延命院

67.jpg

御本尊

不動明王(智証大師作)

年中行事

正月、五月、九月・二月節分会・毎月十八日観音講

縁起

開創は、今から千三百有余年前欽明天皇二十五年(西暦五六四年)鎮護国家、五穀豊穰の祈願道場勅願寺として開創された。寛元三年九月二十九日、住僧豪覚は最勝王経を読誦して、天下泰平武運長久、万民豊楽の祈願をしたという。仍って、寺号を最勝王寺と号し、院山号を日輪山金剛院を称した。西岳坊豪芸は、小貳政資の長臣肥前守嫡子江上孫右エ門元種の孫である。竜造寺隆信が五ヶ国を所領された折、還俗し名を江上太郎兵衛と号した。智証大師御作の不動明王は、この人の寄進によるものである。中興開山豪賢は、政家公、直茂公、勝茂公三代の崇敬の念が篤かった。天海大僧正より金剛院を改め延命院とするよう下賜され、以後、日輪山延命院と号し、豪賢を119中興の祖としている。光茂公の御子百助様は延宝元年八月二十日早世、法名を照海大徳と号し、当寺御廟があり、年忌の折は鍋島家よりお参りがある。

付属宝宰

観音堂十三佛石像