大安寺

秋月藩の祈祷寺として二代藩主長重公の命で創建

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御本尊

阿弥陀如来座像阿弥陀如来座像は五尺余りの本造で、作者不詳である。江戸時代後期の作である。

ご詠歌

霊空の徳剰一基衆生のため長く大安を護りにけり

寺宝

涅槃會掛軸(四・五尺×八・三尺)地蔵菩薩(木像座像)

年中行事

新春護摩祈祷一月十五日春・秋彼岸会三月・九月花まつり四月八日流潅頂施餓鬼会八月十六日

縁起

当山は元禄十四年三月(三百年前)秋月黒田藩の祈祷寺として、二代藩主長重公の命により秋月日照院三代住職吉井素順によって開基された寺院である。本尊は阿弥陀如来座像、脇士は地蔵菩薩、如意輪観音菩薩である。本堂庫裡は秋月黒田藩の南御殿の一部を移したもので、山門には野菜や動物の繊細な彫刻がほどこされている。箱崎八幡宮の鐘の銘を書きし霊空上人も暫くこの寺に籍を置きしことありて、霊空大和尚(一六五二~一七三九年)の歯骨塔が裏山にある。霊空上人は夜須郡大塚村の出身で、のちに比叡山に入山され、ときの霊元天皇(一一二代)より「文が簡にして功徳深き経を撰び上覧に備えよ」との命が下り霊空上人が大蔵経を渉猟してこの経(延命十句観音経)を撰び出し天皇に献じたといわれている。また、絵の仙崖、書の豪潮と並び称される能筆家の豪潮が本寺に立ち寄り、安永四年に宝篋印塔を建立した。

交通アクセス

JR基山駅下車、甘鉄にて甘木駅下車、松丸行きバスで大安寺前で下車、また、大分自動車道、甘木ICを下りて江川ダム方向へ約7km

住職の閑話

釈尊の教えの中の一つに「怠るのは死の道、努め励むのは生の道である。愚かな人は怠り、智慧ある人は励む」というのがある。精進することが人生の意味であるとするのが釈尊の人生観であるように思える。釈尊が精進をすすめ放逸を戒めたのは、ただ「はげめはげめ」ではない。この世に生を得た、ただ一度の機会を充実するように、二度とないこの「今」を何もせずに無為に時を過ごすべきでない。「いそしみはげむように」と激励されているのだと思う。仏教は人間の生き方を明らかにしたもので、その生き方は道徳的な面だけでなく、逆境の時や、老い、病死に直面した時、人はどう生きるかを学び、身につける道を実践するのである。人は生まれたからにはいずれ死ぬ存在である。したがって、生き方を学び実践するには、そのまま死に方を学び修めることにほかならない。死はいつ訪れるかわからないから今の生き方を努め励んで学び、怠らぬようにしょう。