し。「心施」心のやさしさの施し。「身施」自分の身体を使ってできる施し。「床座施」床をしいて差し上げる、席をお譲りする。「房舎施」一夜の宿をお貸しする。雨宿りに我が家を使って頂く。
これを仏教では無財の七施と言って最高の菩薩行、つまり仏様を信じる人間としての最高の心構えとしているのです。押し付けがましいあなた、それが煩悩のもとですよ。
少欲知足
イソップ物語に、こんな話があります。犬が池のほとりで骨をくわえていました。犬は、ふと池の面を見ると、そこに自分がくわえている骨が目に入りました。犬はそれが欲しくなり、ワンとほえました。するとその時、骨は池に落ちて沈んでいきました。
普段、あれが欲しい、これが欲しいと望んでいる人は、まさしくこの犬であります。自分はすでに持っている。しかし他人のことをうらやましがり、それを欲しいと思います。そうして苦労して手に入れますが、かわりばえせず、結局どちらか一方を捨てることになります。今、家庭で不要品となっているものの一番多いのは、パソコンだといいます。メーカーが三ヶ月ごとにモデルチェンジをし、いかにもいいように宣伝して売ってきました。しかし結局は従来と変わらず、もらい手もなく、家でじゃまものとなっています。
骨をくわえた犬は、その骨だけで十分だったのです。
仏教では少欲知足を教えます。欲を少なくして、足りていることをわきまえる、という意味であります。物があふれている現在、この犬のようにならないようにしたいものですね。
同じことは、人生にも当てはまると思います。
世の中には、幸せはどこにもあります。
しかし人はこう考えます。
「その大学に入らなければ幸せにならない」「その人と結婚しなければ、幸せになれない」
このように思う人は、たとえそうなったとしても、幸せにはなれないのではないでしょうか。そこには過大な期待があり、幸せを得ようという欲があるからです。従ってそれが期待に反した時、幸福感は一気にしぼんでしまいます。少しの幸せでいい、それで十分と思っていると、幸福感が持続します。やはり少欲知足の心が望まれます。
「優しい言葉をかけてくれた」「パートの時給を十円あげてくれた」
このような謙虚な心を持つ人は、結局幸福な人生が送れると思います。
現代はカード時代であり、日常生活での支払いはカードで済ませることが多くなりました。大手のスーパーや百貨店などはその店独自のカードを発行し、それを使えば特典があるなどして、購買欲を高めようとしています。
カードでの買い物は、「財布の中身と相談して」という気持ちよりも、「まあ、いいか」という気になるもので、それが店側の本音であります。
企業というのは、必要なものを売るという姿勢では成り立たず、不必要なものをどう売るか、というのが当然となっています。それ故テレビや新聞などで繰り返し宣伝し、買わそう買わそうとするのですが、その姿勢にカードがぴったり合うわけです。何となく欲しい気になり、すぐにお金が出ていかないから、「まあ、いいや」という気になり、買ってしまうのです。
仏教では「少欲知足」、つまり欲しいという欲望を少なくして、足りることを認識する、ということを教えています。欲しい、足らないという意識が煩悩を起こし、仏道の妨げになるからです。現代のカード時代は、「少欲知足」の反対の姿勢をとらせるものであり、時に応じて一定期間カードを使わない、とするのも必要かもしれません。欲しいものは買わない、必要なものだけを買う、という姿勢も必要だと思います。
かつて井戸端会議という言葉がありました。主婦たちが町内のたむろしやすい場所で、あれこれとしゃべくる姿が見られましたが、今はあまり見られなくなりました。しゃべくりは相変わらずなのですが、場所が井戸端ではなく、喫茶店などに移っているのです。また、ケータイも必需品となっていますし、ともかく、人とのつき合いにはお金がかかるのが当たり前になっております。人とのコミュニケーションは大事なのですが、このつき合い方にも「少欲知足」の心が、現代では必要と思われます。
ある川柳の先生が、引っ越し祝いに呼ばれ、歌を頼まれました。その先生はこう詠みました。
「この家の、周りを囲む貧乏神ー」
こう詠んだところでその家の主は、さすがにむっとした顔をしましたが、先生は続けてこう詠みました。
「出るに出られぬ、福の神」
家の主の顔はすうーっとなごみました。
現代は家の外に出ると、お金を使わせようとする貧乏神だらけ、家の中には家族団らんという福の神がいるのであります。
地蔵様の話
その昔、お釈迦様は、自分の後を誰かに受け継いでもらいたい。私の代わりに、説法をしてくれる人が欲しい、と考えられました。それと言うのも、今後五十六億七千万年が経なければ、お釈迦様の代わりに説法をし、人々の良き相談相手となってくれるお方、つまり、弥勒菩薩様が、この世におでましにならないからであります。
いくらお釈迦様が気が長いからといっても、五十六億七千万年は少し永すぎます。永すぎるのはよいとしても、五十六億七千万年の間、心の支えとなる教えを求める人達へのサービスが出来なくなってしまいます。五十六億七千万年の間、何事も無く、平穏な毎日を我々が過ごせれば問題は無いわけでありますが、そうはいきません。
