延壽寺

西南役薩軍戦歿者を弔う寺

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御本尊

延寿寺の御本尊不動明王は三尺六寸の木像で、釈迦院開祖の弉善大師作と伝えられている。

年中行事

毎月二十八日不動尊例祭・四月第二日曜日西南役薩軍戦歿者慰霊祭(大正五年より)・七月八月盂蘭盆会・十一月二十三日天台会

縁起

川尻町史によると建久八年(一一九七年)快智法印開祖とある。川尻三郎実明公は菊池武朝公と一戦を交えたが戦況利あらず、敗戦の憂目を見ようとしたが、一心に不動明王を信じ心願をこめられたところ戦況が一変して大勝利を得られた。心願成就の御礼に堂を建立し不動明王を安置した。天保二年の大洪水で堂塔、寺床すべて流失し本尊不動明王だけが残った。天保十一年(一八四〇年)再建明治十年西南役が起こり、川尻町は薩軍の大本営が設けられ、(延寿寺も一時大本営となる。)衛病院が置かれた。薩軍は各寺院に戦死者の仮埋葬を願い出たが後難を恐れて引き受けようとする寺院がない時、当時二十八歳の傅弘應は進んで引き受け、戦後どのようなお咎めがあろうとも死を覚悟して言い開きをしようと決心し、寺領の一部を提供し、戦死者の月日、場所、姓名を記録して埋葬し読経回向を行った者が八百五十三名に及ぶ。その後薩軍戦歿者の遺骨は郷里に持ち帰られ、薩軍墓地の遺骨を集めて大正五年二月延寿寺境内に西南役薩軍戦歿者墓碑を建立し、毎年四月慰霊祭を行っている。境内散策境内には本堂、地蔵堂、豪潮律師法篋印塔、西南役薩軍戦歿者墓碑、一字一石塔二基、境内には花のある延寿寺として四季の草花を育てている。

交通アクセス

JR鹿児島本線川尻駅下車約十五分バス熊本交通センターより川尻町下車徒歩約三分

住職の閑話

月忌回りの楽しみ

延寿寺のある川尻校区は各宗派とも月忌回りの習慣がある。延寿寺は他宗に比べて檀信徒の数も少ないため、命日の霊位や御先祖の供養の後お茶を頂きゆるりと雑談をすることができる。「御住職のお話を聞くのが楽しみです。」と言うおばあちゃん。時間のたつのも忘れて長居をすることもある。日頃疑問に思っておられることに答えたり、仏様やお経の話などをする。現在の自分があるのは御先祖様のおかげであること、子孫の繁栄を願うなら御先祖の供養を忘れてはいけないことを話す。私は檀家の人たちと話すことの出来る月忌回りを楽しみにしている。