坂東寺

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御本尊

阿弥陀如来

ご詠歌

うちつれて、のぼるや坂の東寺まいる心ぞたのしかりける

寺宝

貞永五重石塔(県指定重文)一基曼陀羅(桓武天皇御勅筆)一幅元当山僧正方位牌四基

年中行事

修正会・春秋彼岸会・大般若会・花まつり・施餓鬼会天台会

縁起

こ人皇五十代垣武天皇の勅願所にて延暦年間に伝教大師開基す、天皇詔して広川の荘七百七十町を寺領に充て玉う。元亀天正の間婁々兵乱に遭って寺僧共に離散す殆んど廃滅す時に慶長年間筑後の領主田中吉政再興し三百五十八石を寄付す。有馬氏に至るも旧によって之を領す明治二年神仏判然の際住僧は復飾して熊野神社の祠官となる寺院は全て廃滅す隨て仏躰仏具悉く散失す明治十二年九月廿五日復旧再興の許可を得る明治十九年十一月に至り元安養院の本尊にして維新の際同村願長寺に相渡るを購へ受け再興の本尊として安鎮崇敬する所現在に至る。惣檀徒中より寄附有

観音堂

筑後国札所二十二番霊場なるも維新の際広川大聖寺へ本尊を頂けたるも焼失す。明治十二年当山再興と共に筑後国札所廿二番の札所も再興の処堂宇無く先住隆光の志をつぎ光教尼宅鉢して村方及遠近有志者の寄付金を得て再建し本尊を比叡山延暦寺へ請願す。明治三十六年二月十八日拜受して崇敬するもの也

交通アクセス

JR羽犬塚駅下車九州自動車道八女インターより10分

住職の閑話

貞永(ジョウエイ)の塔

県指定有形文化財板東寺境内に五重石塔二基が立っている。左は貞永、右は天保年間のものである。貞永元年(一二三二年)監物ケンモツ(律令制での中務ナカツカサ省出納役)の刑ギョウ部ブ丞ジョウである中原為肝煎で信者に勧め塔建立の費用の寄付金によって左右一対ができた。塔は凝灰岩で作られ基礎石の上に五層の積み重ねで二九〇糎の高さである。筑紫地方に於ける最古の在銘五重石塔として有名である。基礎石の四方に梵字が書かれ発心、修業、菩提、涅槃の意味とされている。正面には梵字をはさんで仁王像の陽刻がある。