寶光院

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御本尊

虚空蔵菩薩・脇仏不動明王座像

寺宝

大般若六百巻

年中行事

毎月十三日本尊護摩供一時半・九月施餓鬼・五月厄月部落大般若転読会

縁起

当院は後奈良天皇、御守天文年中、龍造寺孫三郎純家公の志願により寶琳院第三世源覚法印をもって開山とす。第三世澄舜の時、天台の奥儀、灌頂、秘密の伝法を比叡山より免許され、根本中堂の什物、伝教大師、弘法大師の合筆とされる不動明王像の画像を寄附され、在来の不動尊と合祠し寶光院に灌室を設け灌頂を執行するようになった。第三世豪盛代までは、その執行が続いていたが貧地にて後中止された。第四世源昌代の慶長二年には、肥前の国鍋島直茂公が佐賀城建築の際に地鎮祭、安鎮国家の法を当院に依頼され、比叡山より豪仙大僧正を大導師に迎え地鎮祭を、城が完成すると豪仁僧正を迎え鎮宅の法を厳修された。当院は開創より天台秘密道場として栄え、旧記を見ると七日間の行、五穀断、無言無食の行、不動真言十万遍等の厳しい行法が記されており、主に武門の崇敬が厚かったが、明治維新から昭和にかけての農地、政策等によって広大な敷地は減少していき、昔の面影は本尊虚空蔵菩薩と不動尊の威容にしか見る事が出来ない。また、無住の期間があり廃尊寸前にまで本堂も老朽化していたが、檀徒の思いが集まり伽藍が整備され、今日確かな足取りで復興の兆しを見せている。毎月十三日には、本尊護摩供の香煙の中に善男善女の仏心を見る事ができる。