本覚院

鍋島藩初代藩主勝茂公御願寺

66.jpg 66_1.jpg

御本尊

十一面観世音菩薩
鍋島藩祖直茂公、朝鮮出兵の砌り舟魂として祭られし処、初代勝茂公により当山開山時に奉安されるにいたる。

寺宝

金光明最勝王経十巻・鍋島家御墨付(寛永十四年)・縁起古文書

年中行事

初観音法会(並びに毎月十七日)・節分会二月六日(護摩祈祷)・花祭三宝大荒神家運隆昌祭(毎月一日)

縁起

当山は神仏混の御世、神埼櫛田宮(全国総本社)を中心とする櫛田神宮寺金剛院法頭職連綿として坊の名を定正院と号す。延暦四年(七八五)京都比叡山根本中堂建立の砌り、天皇の勅命ありて、玄清五ヶ室の一寺として登叡し、地神祈祷の法会を勤修をする。人皇五十一代嵯峨天皇の御代弘仁八年(八一六)勅命ありて御願成就を得、田地五十町歩を賜る時移り、寛永十四年六月十一日、明正天皇の御代(一六三七)時の国主鍋島加賀守勝茂公、鎮護国家、鬼門守護の大願を発しこの任を請願する。ここに扶助する旨の御墨付を賜り、定正院この地に移転し、本覚院と改め佐賀城下鬼門守護、鎮護国家の祈願道場として国主より大殿、朝鮮出兵御船守護十一面観音菩薩を奉納、奉安をもって今日に至る。

交通アクセス

電車・JR佐賀駅下車、車で五分。

住職の閑話

十九歳の夏、窓の外、家々から立ち登る煙に見いっていた。ほほにはうっすらと涙が流れていた。父は私に、「そんなことでは、この世の中は渡れない」とはげました。何の感傷も不安もあったわけではない。ただおだやかに過ぎてゆく、夕暮れの風景に涙したのである。父が私にくれた、最初で最後のはげましの言葉である。今、春が来て窓の外には薫り豊かに沈丁花の花が白く咲きほこっている。おだやかに咲きほこっている。山門修学の道場、春の一日の風景である。