貪瞋痴の三毒、いわゆる「むさぼり、いかり、おろかさ」が原因となり、いろいろな事がおこります。少し回りを見ただけでも、学校での暴力、いじめ、家庭での親子の問題、誠実な行動力の欠落など、また親の方にも問題が無いわけではありません。知らず知らずの内に、社会に引っ張られてしまいます。例えば、子供達への最高の贈物である、大自然の破壊、ゴミは出さない工夫が必要と知りつつも、皆がそうなんだからと右へ習えしてしまう生活、こういった社会現象をお釈迦様は予測されていたんでしょうか。五十六億七千万年の間の説法や、心の悩みの相談相手としてお地蔵様を選ばれた訳であります。そのお地蔵様のお姿は、頭を丸めて、ちょうどお寺のお坊さんの形をしております。ひょっとしたら、お釈迦様は、お坊さんをさして、
『地蔵菩薩よ、私の代わりに、弥勒菩薩がお出ましになるまで、宜しく頼むよ』
『ほら見てごらん。八万四千の教えも、用意したよ』
と言ったのではないでしょうか。
お寺には、八万四千の法門が用意されております。是非この沢山の教えを利用し、実生活に、また家庭内に取り入れ、心の安らかな毎日を過ごして欲しいと念願しております。
生命の尊さ
九月二十一日の新聞に、また、鹿児島の中学生が、「おれが死ねばいじめかいけつ」といじめが直接の動機で死を選んだと報道されています。こうした中学生のいじめによる死者が、昨年、九州だけでも四月に福岡県豊前市の中三男子と長崎市の中二女子、五月に鹿児島市の中三男子と続発、今年に入っても一月、福岡県城島町の中三男子が自ら命を絶った。それに、鹿児島ではいじめた子の父親が自殺している。どうして、こんなに簡単に命を粗末にするのでしょうか。
これらの命を落とした人々は皆、いじめが原因です。最近の人間社会の生活様式の変容がいじめの原因を作っているとも言われています。家庭内の対話不足も一因でしょう。心に不満を持っている子供は、そのはけ口を弱い子供に求めています。自分の気持ちの満足だけを求めて、自分が受けている心の圧迫を容赦なく弱い子供に叩きつけます。迷惑するのは叩きつけられるほうの子供です。
だからといって、自殺で解決しようとするところに問題があるようです。
ところで、物豊富な時代において、今求められているのは心の時代と言われています。心を深く極められたのが天台大師。人間には生命と寿命、使命の三つの命があるということです。授かった命、それを全うするのが寿命、そして、その命をどう使うかが使命であるといわれています。仏様の力によって生かされ生きているのが我々です。生命の大切さ、生命の尊さに気づく事が大切ではないでしょうか。これから、その有為な人生を歩もうとする若者たちが紙切れのように自分の命を捨てていく現状を我々大人の手でなんとか阻んでいかねばならないと思います。子供たちにとっては大人のモデリングというものが大きな意味を持ちます。大人の我々がその生き様を子供に示して、たくましく細心に生き続けることを教える必要があると思います。そして、また、自分の前途は自分で切り開いていく者だと言う強い意志と信念を植え付ける事も大切です。
かけがえのないたった一つの命、地球上でたった一つの命、どんなに金をかけても、どんなに素晴らしい宝を以てしても何万年、何億年の年月を重ねても再び現れる事のない命、その命を守り、その命をより値打ちのある命に輝かせるよう導きたいものです。また、いつも他を意識し、他を恨む事なく慈しみの心を以て他の人のために生きる事を心がける事も大切なことです。そうすることが、仏様のご恩に報いる事になると思います。
一口法話集より
本当の幸福
『健康は最上の利益、満足は最上の財産、信頼は最上の縁者、心の安らぎこそは最上の幸福なり』
これは心の安らぎを説かれた言葉です。
お釈迦様は、八十歳という高齢に達するまで教えを説かれるため歩き続け、托鉢しつづけたお方です。そうした力がどこからきたのでしょう。先ずは、第一に健康であることでした。「お釈迦様がお亡くなりになった時、そのお足は、象のようだった」と弟子たちが語るように、その脚力も素晴らしかったに違いありません。
「健康は、人間に最もらしい利益をもたらしてくれる原動力である」といわれる言葉には、お釈迦様の実感が込められていると思います。
『満足は、最上の財産』
これは、インドの諺になっているそうです。足ることを知ること、それが最も素晴らしい財産だといっているのです。尽きない欲に振り回され、不満を抱いているよりも、少しの欲で満たされている人の方が幸せだし、安らいでいることが出来るという教えです。
『信頼は、最上の縁者』
まさにそうです。いくら友をもち、親類が沢山いても、信頼感をもつことができなければ、ただの他人と同様なわけです。信頼する人がおれば、一人でも充分です。縁者の数よりも、信頼という関係が大切なのです。
最後に、
『心の安らぎこそは最上の幸福』
であるとおっしゃっています。優しい妻や、可愛い子供に囲まれて生活していても、自分に安らぎがなければ、家族の意味が消えてしまい、また、自分に安らぎがなければ、家族も落ち着きません。それではいけませんね。
皆さんも、人間の本当の幸福について、考えてみてください。
尊厳の海に きらめく愛
「人間らしく死にたい」「自宅で死を迎えたい」と願う人が増えているという。が、厚生省が集計した「健康マップ」によると、自宅で息を引き取る70歳以上のお年寄りは4人に1人。都会になるほど`病院死’が目立つ。
人はだれでも死について考える。生がある限り、死は確実にやってくるのだから・・・
東京大学の岸本英夫博士は、死に対する考え方を4つに分けて論じている。
1つは、死に反抗して生命を延ばそうとする考え方だ。中国の不老不死思想や近代医学がこれに入る。2つ目は、来世を願うこと。3つ目は自分に代わるものを残そうとする行為。芸術作品や社会的名声などがそれに当たる。そして4つ目は、生死(時空)を超脱して悟りの境地に達する。禅の教えである。
