豊前坊

鍋島阿波守茂訓公創建

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御本尊

本地大日如来豊前坊大権現・不動明王

ご詠歌

秋月や栗岡山に光りさす連離(理)の松に神は有明

寺宝

茂訓公寄進の奉納刀一振り

年中行事

修正会・護摩祈祷会・星祭開運祈祷会・秋の報恩祭

縁起

栗岡山頂に名木連離(理)の松があったというが、この地に白石三万石の城主鍋島阿波守茂訓公が延亨五年辰三月二十八日に筑前国、秋月豊前坊大権現の御分霊を勧請して祀ったとされる。また一説には、桜町天皇の延亨年中、下箕具(地名)に百姓の子で、源太夫という神仏へ崇敬の念深く、温厚篤実なる者がいた。この者慈悲心強く、畜類を憫み貧困者を救済していたというが、或日のこと突如として精神に異常を呈し、御幣を肩に「秋月や栗岡山に光りさす連離の松に神は有明」と御神歌を詠じ、村中に振れ回ったということである。それ以来、栗岡山の山頂連離の松の辺りには紫雲たなびき、また時の領主鍋島阿波守茂訓公は夢の中で豊前坊大権現の御尊容を拝し、託宣を受けられたという。時を同じくして、当時鍋島家の祈願寺であった日蔵坊住職元龍法印も同じ夢を見て不思議に思い藩公にこのことを告げると、茂訓公は平素から神仏への尊崇の念厚き方であったため、直ちに栗岡山頂に石造り宝殿ならびに草葺き拝殿を造営寄進され、豊前坊大権現としてお祀りになったのだという。日蔵坊はこれより約七百年前、神辺(地名)にあり、鍋島家の祈願寺として録を受けていたとされるが、この時を境に時の住職元龍法印は豊前坊の住職に任ぜられ、以後豊前坊大権現は藩公はじめ領民の厚き信仰のもと、代々豊日一族の世襲という形で祀り継がれ今日に至っている。

交通アクセス

住職の閑話

豊前坊は修験の流れを受け継ぎながら、江戸時代からこの地の領主・領民の厚き信仰に支えられて今日に至ったものである。今でも各種祈願や御祓、月毎の講読を依頼する町民も多い。宗祖伝教大師さまのみ心を奉じ、これからも豊前坊が町民の心の拠り所となればと願っている。