無動山 明王院

延寿寺

川尻校区17ヶ寺中最古の寺院
文化6年(1809年)全国に84000建立の大願のひとつとして建立された、豪潮律師の法篋印塔が平成11年の台風18号により倒れたので、修復をしました。

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鹿児島本線川尻駅より南へ約15分
熊本交通センターより「川尻町」下車徒歩1分

  延壽寺

1 住所 熊本県熊本市川尻 5丁目5番1号
2 住職  藏原 恒海   副住職 藏原 恒俊
3 本尊 不動明王 (木像3尺6寸立像)
4 寺院沿革
建久8年西暦1197年(約800年前) 快智法印開基
川尻三郎実明公は菊池武朝公との戦いで、戦況不利の時不動明王に
戦勝祈願をしたところ大勝利を得たので、心願成就のお礼に一宇の堂を
建立し、不動明王を安置した。 (川尻校区17ケ寺中最古の寺院)
16町の寺領を賜り、川尻家の祈願所として堂塔も多く隆盛を極めたが、 川尻家断絶
のため寺領も召し上げられ、諸堂も自然と荒れ川尻近在の参詣所として維持されて来た。
天保11年現在の本堂、庫裡 細川藩より1千両下付され再建

5 西南役と延寿寺
明治10年2月西南役が起こり薩軍は川尻に大本営を設け、熊本城を中心に大激戦となった。
延寿寺は野戦病院となり薩軍の傷病者70名を収容された。
薩軍の戦死者や戦傷者が川尻にどしどし運ばれて来て、各寺院に戦死者の
埋葬をお願いしたが、後難を恐れて引き受けようという寺院はなかった。
その時 延寿寺の住職伝弘応は28歳の青年僧で、戦後どのようなお咎めが
あろうとも死を覚悟して言い開きをしようと決心し、寺領の一部を提供し、
戦死者、戦傷歿者の姓名、場所、年月日を一人一人記録し丁重に埋葬し、
読経、回向を修めたのが約860名に及んだ。そこを薩州墓と呼んだ。
その後鹿児島、宮崎の遺族によって遺骨は郷里に持ち帰られた。
大正5年2月薩州墓の遺骨を収集し延壽寺の境内に西南役薩軍戦歿者墓碑を建立し毎年4月慰霊祭を行っている。大正5年以来一度も休むことなく平成10年で83回を迎えた。
伝 弘応の考え方や行動はまさに天台宗が進めている「忘己利他」の精神につながるものであろう。
6 延壽寺の塔等    
西南役薩軍戦歿者墓碑 宝篋印塔 一字一石塔 法華経一字一石塔
地蔵堂 鐘楼  
7主な仏像等     
不動明王 薬師如来 阿弥陀如来 地蔵菩薩 聖徳太子 天満神 元三大師
8延寿寺へ 
熊本市営バス、九州産交バス 川尻町で下車徒歩約2分 
J R 川尻駅下車 徒歩約15分 

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