放浪の俳人、種田山頭火の句に「生死の中の雪降りしきる」というのがある。禅僧が見る`生死の景色’とはこんな景色だろうか。
しかし、生死を悟れる人は少ない。"案ずるより産むが易し"というが、"案ずるより死ぬが易し"という心境にはなかなかなれない。
死とは何か。その答えは人によって違うだろう。あるいは答えがでないまま死を迎える人も多い。
フランスの作家セスブロンは死の直前、こんな文章を残している。「死というのは多分海みたいなものだろうな。入っていくときは冷たいが、いったん中に入ってしまうと・・・。そこは永遠の命の海で、陽光(ひかり)がきらめくように愛がきらめいている」。
今年もお盆の季節が巡ってくる。(もう過ぎたがw)「様々の施物を添えて三宝(仏・法・僧)に供養すれば、過去七世の父母は餓鬼の苦を免れる」という。
日本は外国に比べて無宗教の国だとよく言われるが、お盆に家族や親戚など身近な者が集まって先祖の霊を祭る風習は、長い歴史の間にろ過された日本人の生活観のようなものが感じられる。
古来、人類は死者を葬る儀式や祭礼を続けてきた。それは個人を送るセレモニーであり、一つの人生を完結させるメモリアルでもある。
合 掌
参考
種田山頭火(たねださんとうか) 俳人。山口県の人。早大中退。出家して全国を放浪。1882-1940
三宝(仏・法・僧) 仏・・仏教の教主である仏 法・・仏の教え 僧・・仏の教えを奉ずる人々の集団
餓鬼(がき) 痩せ細って、のどが細く針の孔のようで、飲食することが出来ない。常に飢餓に苦しむ。
無心・我・常に切なり
経典に、「我、ここに於いて切なり」という言葉がございます。その時々を一心に打ち込む、切々と生きる、という意味であります。大リーグにいったイチロー選手は、相変わらず好調な成績を残しています。彼が天才といわれるほどの選手になったのは、人一倍の努力と共に、学生時代に正月元旦を除く毎日バッティングセンターに通っていたことがよく知られています。来る日も来る日も、いかにバットのシンでボールをとらえ、強く振りぬくことを追い求めていたのでしょう。まさに「ここに於いて切なり」の心境だったのでしょう。
名選手に云わせると、野球の打撃というのは、要はバットのシンでボールを当て、遠くに飛ばせばいい、そのためにはボールをよく見て強く振ればいい、それだけなんだ、と云っております。
巨人に原選手が入団した時、ある打撃コーチは彼のフォームを見て、「二〇幾つか直さなければならないところがある」と云ったそうです。この話を聞いた野村克也氏は、そんなコーチがいるから選手が打てなくなるのだ、と書いています。
昔、パリーグに南海というチームがありました。今のダイエーホークスの前身で、ご承知の方も多いと思います。その南海全盛時代に、何度も盗塁王に輝いた広瀬という選手がいました。
広瀬選手に衰えが見られた頃、藤原という足の速い選手が入団してきました。春のキャンプの時、監督は広瀬に盗塁のコツを藤原に教えてやってくれと云いました。広瀬は藤原を一塁ベースに連れて行き、なにやらやっていました。程なく藤原が戻ってきたので「どや、勉強になったやろ」と云うと意外にも「よくわかりません」と答えるのです。なぜだと聞くと、藤原は広瀬の教え方を繰り返してみせました。広瀬はこう教えたそうです。「盗塁っちゅーのはなぁ、こうリードをとるやろ。ピッチャーがセットに入るやろ。投げたと思ったらパーッと行けばええんや」
いかにも天才広瀬らしい感覚だと当時の監督の野村氏は書いています。(「勝者の資格」野村克也)
原選手のバッティングフォームの話にしろ、広瀬選手の盗塁の話にしろ、複雑に云えばいくらでもいえるのでしょうが、突き詰めると単純に戻ります。盗塁術で言えば、要は走る決断と脚力だと、広瀬選手は言いたかったのでしょう。これもまた「ここに於いて、切なり」であります。
このことは、信仰の道でも同じことが言えると思います。お釈迦さんは出家した後、各地の宗教者を訪ね、また、苦行を繰り返しました。しかし六年間それを続けても悟りを得ることができず、最後に苦行を捨て禅定を行いました。そうして菩提樹の下で悟りを得ました。
日本には仏教の宗派がいくつもありますが、その求めるところは同じであり、とらわれの無い心、安心立命の境地を求めることであります。
広瀬選手は盗塁について、「ピッチャーがセットに入るやろ、投げたと思うたらパーッといけばええんや」と云いました。
物事の結果というのはわからない。ただ己が決断し、後は疑わずに走る、信心の道も全く同じであります。仏の道とは、ただ仏を信じるという単純なことに尽きるのであり、「信じて、切に生きる」と言うことであります。
落花の風情
ものを大切にするということは今日でも立派に通用する徳目です。日本人なら子供の頃から、
「ご飯粒をこぼすな。お茶碗を壊さないように気をつけろ。」
などと親から何度となく注意されながら育ってきたはずです。
ところが、すべてのものには、
「かたちあるもの、いずれは滅す。」
という性質がありますし、そこへもってきて、人間ときたら不完全な存在ですから、いくら注意してもついうっかり過ちを犯すことがあります。そんな時、
「あれほど物を大切にしなさいといったのに、壊してしまったじゃない。二度と同じ失敗をしないように気をつけなさい。」
という注意事項があり、そのあと、
「ごめんなさい。」
ということばでしめくくって一件落着というケースが多いようです。
