本尊:阿弥陀如来(座像)
住職:松本 達淳
寺宝:十王経地獄極楽絵図十幅、元三大師みくじ版木
沿革: 和銅二年湛誉上人によって背振山霊泉寺が開かれ、やがて背振千坊の繁栄をもたらしたが千坊唯一の回向道場として創建されたと伝えられる。詳細は不詳である。しかし文永の頃は数多くの僧が当山に住し文永弘安の役にはいち早く博多の浜の防戦に参加し敵国降伏を祈願した。南北朝(正平十年)の頃当山に別住職が任ぜられる程に隆盛を極め天正十四年、島津軍が久留米高良山を攻めた際には
時の高良山座主四十五世麟圭は当山に非難し難をまぬがれた。応永三年八月大友の兵下により堂宇焼失するも慶長十五年松隈の住人萬右ヱ門を施主として肥前国主鍋島信濃守綱茂公が大檀那となり当時の住職幸海に帰依し堂宇再建がなった。これをもって安禅寺中興第一世を幸海と為す。その後、当地方一帯の回向道場及び鍋島綱茂公の菩提寺として大師堂、地蔵堂、七体観音堂が建立され現存している。明治八年第二十二世貫仁大僧都は霊仙寺一山の衰退を嘆き当山檀徒坂本部落五十余戸を修学院に附す。昭和五十一年伝教大師出家得度千二百年を期に檀信徒の浄財と資材の寄進及び国の援助によって本堂庫裏を新築、同年三月京都青蓮院門跡東伏見宮慈洽大僧正親修のもとに落慶を修め現在に至る。
末寺及び付属堂寺:大師堂、地蔵堂、納骨堂、七体観音堂、
行事:星祭節分会、春・秋彼岸法要、施餓鬼会、水子供養会 |