物を大切にするために細心の注意をはらうことは勿論必要なことですが、壊れてしまった時、そのものに対してどのような対処をするか、対処の仕方を学ぶことはもっと大切なことだと思います。
『千利休』の孫に、『千宗旦』という大変すぐれた茶人がいました。どこがすぐれていたかといいますと、こんな逸話があります。
京都の正安寺の庭に、『妙蓮寺』という名の大変みごとな椿が花を咲かせましたので、そこの住職は、一枝切って宗旦の所へ持って行くように小僧に命じました。小僧は、世にも希な椿ですので、ことさら注意深く持っていったのですが、なにしろ椿の花のこと、途中でポロリと花が枝から離れてしまいました。小僧は、
「とんでもないことをしてしまった。」
と途方にくれましたが、とにかく宗旦の所へ行ってあやまろうと左手に花、右手に枝を持って行ったのです。それを見た宗旦は、あやまる小僧を制して、咎めるでもなく、茶室に入るや、今まで置いてあった床の間のものはすべて片付け、あらたに利休作の花器を柱に掛けて、そこに枝を差し、花は床の間に何気なく置いて、落花の風情をかもし出させたのでした。そして、そこに小僧を招じ入れて、懇ろにねぎらったということです。
節分
二月三日は「節分」でございます。節分というのは、季節の移り変わる時をいいまして、正しくは、立春・立夏・立秋・立冬の前日の事をいうのでありますが、現在では、立春の前日のことを指しておりまして、その夜を「年越し」といい、門口にヒイラギの枝にイワシの頭を刺したものをおき、日暮れになると豆を撒く習わしがあります。
この日で、大寒が終わって春の季節に入るわけで、節分の翌日が立春となるわけであります。
山形県の方では、「寒ばなれ」、飛騨の白川地方では「節替わり」というそうですが、「節分」の意味をよく現しております。
とにかく、節分の日には、鬼を払う行事が行われておりますが、最近では、やらない家庭が多くなったということで残念でなりません。ご主人はご主人なりに、子供は子供なりに、それぞれの願いを込めて、大声で豆を撒くこの行事は、本当に家庭の行事としては、実に微笑ましいもので、何時までも残しておきたいのもだと思います。
鬼というものは、勿論、実在の動物ではありませんが、節分によく出てくる青鬼・赤鬼・黒鬼・は、それぞれ人間の三つの悪い心を形どったものだといわれております。
それは、「欲深く、飽きずに貪ること」「自分の心に添わないものを怒り、恨むこと」「言っても仕方の無いことを言っては嘆くこと。善悪の判断がつかないこと」、これを仏教では『三毒』といって、私達の心に害毒を与える煩悩、即ち「貪」・「瞋」・「痴」の事を現したものだと言われております。
私達には、多かれ少なかれ、これらの「むさぼり」・「いかり」・「おろかさ」の心を持ち合わせているわけですが、私達が持ち合わせている悪い心、醜い心を鬼に譬えているわけです。
『鬼は外!福は内!』
ということは、鬼に向っていう言葉ではなく、自分自身に向って、或は、自分の家族に向って、そういう悪い心を捨てさせようとする気持ちから発展してきたとも言われております。
我々人間の心の中には、誰でも「仏のような心」と「鬼のような心」が同居しております。「鬼の心」は追い出して、「仏の心」=「仏心」を育てたいと思っておりますし、そういう心掛けで、豆を撒きたいものだと思っております。
また、別な説としては、昔、聞鼻(かぐはな)という鬼がいて、節分の夜に家々を回って、女の子を奪い、食べてしまうという伝説からこの行事が行われたということです。この鬼は、イワシの臭いが嫌いであるということから、戸口にイワシの頭を刺して鬼を防いだのでしょう。
忘己利他
「悪事を己に向け、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」 これは、約一二〇〇年前に伝教大師・最澄さまが山家学生式の中で言っておられる言葉ですが、今聞いても何の不自然も感じないし、新鮮にさえ感じます。
しかしながら、現在に日本社会を眺めてみますと一人ひとりが自分の事のみを考え、なかには自分の幸福と欲求を満たす事を第一とし、その為には少しくらいは他人をきずつけても仕方がない、そんな考えをもっているひともいるのではないでしょうか。また、何か問題が起こった時には「私は悪くない」と責任転化してしまうことはないでしょうか。
ある家で、こんな事がありました。御主人が仕事からかえってカバンを玄関の所に置いたまま風呂に行こうとしたところ、「パターン!」と大きな音がしました。おじいさんがカバンにつまずいてころんだのです。その時、ご主人は奥さんに「俺が帰ったのだから、カバンはかたずけておけ」と言い、奥さんは「私は、台所仕事をしていたので、あばあさんが近くにいたからかたずけてくれればいいのに」と言い、おばあさんは「まだ明るいのに、おじいさんは年をとって目が悪くなったのかね」と言いました。
みなさんはどう思いますか?この家の人々は誰一人悪い人がおりません。「私は悪くない、他の人の責任です。」と言ってます。こんな家庭に本当の幸せがあるのでしょうか?社会生活についても同じだとおもいます。誰か一人でも「ごめんなさい。大丈夫ですか?」と一言言えばいいのに。と思いませんか?でも自分自身に置き換えてみると知らず知らずの内に同じような事があるのではないでしょうか。これでは、本当の家族や仲間が出来ません。
みんなが楽しく、笑い声につつまれ、安心して暮らすためには本当に信頼できる家族や仲間を得ることです。ともに喜び、悲しみを分かち合う家族・仲間がいてこそはじめて幸せを実感できるのではないのでしょうか?
いくら物質的に恵まれても、精神的な満足感がなければ、真の幸せとはいえません。「己を忘れて他を利する」という、伝教大師の精神を毎日の生活に活かし、充実した毎日・幸せな日暮らしをして頂きたいと思います。
※一口法話集より
不滅の法燈
一日に一度はお仏壇で、月に一度は寺詣り、年に一度は本山詣り、一生に一度はインドの仏跡参拝を・・・これが私のモットーであります。
お陰様にて、私も二月四日より十五日まで、あこがれの聖地インドに縁あってお詣させて頂きました。主たる行事と致しましては、比叡山開創一二〇〇年を記念して「禅定林」というお寺がインドに完成し、その落慶法要のお手伝いであります。その行事の合間にお釈迦様の足跡の一端を偲び、恋慕を懐いて渇仰心の炎を激しくしたいと思います。奇しくも、日本に帰る日が二月十五日の涅槃の日であります。二五〇〇年前に八十才になられるお釈迦様が、沙羅の樹林で「自灯明、法灯明」即ち、自分自身をより所として他の物をより所とするな、そして私が皆に説いた教えをより所としなさいといって入寂されたのであります。後に続く私達のために、生きる指針を、つまり法をお釈迦様は説いてお示し下さったのであります。その最期に灯明、即ち、ともしびかかげなさいと仰せになったのであります。そのことを、伝教大師は常に思われて、ご自作の仏様の前に灯をかかげて
『あきらけく 後の仏の御代までも 光りつたへよ 法のともしび』
と詠まれたのであります。そこにやはり信仰の原点がある様に思われます。
比叡山の不滅の法灯は、一二〇〇年の間、点してきた。そのこと事態が尊いのでなく、その理想の灯をシンボルとして少しでも伝教大師程の御精神に近づこうと毎日毎日努力して受け継がれて来た、そういう「ともしび」であるから尊いのだと思います。
皆様も仏壇で御灯明をあげておまいりの時には、そういう信念でもってお明を点して頂けたら、いくらでもお釈迦様のお心にふれさせて頂けるものと確信するものであります。
来迎和讃の物語
来迎和讃は、浄土に往生しようと願う人を、阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩が迎えに来られることをたたえた和讃です。
作者は、比叡山の恵心僧都(942から1017)で、日本念仏の基礎を作った人です。
阿弥陀様が、一切の衆生を見捨てないで救いとろうとされる光明は、念ずる所を照らします。観音菩薩や勢至菩薩は、声を尋ねて迎えに来られます。
汚辱と苦しみに満ちた娑婆世界は、避けなければなりません。避けないときっと苦しみの海を渡るでしょう。安らかで心地よい極楽の世界を願いましょう。願うならば、浄福な永遠の世界に生まれるのです。
草庵は、ゆうべの嵐はおさまり、極楽浄土の池は澄みきっており、黄金など七つの宝でできている七重の荘厳な並木には、さわやかな風が吹いています。
臨終の時が来たら、正しい心の落ち着きを持ち、西を向き頭を垂れて手を合わせ、浄土へ往くことを願い求めましょう。
耳をすましますと、西方極楽の浄土の方に、仏の為の伎楽や歌詠が、ほのかに聞こえます。緑の山の端には、はるか遠くから光り輝いているのが見えます。このとき、身も心も安らかで、念仏を一生懸命唱えていたことがありのままに現れて、仏の発する光が自分の身体を照らしますと、今までのいろいろな罪が消えて無くなってしまいます。
しばらくしますと、その光が近づいていき、仰ぎますと阿弥陀様です。表情は円満なお姿で、晴れている空に緑色の頭の頂が現れて、眉間からは白い光が出て輝いています。
お供の管弦歌舞の菩薩は、雲の間に袖をひるがえしたおられ、荘厳にするための旗や供花は風にたなびいています。
光の中には、観音や勢至等の菩薩様がたくさんおられ、諸菩薩様からはそれぞれ近寄りがたい威光と徳が現れて、声々に行者を褒め称えておられます。
眼に満ちているのは、苦しみを救い安楽を与えようとする色です。喜びのため落ちる涙はとどまりません。聞こえるのはすばらしい教えです。この喜びはとても言葉では言い表せません。
極楽浄土には紫雲がたなびいているといいますが、阿弥陀様の乗っておられる紫雲がたなびいて、たくさんの修行者と共に前後左右に柴の扉のところに下りられます。
草庵の上にはたくさんの仏が守護され、苔の庭には浄土へ導く菩薩たちが、光を並べて両膝を地につけて合掌しておられます。伎楽の菩薩もこの時にわき溢れる喜びをどうすることもできません。空にも地にも管弦の音色がしています。
その時に、慈悲(苦しみを除き安楽を与える)をもって衆生を済度される観音菩薩が緩やかに近づかれ、紫色を帯びた黄金の身を曲げて、蓮の台をかたぶけよせられます。
次に、智慧(さとり)をもって衆生を済度される勢至菩薩は、浄土へ導く菩薩たちが仏の徳をたたえるなかを、最も優れた智慧の手をのべて行者の頭をなでられます。そして、阿弥陀様の光の中に包み込まれて金の蓮の台に乗せられますが、この時からいろいろ迷っていた世界から抜け出たのです。行者は金の蓮の台に乗り、仏の後ろに従って瞬時にこの世を去り極楽浄土に往って生まれ変わられるのです。
昔は、仏の恵みをわずかに伝え聞きをした程度でしたが、今は阿弥陀様が浄土へ導かれることを誰でも知るようになりました。阿弥陀様の浄土がどんなところかと詳しく言うと、心地よく迷いの世界に戻ることがない所で、寿命も無量に長いので楽しみが尽きることはありません。阿弥陀様は特に優れておられ、完全無欠な容姿が備わり、福徳や智慧によって身を飾っておられます。又、自由自在の能力があるので心のままに行動することができます。阿弥陀様は、雲の上のてっぺんから下は限りない底までも、苦しみの海にもがいている人たち全部に、仏の恵みを誰にでも平等に施しておられます。
阿弥陀様や観音様。どうぞ、行者の誓いをあわれみに思い、大悲願をあやまたずに迎えに来られ浄土へ導いてください。皆さん。このよい報いをうけるように、よい行いを誰にも施して、同じ心を持って安楽国に往生しようではありませんか。
参考:
八功徳池:八種の優れた特質を備えた水のある池。八種とは、甘く・冷たく・やわらかく・軽く・澄みきり・臭みが無く・飲むとき喉を損なわず・飲み終わって腹を痛めない水をさし、極楽浄土の水。
七重宝樹:極楽浄土にある七宝からなる樹。七宝とは、黄金・紫金・白銀・メノウ・さんご・白玉・真珠を言い、これらの七宝が根・茎・枝・条・葉・華・実の七つを構成し、七重の並木となって極楽を荘厳にしている。
三十二相:仏に備わる32の優れた特徴。完全無欠容姿。
六通:人知を超えた六種の自由自在の能力。神足通・天眼通・天耳通・他心痛・宿命通・漏尽通
三明:仏が持つ三つの超能力。過去を見通すこと・未来の衆生の死と生の相を見通すこと・仏教の真実によって煩悩を断滅すること。
天台宗とは?
天台宗は近代日本仏教の母と呼ばれ、日本の歴史・文化・芸術・宗教にとって大切な宗派です。天台宗は日本国内ではそれほど広く布教されてはいませんが、天台宗の影響を受けた宗派は世界中のどこにでも見出すことが出来ます。
天台宗は、総合的な教えを持つ宗派で、さまざまな人間の望みにこたえることが出来ます。それは、様々なカットにより、すばらしい光を放つ貴重なダイヤモンドのようです。
最澄は767年滋賀県に生まれ、8世紀に中国天台を学ぶために中国に渡り、様々な師と出会い、天台山で修行しました。
805年、最澄は帰国して4ヵ月後、806年1月26日、天台宗を開きました。以来、比叡山は天台宗の本山として栄えています。1572年織田信長が焼き討ちをし、多くの寺院や人々が焼かれ、殺された後も比叡山は日本仏教の中心として発展しています。最澄は822年6月4日、57歳で世を去り、その後、天皇が“伝教”の称号を彼に授けたのです。
臨済宗、曹洞宗、浄土、浄土しん習、日蓮宗など、様々な宗派の開祖は比叡山で修行をしました。この近代日本仏教の宗祖となった人々は天台宗からの分派といえます。私の意見ではこれらの宗派は、ダルマーダイヤモンドのひとつの側面にしか過ぎません。しかし天台宗は、すべての側面を備えたChih-Iの書き残した教えが教学の中心ですが、今日われわれが学ぶ天台教学はより広い視野の哲学を持っています。いまは法華経は天台宗の一つの教えであり、座禅や密教も共に教えに含まれます。天台宗は中道の教えを掲げ、ダルマ(法)と禅定(行)の双方から成り立ちます。教学の中心は法華三部経で、Chih-Iの摩訶止観が行の中心です。
天台宗が特に強調するのは、密教(曼荼羅観想)・顕教(止観)のバランスです。即ち、天台宗は仏教の中道を目指す宗派だと思います。比叡山の回峰行者は人間と自然の調和のシンボルです。調和の原則が天台宗を魅力的にしていますが、これは我々が生活の中で平和と調和を求めているからだと思います。
天台宗の基盤は伝教大師のすばらしい理想を元にしています。大師の理想に従った僧侶・に荘・在家信者がみな、菩薩道を生きるよう、促されているのです。之を実行することですべての命あるものの調和と、この世に浄土を創ることが出来るでしょう。又、伝教大師は受戒と修行の方法を改革した偉大な僧侶でもあるのです。
天台宗に興味を持った理由
天台宗はユニークで重要な仏教宗派だと思います。理由は密教と顕教のバランスと、教学と行を実際に教える唯一の宗派だからです。他の宗は、たとえば真言宗やチベット仏教は密教を主にし、密教と顕教に関しては天台宗は中道を行き、二つの教えのバランスを目指しています。天台宗を勉強していると理論とダルマの哲学、そしてそれらを実行することを学ばされます。
智慧と慈悲を達成するために理論と行は一つにならなければなりません。他の仏教宗派では、私の知る限り、このアプローチを取り入れて“生きる”ことを教えてはいないと思います。禅宗は座禅に集中し、“頭の知識”を嫌います。浄土真宗は阿弥陀仏の誓願にひたすら集中します。座禅を全く取り入れないのは消極的なアプローチではないかと思うのです。私が天台宗に魅力を感じるのはブッダ・ダルマの勉強と座禅の行を共に行うからです。比叡山の写真を見て、その寺院や回峰行者の姿に初めて接したとき、本当に感激しました。その美しさ、安らぎと自然の調和がなんともいえません。このような風景を私は今までに一度も見たことがありません。私は木や山、森を愛する人間です。比叡山に住んでいる天台宗の修行僧は自然の一部であり、比叡山の景色全体が極楽浄土のように思われます。
私が天台宗の勉強をしたいのは、人間と自然の調和と安らぎがとても重要だと感じるからです。私が仏教書を読み始めてからの夢は、山の森の中の小さなお寺で座禅を組むことでした。私が比叡山の写真を見たとき、平和な雰囲気が手に取るようにはっきりと感じられました。
この天台宗の平和と調和の精神をヨーロッパに持ってくることが出来れば、なんとすばらしい恵みとなるでしょう。書く仏教宗派のバックグラウンドは異なるものの、ナガルジュナ・マディヤミカの哲学が中国天台の基礎となっています。私が知る限り、チベット仏教のいくつかの宗派はヨーガチャラ哲学を中心にしています。私はシューニャターに立つ中道の教えの基礎(マディヤミカ)が好きです。これらの教義については私はほんの基礎的知識しかありません。指導を受けない限りこれらの論理を理解するのは困難です。しかし、近い将来マディヤミカについて詳しく学べるのは大変幸せなことです
すべての仏教宗派には共通点があります。それは、すべてシャカムニ・ブッダが生きた2500年前に始まっていることです。その目標は生きとし生けるもののために悟りを得ることです。その方法論は宗派によって異なります。大切なことは、人もそれぞれ異なった道を経て悟りを開くのだということです。すべてがそれぞれの能力や必要性に応じて宗派を選ぶことが出来ます。ある宗派が他より優れているということは言えないと思います。私たちはそれぞれの道を選び、能力に応じて歩みを進めるのです。
私が天台宗で学びたいのは、総合的な教えと天台宗が教えるバランスが好きだからです。
ヨーロッパでは天台宗の末裔はすでに多く存在しています。伝教大師の深くそして独創的な教えをヨーロッパに広められたら、なんとすばらしいことでしょうか。いまの世の中で調和と平和を求めることは大切なテーマです。伝教大師の教えが異なる文化・人間・自然の間に調和と平和を創る一助となるに違いないと思っています。
天台宗海外伝道事業団々報より。(平成14年10月号)
仏像のみたま
今月は仏像のみたま、即ち魂についてお話します。
新しく仏壇を求められますと、必ず御開眼の法要をいたします。その仏様に御霊(みたま)が入ったかどうか疑問に思う方もあるでしょう。その疑問に答えるべき次のお話をご紹介申し上げます。
それは、国宝修理所に昭和16年に入られ、今日まで約1300体の仏像を修理された西村公朝師の体験談であります。
西村先生は、先般NHK教育テレビで約3ヶ月に渡り、仏像について講義をされた方ですので、ご存知の方も多かろうと思います。その西村先生のお話の中での事です。
京都の東寺の食堂に、約6メートルの十一面千手観音堂がありました。その像が昭和5年12月21日に御堂もろとも焼けてしまいました。それから35年後、その消し炭のような仏像を西村先生が修理をすることになりました。
消し炭の部分は、部分的に削り取って、そこに漆を塗るなどし、また背面などすっかり無くなっているところは、新しい木で補い、少しづつ復元し最終段階で仏像の眉間にある白毫の部分にかかられました。そこには白毫として水晶をはめ込むようになった穴があり、当然のことながらそこも消し炭で一杯になっておりました。
どんどんその穴を掃除する内に、紙の包みが焼けもしないで出てきたそうです。その包みの中には、丁度人間の奥歯に被せる金歯くらいの金の容器が入っておりました。おそるおそる開けてみると、その中には米粒大の仏舎利が一個入っていたそうです。
どう考えても、その消し炭になった状態から察すると、当然包んであった紙は燃え、そして金の容器は変形してしまっているはずですが、本当に不思議としか言いようのない出来事であったそうです。
手のこころ
人の手ほど素晴らしく面白いものはないのです。手には表情があり、人生があり、文化があり、心があります。
人の手は人類が直立して歩くおかげで、開放され、手を自由に使えるようになったのです。人類の先祖といわれる、アウストラロピテクスが地球上に現れたのは、約二百万年前、あるいは四百万年前といわれます。人類が直立して、手と指を使って今日の文化を築き上げるまでには、長い年月を経て来ています。
「手の舞足の踏む所を知らず」
の諺のように、人間の体の中で手ほど意思や行動を率直に表現するものはないのです。人間は手を使うことによって文明を築き上げ、手でこころを伝え、また、呪術や宗教的習俗として文化をもつくり出しています。
手は単なる肉体の道具としてではなく、霊的なはたらきと結びつけていたのです。
先ず、右手は左手よりも重要とされるのが一般的で、左手はいやしく不浄とし、右手を神聖視しています。お寺やお宮には、お詣りをする前に、手を洗う場があります。神事や仏事に先立ち、先ず手を洗い清めて、神様や仏様の前に向かいます。これは、汚れた手からの危険を避けたり、尊敬のしるしとしての人間の手を大切にするあかしです。
神前で手のひらを合わせる、かしわ手は神霊を招く意味で打つのです。
インドでは右手を「浄」の手とし、左手は「不浄」のことに使う手と分けています。それで、身体も右側を「浄」とし、左側は「不浄」をあらわします。そんなことから、仏様をお詣りする時は、必ず「右回り」にします。それは、自分の浄い(きよい)部分を仏様に示して、敬いの気持ちを表すのです。
手は「浄穢不二」(じょうえふに)です。日常生活においても、きれいなものとしては顔を洗い、食べ物も扱います。きたないものでは、お尻も拭くのです。いいことも悪いことも、同じ手を使ってやっているのです。
仏様のこころは「浄穢不二」です。きれいもきたないもないのです。私たち人間の手は仏様と同じことをしているのです。
仏教では右手を慈悲、左手を智慧(ちえ)とし、これが一体となるのが信心の手で、取りも直さず合掌の姿なのです。
合掌ということは、うやまい、親しみの心をもつ敬愛・感謝・信頼など、いろいろな心のあらわれであります。手のあらわす心の美しさこそが、まさに両手を合わせた姿、合掌でありましょう。
ご用始め
「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という一休さんのことばではありませんが、必ずしもおめでたくないかもしれません。
先日ご用納めで過ぎ去った一年の整理をし、来る年の準備をしたわけですが、また正月からはこの新しいスタートです。
ご用始めという言い方は、普通官庁で仕事を始めることをいっているようです。しかし官庁に限ったことではなく、さまざまな職業の仕事を始めることをいいます。古くは家の中のことでは藁打ち、縄ない、縫い初め、書き初めなど、また農業では田打ち初め、一鍬、山仕事では、初山入り、木こり初め、漁村では舟祝い、乗り初め、釣り初め、庄屋では帳祝い、倉開き、初荷などがあります。
一年の計は元旦にあり。最初良ければ万事よし。初心忘れるべからずなど「初め」に関する格言、名句は多くあります。年改り心新たにこれからの前進発展を願い、それに精進を誓う機会が年頭です。個人としては元旦、仕事の上ではご用始めの日がこれにあたるでしょう。
よく3日坊主といいますが、せっかくの決意もそれでは何にもなりません。しかし、さらにいけないことは、何がしかをするという気持ちを持たないこと。最初から、なるようになれ・・・では何事もなし得ません。進歩も何もありようはずはないでしょう。できるだけ大きな目標を持ちたいものです。
「華厳経」というお経には「はじめて悟りの心を発する時、すでに正しい悟りが得られている」と説かれています。出発点の正しく、堅い意思が極めて大切なこと。もし最初の目的が誤っていたり、いい加減な気持ちであるなら、それは挫折の道を歩むことになるというわけです。
新年の出発の時にあたって、清々しい気持ちで各々の課せられた仕事をなしつつ飛躍を期したいものです。
~テレフォン法話集2巻より転載~
節分
節分とは季節の移り変わる時、特に立春の前日で暦の上では2月3日あるいは、4日にあたりますが、旧暦では正月の初旬です。旧暦の時代でも正月と立春とは必ずしも一致しませんが、節分をもって一つの節目とし、これに宗教的意義を付与していたのです。
中国古来の思想である陰陽道でいうと、冬の陰気が終わって春の陽気が来る立春の前日が節分ですから、この日に旧冬の邪悪を一掃し、新しい年の幸福を迎えたいと念願します。
天台宗では万民の除災招福のため、節分会に三百六十五巻の般若心経を読誦します。
節分の行事として何より一般になじみ深いのは、お祓いや豆まきです。日暮れ前に大豆をいり、戸口に焼きイワシの頭とヒイラギの小枝をさす古い習俗もあり、ニンニクなどの臭気の強いものを用いるところもあります。
夜になってから「鬼は外、福は内」などと唱えながら豆をまきます。慈悲の宗教、仏教からすると「鬼は内、福は外」でありたいと思います。
いずれにしても、悪鬼の侵入を防ぎ、人々の幸福を願うものです。
歴史をたどると、立春を正月行事として重んずるのは中国の伝統で、それが我が国に伝わり、生活に密着した大切な行事となったのです。
鬼も福も、迷える我々凡夫の心の中にあるのです。心の中の鬼を追い払い、仏様の心になろうという気持ちで豆をまくことが大切だと思います。
~テレフォン法話集5巻より転載~
端午の節句
いわゆる「折り目」と称される季節の変わり目の日は、すべて節句(供)といってよいのです。また、節句は、三月三日の草餅、五月五日の粽(ちまき)や柏餅など、変わり物を供え物にこしらえる日と考えている地方も多いようです。
端午というのは、初午の月、日ということで、中国で五月五日に行われた習わしが伝えられ、故事来歴がありますが、病気や災厄を払うために、ちまきを作り、菖蒲の酒を飲んだりしたとのことです。日本では五月は田植え月で正月、九月とならんで一年中でも特に重要な月とされ、物忌みを必要とし、そのしるしとして軒先に菖蒲をさしました。
古くは、災厄をさけるため武芸をかねて鹿を追い、薬用として食べるならわしがありましたが、殺生をきらって薬草を採集するようになり、薬玉をおくったりしました。
また菖蒲鬘(しょうぶかずら)をかぶる風習があり、それが菖蒲胄(しょうぶかぶと)に変わり、その前立に人形を飾り、さらに武者人形となりました。
端午を男子の節句とすることになったのは、騎射(うまゆみ)の行事、そして流鏑馬(やぶさめ)、さらにたこ上げ、競漕(ふなこぎ)など勇壮な行事が行われていったからでしょう。
このように、古い歴史のある端午の節句を、次代を担う子供たちのために、私たちは今、何をなすべきか真剣に考える節づけとしたいものです。
~テレフォン法話集2巻より転載~
働く
はたら•く【働く】
〘動カ五(四)〙
1仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く。「朝から晩までよく―•く」「工場で―•く」「―•きながら資格を取る」
2機能する。また、作用して結果が現れる。「薬が―•いて熱が下がる」「引力が―•く」「機械がうまく―•かない」
3精神などが活動する。「知恵が―•く」「勘が―•く」
4悪事をする。「盗みを―•く」「不正を―•く」
5文法で、用言や助動詞の語尾が変化する。活用する。「五段に―•く動詞」
6動く。体を動かす。
「死にて六日といふ日の未(ひつじ)の時ばかりに、にはかにこの棺―•く」〈宇治拾遺•三〉
7出撃して戦う。
「オノレワ戦場ニ出テ楯矛(たてほこ)ヲ取ッテワ―•カネドモ」〈天草本伊曾保•陣頭の貝吹き〉
補 説 「働」は国字。
可 能 はたらける
類 語 (1)稼(かせ)ぐ•勤める•労する•労働する•活動する•作業する•勤労する•従事する•就労する•実働する•勤務する•執務する•服務する•勤続する•仕える•立ち働く•勤まる•汗水を流す•額(ひたい)に汗する/(2)作用する•機能する•作動する
~国語辞典より~
とありますがこの「働く」という漢字は日本人が作った漢字ですね。この「はたらく」という言葉は「はたを楽にする」、周囲を楽にすることだと思います。
「働く」は「人」偏に「動く」と書き、人が動くことが働くことであるという、日本人の考えが示されているように思います。
しかし、ただ動くのではありません。人が動くというのは、体が動くと同時に頭が動く、心が動くのです。だから、働くことはまさに生きることなのです。
働くことは欲がなければできません。目標に向かって私たちは働きます。
ただ、目標があっても頭デッカチではうまくいかないでしょう。そこに向かって走る時の心持ち、体の動かし方、考えの総合力こそ、欲望をよく生かしていく方法なのです。

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